みんみん

普通に生きています。旅と動物が好きです。

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ネグロス島へ 慰霊の旅  あとがき

日常が戻ってきた。多幸感はずっと続いていた。郷里の親戚から「本当にありがとう。」「長年、行かなければと思っていたが、これでやっと肩の荷が下りた。」とお礼と感謝の言葉をいただいた。 暫くすると、この旅の話を誰かに伝えたいという気持ちが急に湧いてきた。 ブログは開設が面倒そう、、、。 古い人間なので、新聞の投書が思い浮かんだ。 サクサクと600字程の文章を書きあげる。少しして書き直し、書き足し推敲を重ねる。朝日新聞の投書欄「声」に投稿する事にした。 送信する段階になって、トピ

    • ネグロス島へ 慰霊の旅...⑬

      4月16日 セブ島 最終日  今日で最後。夜の11時半にホテルを出る予定。GRAB TAXIを(多分個人営業のタクシー)キャシーが予約してくれた。本当は私のスマホにアプリを入れてやらなきゃいけないんだけど、キャシーが「私のでやってあげるから。」と、親切だ。 現地の人も流しのタクシーはトラブルが多くて、あまり乗りたがらない。「釣銭が無い」と言ってお釣りを払わなかったりするらしい。   タクシーでYap Sandiego Ancestral House へ行く。昔の華僑の軍曹

      • ネグロス島へ 慰霊の旅...⑫

        4月15日 セブ島朝にセブ島の北バスターミナルに着き、タクシーで宿に戻る。 キャシーが笑顔で迎えてくれる。旅の報告を簡単にして、ホテルで仮眠。 明日の夜中にセブ島を発つ。旅のメインイベントは終えたので、後はゆっくり観光をしようと思う。 宿があるフォンテ・オスメーニャからバスに乗り、サントニーニョ教会へ。 サントニーニョ教会は大勢の人で賑わっていた。観光客もたくさんいる。しかし暑い!逃げるように隣の博物館へ行く。サントニーニョとは、イエスキリストの子どもの頃の姿で、セブっ子

        • ネグロス島へ 慰霊の旅...⑪

          4月15日 セブ島夜の10時に南バスターミナルに到着。定時の11時半に出発。夜行バスでのセブ島行きは2通りあってエスカランテ港からフェリーに乗る場合と、サンカルロス港から乗る場合がある。サンカルロスは大叔父が亡くなった場所。私たちのバスはサンカルロス港を使う路線だ。  大叔父が亡くなった場所は定かではないが、そのすぐ近くを通ると思うと胸が高鳴る。  バスは満席。私の隣の席はフィリピンの女性でタイの学校で先生をしているそう。とても親切で、「ここで、トイレよ。」とか、「ここで朝

        ネグロス島へ 慰霊の旅  あとがき

          ネグロス島へ 慰霊の旅...➉

          4月14日 バコロドパタッグ村の気持ちの良い朝。夜は寒いくらいだった。 ヨンヨンが早速、寄ってきて挨拶してくれる。その後、私と娘を案内してくれて、キャンプ場の奥の滝まで連れて行ってくれた。 娘の言うように、立ち止まっては私達を待っていてくれ「こっち面白いよ、来なよ。」と言っている様だった。あぁ、日本に連れて帰れたら、、 でも、ヨンヨンはこっちで暮らした方が絶対幸せだと思う。ヨンヨンに鎖なんて似合わない。 昨日のMARNIの「宿の中で待っていればいいわ。」という言葉を私は信

          ネグロス島へ 慰霊の旅...➉

          ネグロス島へ 慰霊の旅...⑨

          4月13日 パタッグ村 キャンプ場 案内をしてくれた女性2人と別れ、車道を下って今日泊まるキャンプ場に着いた。着くなり、たくさんの犬が迎えてくれる。ここで飼われているわけではなさそうだけど、犬たちの遊び場になっているのか。 1匹、とても人懐こい可愛らしい犬がいる。MARNIの犬のキャッシーとも仲が良い。名前を訊くと「ヨンヨン」だと。 キャビンを案内される。道中で買ってもらったココナツをスタッフが鉈で割ってくれ、中のジュースをいただく、そんなに甘くもなく、もちろん冷たくもな

          ネグロス島へ 慰霊の旅...⑨

          ネグロス島へ 慰霊の旅...⑧

          4月13日 パタッグ村 宿に戻り、暫くするとオーナーCHELLの妹のMARNIが来てくれた。お姉さんとは少し雰囲気が違い、小柄でふくよかな感じだ。笑顔がとても素敵だ。夫と10歳になるポメラニアンを紹介してくれた。「私達、子どもはいないんだけど、この子が娘なのよ。」と。 我々の荷物を積み込み、CHELLに「さよなら」を言って、MARNIの夫の運転する車に乗ってパタッグ村へ向かう。道中、たくさんの興味深い話をMARNIから聞けた。 彼女の親から聞いた話だと思うが、戦時中シライ

          ネグロス島へ 慰霊の旅...⑧

          ネグロス島へ 慰霊の旅...⑦

          4月13日 パタッグ村 朝、サンディエゴ・プロ教会へ行く。花が飾られ、正装した男女がチラホラいる。今日、結婚式が行われるらしい。南国フィリピンらしく、ドレス姿の女性のメイクアップをガジュマルのような大きな木の下で、スタッフがしている。大らか。メイクをしているスタッフはどう見てもオネエ?レディーボーイ?何ていうかわからないけど、そんな人だった。フィリピンにもいるのね。 教会の中に入ってお祈りした。「今日は、日本神社へ行く、大切な日です。どうか、私たちをお守りください、、、」

          ネグロス島へ 慰霊の旅...⑦

          ネグロス島へ 慰霊の旅...⑥

          4月12日セブからネグロスへ夕日を見に シライ市はネグロス島の西海岸にあるからか、西日が半端ない。少し日が陰るのを待ち、3人で街へくり出す。ちょっと気になっていたバイクタクシーに乗ることにした。バイクの横に3人座れるサイドカーがあって、そこら中をウロウロしている。一般市民も荷物を乗せたり、数人で乗っていたりヘビーユーズしていそう。  息子が「夕日がみたい」と言うので、バイタクの運ちゃんに「SUN SETがみれる場所ある?」と訊くと、ちょっと曖昧な感じでうなづき、バイク発進

          ネグロス島へ 慰霊の旅...⑥

          mikeの花

          今年の3月に8年くらい飼っていた、我が家のモルモット、ミケが天国へ旅立った。  プランターを買って、その中にミケを入れて、お花を植えてお墓にした。 お花はマリーゴールドの苗を買って植えた。 暫くすると、緑色の芽が出てきた。 初め、雑草かな?と思ったのだけど、取らずに放っておいた。 グングン伸びて、立派な花が咲いた。 ミケの横にお供えした結構カピカピだったニンジンが、ミケの養分をたくさん吸って、芽を出し、花を咲かせたのだ。 マリーゴールドはもう、見る影もない。 ニンジンの

          ネグロス島へ 慰霊の旅...⑤

          4月12日 セブからネグロスへシライ市散策 バナナを食べながらウロウロしていると、泊まる宿が見えてきた。築100年以上のお屋敷だ。私たちが泊まる「スタジオ」は女主人CHELLの母親がアトリエとして使っていた場所を改装して部屋にした所。キッチンもあって広い。お母さんの作品も飾ってある。 彼女の御祖父さんがサトウキビ事業で成功したらしく、本館1階の薄暗くひんやりした応接間には、古い調度品が所狭しと並べてあってさながら博物館のようだった。家族写真や肖像画、(お祖父さんの?)銅像

          ネグロス島へ 慰霊の旅...⑤

          ネグロス島へ 慰霊の旅...④

          4月12日 セブからネグロスへ朝がきた。 さあ、何も決まっていないけど、朝が来た。 流されるような、導かれるような旅が出来たらいいと思う。 朝食は昨日パンを買ったお店で食べる。現地の人がひっきりなしに出たり入ったりしていたお店。仕事前に朝食を食べている若い人や、お年寄り夫婦など様々。 カウンターに陳列してあるおかずを指さして頼む。魚のスープ、揚げ春巻き、魚のフライ、アドボなど、どれも美味しい。 昨日までしていた腕時計、なくしてしまったらしい。確かポシェットに入れたと思う

          ネグロス島へ 慰霊の旅...④

          ネグロス島へ 慰霊の旅...③

          4月11日   セブ島へ 出発 朝の成田空港にいる。 20歳になって自分探しを継続中の息子と、「空気が合わない」と通信制高校に転学した娘と、大叔父の写真と共に、セブ島に向けて飛び立った。 機内の窓からは桜が見えた。帰る頃には散っているだろうか、と思いつつ。 セブエアーは入るなり、南国だった。シートの色は何て言うか「ナポレオンフィッシュ」みたいだし、キャビンアテンダントさんの制服は黄色のポロシャツで動きやすそう。ただ、座席のリクライニングがなくて、ほぼ直角。行きは良いけど

          ネグロス島へ 慰霊の旅...③

          ネグロス島へ 慰霊の旅...②

          靖国櫻 我を待つらむ 旅って一つの物語みたいだなと思う。始まりがあって終わりがある。 なので、今日話すことは物語の序章になるのか。 私の手元には数枚の大叔父の写真がある。証明写真のように小さな写真の裏に、大叔父が書いた詩があった。靖国桜が咲く前にここを去らねばならなくなった事。その後に ”靖国櫻 我を待つらむ” とあった。 (いつか、またこの地を踏んで満開の桜を見るまで待っていて欲しい)という意味だと理解した。 今年の桜は予想が大いに外れ、例年より遅い開花となった。

          ネグロス島へ 慰霊の旅...②

          ネグロス島へ 慰霊の旅...

          はじまり 書きたいことが、たくさんありすぎて、どこから始めていいのかわかりませんが、先の大戦でネグロス島で亡くなった大叔父の慰霊の旅の事を書こうと思います。 大叔父がフィリピン、ネグロス島で亡くなった事を知ったのは、今から15年前、父の葬儀の時でした。私が小さい頃に仏壇の中から見つけた軍服姿の青年の写真が、現実味を帯びて迫ってきた瞬間でした。 教えてくれたのは父の従弟である私の伯父さん。大叔父とは同じ部隊ではないけれど、「ネグロス電工」の創設者がネグロス島に慰霊碑を建て

          ネグロス島へ 慰霊の旅...