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江戸と東京をめぐる無駄話#14/天皇の資産形成#02

薩長明治政府は、天皇家の功績に対してまず、ほぼ10万石だった禄高を15万石に増加させた。財源は70万石に削減した徳川家の持ち分の分配である。また所有土地についても大幅な増加を認め(多くは徳川家のものだった)明治半ばころには、54か所/700万坪が「天皇所有」のものとして、ここからの「売り上げ」が天皇家の収入となった。これが如何ほどかというと、明治6年の段階で50万円ていど、明治半ばころには200万円程度に膨れ上がっている。
明治13年に「第十五国立銀行」の設立。ここが投資先として原敬の「日本鉄道株式会社」を設立。まず東京-青森間を敷設している。

この資産形成の根幹に岩倉具視がいた。彼は「皇室財産ニ関スル岩倉具出意見書」で、天皇家の資産について明快なビジョンを示した。
①立憲体制は一法律にしか過ぎない。これを支えるには実質的な基礎が必要である。
➁そのために、まず皇室が相応しい財産を保持すべきである。
➂立憲体制を強固なものにするためには、陸海空の維持費はすべて天皇家からのものにすべきである。
この構造を明確にするために、明治政府は「日本国憲法」を天皇から臣民に「下賜」するものとした。およそ世界史・史上、王から臣民に「憲法」が与えられたのは、この例が唯一ではないか。「憲法」は本来、被支配者側が、支配者に対して「支配の仕方についてのルールを指し示すもの」である。決して上から下へ垂れ流すものではない。

ちなみに余談だが。「義務教育」の"義務"は、国家に与えられた"義務"であって、国民に与えられた"義務"ではない。教育は国民がもつ"権利"であって、かならず施行すべき"義務"ではない。同じく憲法の中で定められている"法"は、国民が国家に対する命令/規定であって、国家から国民が受ける命令ではない。このことははっきりと理解しているべきだと僕は思う。
重ねて云うと、米国の債務予算限定法はこうした考え方の上に成り立っている。日本国のように無限大に政府が債務を背負えるというのは、国民と政府の在り方において異様な姿勢だと僕は思う。アメリカが正しい。

さて・・なぜ薩長革命政府はこの形を当然のごとく取ったのか。
「馬の骨」の集団である新政府には、カラ元気は有っても権威も権力もない。それを殆ど「張り子の虎」になっていた天皇家を前面に出すことで、屁理屈を正当化する必要があった。
歴史学者・遠山茂樹による「日本近代思想体系 天皇家』にこの経緯が詳しくある。
明治政府元老院たちは「みずからの権益を守るために、天皇を中心とする巨大な権力システムを構立しようとした」のである。そのためには「皇室名義の財産形成」が必須だったのだ。
明治17年、新政府によって作られた「日本銀行」は皇室のものになった。同時に「横浜正金銀行(いまのUFJの原型)」も皇室のものになった。明治20年、日本郵船が天皇家のものになった。つまること、主要な日本国の資産を「政府から天皇家へ移転」することで、たとえ政権が自らの手から零れ落ちても、元老院が利権を喪失しない方策を取った・・わけである。
したがって明治二十二年に発府「大日本帝国憲法」と同時に出された「皇室典範」には「皇室経費の予算決算検査およびその他の規則は皇室会計法の定ひる所に依る」とあり、国の会計規則に依らないとしている。つまり天皇家は、国の会計から毎年定額を受けとるが、宮内省がこれを管理し、予算から決算に至るまで政府の関与するところではないとしている。これはどういうことかというと、イタリアにおけるバチカン公国のようなものである。日本国の中に「天皇家」という独立国を置くという意味だとしていいだろう。
明治21年、「札幌製糖」「東京ホテル」22年に「北海道民鉄道(北海道民議員船)」さらに各地の私鉄「総武鉄道」「京都鉄道」「岩越鉄道」「各鉄道会社」などの株式を取得している。
明治27年の日清戦争以降は台湾領有、明治37年、日露戦争以降は朝鮮半島、満州への進出につれて、皇室財産としての株式投資の範囲もしだいに拡大していった。明治32年「北海道拓殖銀行」「台湾銀行」34年に「台湾製糖」35年「日本興業銀行」42年「朝鮮銀行」「東洋拓殖」
国内でも「富士製紙(のち王子製紙に合併)」「東京電燈」「大阪商船」「日清汽船」「東京ガス」「帝国ホテル」の株の多くを天皇家は取得している。
沢来太郎「帝国国有財産総覧」付録に拠ると、天皇家の所有株は17種556,940株、金額にして35,943,934円とある。

大正年間に入ると、これらはさらに加速するが資料の全貌は明らかにされていないので、実態は分からない。
碩学・黒田久太氏がこの全貌を解決すべく奮闘しているが、残念ながら目に見えた成果は出ていない。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました