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ネグロス島へ 慰霊の旅...

はじまり

書きたいことが、たくさんありすぎて、どこから始めていいのかわかりませんが、先の大戦でネグロス島で亡くなった大叔父の慰霊の旅の事を書こうと思います。

大叔父がフィリピン、ネグロス島で亡くなった事を知ったのは、今から15年前、父の葬儀の時でした。私が小さい頃に仏壇の中から見つけた軍服姿の青年の写真が、現実味を帯びて迫ってきた瞬間でした。

教えてくれたのは父の従弟である私の伯父さん。大叔父とは同じ部隊ではないけれど、「ネグロス電工」の創設者がネグロス島に慰霊碑を建てたそうだと教えてくれました。
早速、「ネグロス電工」に電話をして聞いてみると、シライ市のパタッグ村に碑を建てたという事を古い資料を調べて、親切にも教えてくださりました。

ネグロス島って こんなとこ

思えば、フィリピンは私が初めて行った海外。もう30年近く前の話ですが、雨が降ると道路が川のようになって、子どもたちは裸になって水浴びを(雨浴び?)楽しむ。どこか懐かしいような、既視感を覚えたことを思い出しました。。。

「いつか行かなければ、、、」と思いつつ、これだけの情報で無事に碑がある場所にたどりつけるとも思えず、日々の仕事に忙殺されて、コロナなんかもあり、ネグロス、シライ、パタッグと言う言葉は次第に心の隅に追いやられていったのでした。 

ところが、3月のある土曜日の朝、階段を下りて居間を通り過ぎると「バコロドが、、、」と言う言葉が耳に入ってきました。TVが土曜朝の旅番組を流していたのです。「バコロド、、、、?」フィリピンのシライ市を調べていた時に比較的大きな町で飛行場もあったので覚えていたワードでした。ネグロス電工の創設者が生きて帰って、バコロド港から日本に向かったと確か書いてあったような、、、

あまりのタイミングの良さに、「あ、ヤバい、大叔父さんに呼ばれてる、、、。」重い腰をあげなきゃ、、、、

早速、バコロドをググってみました。そして無理かなーーと思いながらもパタッグ村も。ありました、パタッグ村。標高が高く、キャンプ場が散在しています。テキトーにググっていると、「Japanese shrine」と書いてある場所を発見。ここを目指せば何とかなるかも、、、、

こうして、私は4月にフィリピン行きの航空券を買ったのでした。

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