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自己肯定感なんて、いらない

受容して」という言葉を最近よく聞きます。漠然と他人からの攻撃を恐れ対話できない人が多い現代。何かあるとすぐ炎上する、だから怖い。それとともに「受容して」と相手に欲求を投げつけているケースも多いなあと感じています。

これに関連する言葉で自己肯定感があります。「自己肯定感を上げましょう!」なんて実は要らないのに、世は自己肯定感”祭り”の様相を呈しています。受容自己肯定感、この二つの言葉を取り上げて囚われている心を開放する術(すべ)をここでは記していきます。

「受容して」は、こちらではなくあなたの問題です

「受容して」。こう言うことは「私を認めて」と相手に言うことに通じます。また第三者が「あの人を受容してあげなさい」と言う場合もありますね。これらは相手を変えようとするお願いです。

つまり認めてもらえない、自分は変われないから「あなたが変わって」と言っていることと同じです。心が子どもなのです。厳しいことを敢えて言うなら、心の未発達を人のせいにしている。(あなたに原因は無いので、それは後述します)

心を開放すれば変わることなど容易いのに、自分の周囲にバリアを張って安全地帯を確保する。そうして自分の中に閉じこもって心を解放できない自分にウジウジして助けてとも言えず、こんな悲しい自分を慰めてと拗ねる。


ネット炎上も同じ構図です

ネット炎上に代表される相手をボコって気を晴らすのも、実は同じことです。そんなことしても一時の気休めになるかもしれませんが、根本的な心の平和はやってきません。それどころか鬱屈した心は炎上させる相手を求め続けます。

ボコりたくなるのはなぜでしょう?

そこに目を向ければ気を晴らすことも必要ないのに、ついつい自分が言われているような気がして叩いてしまう、殴ってしまう、言葉で。

ボコりたくなる気持ちはどこから湧いてくるのか?

自分が感じる違和感、嫌悪感、叩きなるものは相手ではなく、あなたと相手の「間」にあるのです。相手を叩いても何も変わりません。

あなたの心は、あなたのもの。
あなたを決めているのも、あなた。

これは哲学で考えると簡単です。

「もの想う故に、我あり」

一度は聞いたことがあるでしょう。

ツライとかイヤと思うのは、あなたであって相手ではありません。
あなたの心が全てを決めているのです。

その心が変わらなければ目に映るものは全て「変わって下さい」とお願いする対象になってしまいます。これはツライをもっと辛くすることです。ネガティブスパイラルを自分で作っているのです。

目を外ではなく自分に向ける。相手ではなく自分に向ける。ツライとかイヤと感じている自分を見つめる。なぜ自分はそう感じるのか、思うのか。自分の内面を読む、自分との対話をするチャンスです。

”あっ、自分はツライって思ってるんだ、ツライはどこから来るのかな、そうか、この部分に自分のツライが詰まっているんだな、よしよし、これを開放してあげよう”

簡単ですね。自分との対話、最近の流行り言葉で言うとメタ認知です。

人は誰でも大きい小さいの違いはあれ、さまざまな問題を内に秘めています。それに他の人が寄り添うことは出来ますが、他の人の方が変わることは無く、変わる必要もありません。あなたはあなた、私は私です。違いを見つけて理解する。理解し合う。向き合うのではなく、同じ方向を向いて共に歩いていく。それだけです。

人生の伴走者になる、私のやっているメンタリングもそのひとつです。


自己肯定感という罠に囚われない

人はそれぞれ違います。

弱い人もいれば強い人もいる。これが多様性です。多様性の中で弱い人は弱くて良い、強い人もそのままで良い。これが本来の意味での受容でしょう。

「みんな違ってみんないい」

日本に馴染みの深い仏教の教えです。世の中が全部、良い人、強い人、スゴイ人ばかりになったら成り立ちませんよね。その人なりに生きればよいのに、周囲と自分を比較してしまう。そして周囲は無意識で「頑張れ」と言ってしまう。

自発的な頑張るは、好きだから頑張る、です。
外からの頑張れは、そうなれという無言の強制です。

指示・命令・ダメ出し、この3つで小さい時から育てられた人は承認欲求のアリ地獄に陥ります。この3つを言う親の顔をうかがって笑顔をもらいたい。子供の心はいつも親に向けられていて、親に認めてもらいたい、こっちを向いて欲しいと思っています。親によって自分の存在を確認している。

それが承認欲求の源です。

そして「自己肯定感を上げなきゃ」認めてもらえないと思ってしまう。「もっとやらなきゃ」を自分に押し付けてしまう。

親と自分との間に信頼関係があれば、それは無言の承認であり、承認欲求は常に満たされています。しかし後述しますが、親も子を持つのは初めてなので自分の心と向き合わず、相手(子供ですね)に「ああしろ」「こうしろ」と言ってしまう。

こういうことが親子の間に無意識に起こって蓄積されて、人は育って大きくなります。自分で自分の存在を認めてあげることの無いまま、他人によって認めてもらう癖がついてしまう。

人との良質な信頼関係の築き方が出来ていれば自己肯定感など気にすることも必要とすることも無いことがお分かりいただけたでしょう。


自己存在感を高める

人の価値観は二つとして同じものは存在しません。やりたいこと、望むこと、嫌なこと、好きなこと、全部違います。

全部違ってそれでいい。なのにこっちの方がイイよと引っ張られる。執着です。自己肯定感の無さがそれを生んでいると思ってしまう。

違うんです。自己肯定感など必要ないのです。

自分を肯定するのではなく、自分の存在そのものに「いいよ」と言ってあげるのです。必要なのは自己肯定感ではなく「自己存在感」です。言葉としては僅かな違いにしか思えないこの二つは、ほぼ真逆と言って良いものです。

これを分かり易く説明している本を見つけました。

辻秀一著:自己肯定感ハラスメント

ここがポイント。実に分かり易いです。

じつに分かり易い!

自己肯定感を高めよう、とかは必要ない。むしろ害だ、それはハラスメントだと辻氏は述べています。

自己肯定感を得ようと頑張る必要はない。他人との比較も必要ない、意識を高める必要もない、夢も要らない、自分に足らないものは?とは考えない、自信も要らない。自己肯定感の代わりに自己存在感を持つのが良い。実にシンプルです。

いかに現代人が自己肯定感や承認欲求の罠に囚われているかが分かるでしょう。


そんなあなたをつくったのは親。だから親に感謝

この呪縛に陥る多くの原因は育ってきた環境に依ります。人生という出来事で、あなたに対して親がする問いかけはこの二種類です。

①親:今日は何やったの?⇒行動を見る
②親:今日は何を感じたの?⇒感情を見る

①では親の次に言うのは「それ、こうやんなきゃダメよ」となりがちです。親の感情を行動に落とし込んで子供に押し付けます。それが「指示・命令・ダメ出し」です。それに従えば親が喜んでくれる。子供の心は常に親に向けられています。

②では親へではなく子ども自身の心に向かわせています。そして親は子供の感情を理解してあげる。ほんのちょっとの違いが大違い。①と②を比較してその違いが理解できたでしょう。こんな簡単なことなのに、親は無意識に自分の感情を行動で押し付けて子供育てしてしまいがちです。(私もやりました:汗)

親も不安なんです。知らないんです。気付かないんです。子供を育てるのは初めてですから。だから自分の親のやった通りのことを自分の子育てでやってしまう。こうして負の遺伝は受け継がれていきます。

男運の悪い母親のもとに育つと、男運の悪い娘が出来る。よくあるケースです。気が付かないうちに親と同じ行動をとってしまう。母親に認めてもらいたいからですね。その母親は男に対して残念な人生をやってきている。それを娘も上書きしてしまうのです。

こう書くと「親が悪い!」と思いがちですが、違います

親も子だったのです。その負の連鎖を断ち切るチャンスが「あなたに」与えられている、そう考えてみてはいかがでしょう。カルマを断ち切る良い機会です。

こういう気付きを得て、自分をしばっていた育ててくれた親に感謝できる時、あなたは呪縛の外に飛び出すことが出来て、親の恩に報いることができます。そこには本当の許しがあり、幸せで平穏な心がいただけます。


執着している”わたし”に、気付く

満たされない心の穴を埋めたい。その心の穴を自分の内面と向き合うことで見つけられたら、あとは埋めればよいだけです。ところがこの心の穴を自分で埋めずに相手に求めたり、モノに求めたりします。

自分へのご褒美、よく聞く言葉ですね。モノを買ったりエステに行ったり、はたまたプチ贅沢をしてみたり。これは全て心の穴を埋める行為です。これが男女やパートナーとの関係になると難しくなります。

相手を自分好みに操ろうとします、それも無意識に。自分の思い通りにしてしまう。自分の心の穴を埋めるために相手を使ってしまう、場合によっては操作してしまう、それも無意識に。そして自分の思い通りにならず、ストレスを感じてしまう。そのストレスが蓄積していく。またまた負のスパイラルです。


これが執着です。

そういう人には私の好きな言葉を贈ります。

小欲知足:「足るを知る」

満たす必要などないのです。あるがままで良いと覚悟する。

「いま、ここ、わたし」を静かに見つめる。「自然体の私」「生かされている私」を見つけるのです。座禅や瞑想は自分の心を見つけられます。そして、ああ見つかった、嬉しい、スッキリ。そして笑顔です。


上機嫌で生きる

自己肯定感の呪縛から自らを解き放ち、自己存在感へと踏み出すと風景は一変します。何で今迄こんなことに囚われていたんだ、自分軸で考えていいんだ、そういうことに気付きます。全体の中での自分、自然の中での自分の有り様に気付きます。

ちょっとしたマインドセットの切り替えなのですが、これを自分だけでやろうとする人が多くてなかなかうまくいきません。時間ばかり過ぎ去って、気が付くと何年も同じところをくるくると回り続けることになります。

人の手を借りてスッと前に進めるのなら、そちらの方が簡単です。どうぞ自分に合ったカウンセラー、コーチ、メンターを見つけてください。私のメンタリングは無償です。気になったら扉をノックしてください。

今日も明日も明後日も、上機嫌で行きましょう。あなたの笑顔が人を幸せにします。


ではでは
三川屋幾朗@mikawaya1960
 公共メンター https://menta.work/plan/954


参考:


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