旅のすえ また大川に めぐりあう

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"宮した"に在った叔父の作業場

ムカシゃどこのウチだって神棚くらいはあった。大仰なもンじゃないよ、小振りだよ。それでも、…

寿司を"弥助"と呼んだ叔父のこと

ウチは元佃に在った。母の姉夫婦が同居していた。父は此処から第一生命ビルへ通っていた。 「…

東京語#09/おかまいなく

東京語の発展系として首都圏語が成立し、それが日本語口語のスタンダードになりつつあるという…

米軍キャンプ回りの青春02/レクイエム・1967

高校時代をどう生きたかが、実はその人間の「人生の通奏低音」になる。僕の場合は、ジャズと映…

米軍キャンプ回りの青春03/下士官クラブ

「高輪カルテット」はコピーバンドだったから、読譜が必須だった。 譜面は大抵7丁目の日本楽器…

ジャズ喫茶が青春の真ん中に有った

スバル街の中に有った「ママ」のこと・・・どうしても、なぜアソコへ行くようになったかが思い…

米軍キャンプ回りの青春04/慰問歌手のバックバンド1970,4月

大阪万博の年。大学に入った。校舎は小田急・大根駅から歩いて10分くらい。延々と登り道を行く…

米軍キャンプ回りの青春05/サイゴンのクリスマス,クラブ・トゥゾー

僕が最初にサイゴンを訪れたのは1970年のクリスマスだった。アメリカから戦場へ慰問に来る某有…

米軍キャンプ回りの青春06/正義の戦いなんてない

正しい戦争なんかない。人に殺し合うことを命令するのは何よりも醜悪だ。 人を貶めてでも、自…

米軍キャンプ回りの青春06/ピーとパー子の夫婦善哉#01

門前仲町のお縁日は月に3回、1日15日28日である。今はあまり元気じゃなくなったけれど、僕の…