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私が療育センターに通う理由

我が家の3人の息子はそれぞれ療育センターにお世話になっています。

でも利用の仕方も目的もそれぞれ全然違うから不思議!

そして今では利用する姿勢がガラッと変わりました

そんな私の感じ方や心の変化をまとめてみます。

めっちゃ長文ですが、よろしければお付き合いください。


療育センターとの出会い

療育センターなんて自分の世界には存在してませんでした…どこか他人事。

それが突然、自分の生活に入ってきたのは長男が2歳のときでした。

保育園で人との関わりがあまり見られないことを心配され、発達相談に行きました。

知的には問題ないけれど発達に凸凹があると言われました。

本来なら親子教室などの参加で様子を見るところだったのですが、次男の育休からの仕事復帰が目前だったため、直接療育センターにお世話になることに。

その頃、私は長男と親子関係がうまく築けていなくて、というか長男と心を通わせることがうまくできていないと感じていて、どうしたらこの子と心を通わせることができるのかと思っていました。

クールで淡々としていて、自己表現があまりなくて、理解が難しかったんです。


この頃、同じ歳のお友だちとそのママと遊ぶ機会があったので、その子のおうちにお邪魔してみました。

私は長男と遊ぶときは必ずオモチャが必要でした。

オモチャを通して関わるカタチで、何にもないと関わりようがない感じ…なので、家にどんどんオモチャが増えたんですね。

それが、同じ歳のお友だちはオモチャがなくたって全然ヘーキ!!

遊ぼってくっついてきて、こちらが何かを用意しなくても何も考えなくても次から次へと言葉や遊びが出てきて、こっちが遊んでもらっている感じ

長男との関わりとは全く違うもので、ビックリしました。

フツーに遊べて、私が子どもと遊ぶのが苦手なんじゃないんだってわかってホッとしました。

関わるってやりとりで、相互的なものだものね。

私の子育てが下手だから、私が母親らしくないから・・・と思い込んでいて苦しかったので、この経験がちょっぴり心を楽にしてくれ、前向きに長男との関係性を考えていこうと思えました

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長男とどうしたら心を通わせられるのか、それがいちばんの私の想い

当時、自分の想いはわかっていたのに、その手段を選ぶための思考の過程がこんがらがっていた私。

長男の人との関わりを伸ばしていくには、まずは母親からだと思っていたし、私が関わり方を学んで実践すればいいと思っていました。

療育では主に安心できる環境の中で、子どもたちが社会的なルールや集団参加の仕方をスモールステップで学んでいくことを実践していました。

私は長男の気持ちにできるだけ寄り添い、一緒に活動を楽しみました。

長男から気持ちが聞けることはあまりありませんでしたが、安心できる環境づくりや事前の心の準備の方法など、母親としてできることを何でもやってみました。

2人の時間が持てたこと、子育てや子どもの行動、感じ方などの学びが多くあったことはとても貴重だったと思っています。

でもちょっとズレていたんですよ。

結局、療育センターでやっていたことや私が実践していたことは社会適応を高めるためのスキルや環境でしかなかったんです。

それを通して長男との関わりが増えたことは悪くはなかったけれど、「安心して社会に適応していく」前に「母と子の関係を確立」したかったわけで。

「社会適応のためには人との安心できる関係が土台にあることが大事」という話はあったし、その通りだと思ってきたし、そのためのスキルを獲得するのだと信じて疑わなかったのだけど、出会ったどの大人とも長男は心を開くことはなかったんです。

保育園でも療育センターでも長男はとっても好かれたし、私からすればとても好意的で思いやりにあふれた先生方ばかりで、長男はとても恵まれている、と感じていたのに、長男にはなかなか届きませんでした

そう、療育的な関わり、つまり構造化やスケジュールの見える化などの丁寧な関わりは長男の安心につながっていたと思うけれど、それが一番必要なことではなかった・・・今思うとそんな感じです。

社会適応のための手立てを考える前に、長男の感じ方、考え方、想い、それらにもっと想いを馳せ、楽しみ、長男らしさをただただ感じるだけでよかったのかもしれないなぁと。


今はそれを実現できています。

おうちでは長男らしい姿を見せてくれています

たくさんの表情を見せてくれるようになったし、話もしてくれます。

私や夫以外の大人とはまだ難しいし、同じくらいの子どもとはもっと難しいのだけれど、一番近くにいる私でも8年かかったんですから、時間はどうしてもかかるんでしょう。

私はずっと多くの人間と深く関わる仕事をしてきていて、人と関わることや深く理解することにはそれなりに自信はあったんですね。

だから長男との関係を築けないことで、当時は母として、ひとりの人間として、自信をなくして落ち込んでしまい、家事や育児、仕事へのエネルギーが落ちていました。

長男と長年関係が築けなかったことはそれくらい私にとって大きかったんですね。

なんとかしたくて、子どもと丁寧に関わるためのノウハウや心の発達の知識を知ることに一直線だった私。

それは今にも活きているけれど、目の前にある支援を手当たり次第やってみるのではなくて、今、目の前の子どもとの関わりで一番大切なことなのかを選択する必要があると思いました。(言葉にすると当たり前のように感じるけれど、感覚的には難しかったです・・・発達障害=療育だと思い込んでましたしね)

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長男と療育センター

長男が感じること、考えることは多くの同じ歳の子どもとは大きく違いました。

私が何も考えずにすんなりと行動してきた多くのことが、人によってはこんなにも嫌だったり、やりたくなかったり、意味のないものだったりするのだと知り、びっくりでした。

人が多いのが苦手で、目立つのが嫌で(すごいことでも)、ゆっくりと自分のペースで物事に取り組みたい長男に学校は合いませんでした。

学校に行かなくなったのは小学4年。

1年半経った今、家にいて生活していることがとても自然で、私の知らない多くの知識を持っていて、淡々と生活していて、時には堂々としていて、理路整然と物事を話す姿に、悪くはない環境なのだろうな、と思います。


そんな長男が今、療育センターとつながっているのは睡眠導入剤をもらうため

たくさんのお薬を試して「メラトベル」という新薬に落ち着きました。

これはメラトニンというホルモンに作用し、睡眠のリズムを整えるお薬なんだそうです。

眠りたいのに眠れない…そのためにお薬の力を借りています。

今は外で思いっきり体を動かすことはなく、行動範囲も狭いので、仕方ない部分もあると思います。

そう思う一方で、実は本人の眠れない…という訴えを私はちょっと軽く考えてしまっていて。

というのも、それなりに眠れているようにみえたから。

それなりに寝られているようだし、朝も起きてるし、大丈夫じゃないのかなって。

でも本人はつらかったみたいです。(私って目に見える事実だけで判断しがちなのね、と自覚)

その気持ちに主治医の先生は寄り添ってくれました。

主治医とのやりとりを見ていてもう少しエネルギーが溜まるまで、お薬の力を借りて、安定した生活を送ることを大切にしようと思えました。


こんなふうに主治医の先生がとてもよく理解してくださっていることが、私と長男の心強さにつながっています。

いつもハッとする言葉をくださるし、長男にとってはわかってくれる貴重な大人の一人です。

ちょっと違った視点で話をしてくれる存在というのは、こんなにも心強いのか、と思いました。

何をするわけでなくても、時々会えるだけで、言葉をもらうだけでありがたい存在

人としてどうとか、価値観がどうとか、そういうのは関係なしに、ただただ他の誰もが言わない言葉をサラッと言ってくれる・・・そんな先生です。

私も子どもにとってそういう存在でありたいという気づきももらいました。

そんな主治医と会うために、療育センターでフォローを続けています。

中学になったらもう通えないのだけど。

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次男と療育センター

長男は年中から2年、週1回の療育に通いました。

次男もそうしようと思っていました。

三男の産後で育休中なので、ちょうどいいと思っていたんです。

でも長男のフォローと三男のお世話をしているイレギュラーの多い状況で落ち着いて通えるか、と冷静に考えた結果、心理相談のみでフォローしてもらうことにしました。

長男とは全然違う特性を持つ次男。

喜怒哀楽が激しく、気分屋で、ムラがあって、密かに不安が強くて、そんな次男に私はなかなか寄り添ってあげられずにいました。

私が近づくと、その刺激で次男は感情的になりやすかったんです。

長男との安定した関係とは全く違い、適度な距離感が必要でした。


次男は年長からストラテラを飲み始めました。

それまでは家で落ち着かず、ずっと動き回っていたし、よく物をいじっては壊していました。

クリスマスツリーの飾りも次男によってあっという間に全てが解体されてしまいましたしね。

それから、人から指摘されたことの理解がとても弱かったです。

状況の把握や口頭での言葉の理解が弱いように感じていました。

なので、大切なことは4コマ漫画のような感じのイラストで状況を客観化し、実際のセリフと心の中のコメントを書き出してなんとか伝えていました。


そんな状況だったのが、薬を飲み始めてからはらくがき帳に向かってよく絵を描くようになりました。

次男の絵はとても写実的というのかしら・・・好きだった電車の絵がとっても上手でした。

集中して何かに向かえるようになったのは薬の効果でした。

言葉だけでの指示理解は良くなったし(学校ではこればかりでしょうから)、話し言葉に感情で反応する感じも減りました。


その後、小学2年まで頑張ってストラテラを飲みましたが、本人がどうしても嫌がるのでやめました。

シロップは味が苦手だったし、錠剤は苦くて喉にひっかかるのが嫌だったみたいです。(カプセルは試していません。試そうとしていた矢先でした)

何より、薬を飲んでも本人には変化の自覚がなかったため、必要性を感じなかったというのが大きいと思います。


薬をやめてから落ち着かなさは戻り、授業への参加もムラがあり、勉強はどんどんついていけなくなっているみたいです。

でも今は毎日友だちと大好きなトカゲと公園で遊ぶ次男らしさ全開な姿に、私はこれでいいような気もしています。

薬は助けて欲しいと思ったときに飲めばいいんじゃないかな。

主治医は長男と同じ先生なのですが、薬を飲み始めるときに

「これは応援シロップです」

と、とてもシンプルな言葉で次男に伝えてくれたんです。

本当にそう・・・応援して欲しいと思った時に飲めばいいよね


薬をやめてからは療育センターからは遠ざかっています。

先日、教育相談に行ってお話を聞いたので、今は親が適度な距離感を保ちつつもしっかりと向き合い、サポートしていく必要があるよね、と夫とも話しています。

薬を飲んでいたからあんまり注目してあげられていなかった次男…もっともっと寄り添って、理解してあげる必要があったよねって。


次男の療育センターとつながりは、年1回の作品展の参加

去年はズタボロでした。

私との関係もうまくいってなかったし、学校でもいろいろあったし、少し親子関係に距離を置いていた時期だったので、何かに一緒に取り組むことはとてもハードルが高くて。

なんとか形にはできましたが、まぁいろいろありました。

療育センターを通してそういう経験をさせてもらえるから、親としてハッとするし、見直そうとも思えるんですよね。


そんな状況から、次男への関わり方については夫と夫婦ミーティングを重ね、宿題などの学習は夫担当、私は日々のフォロー担当、役割分担をすることにしました。

上と下に挟まれて、つい目が届かなくなりがちな真ん中だけれど、見てるよ、という声かけはしていこうと話しました。

指摘とかアレコレうるさいことを言いたくなるけれど、そこは最低限にして、どうでもいいことの声かけを増やしていくようにしました。

あとは好きなトカゲのこととか。

で、ついテンション上がってやり過ぎるときとか、疲れて八つ当たりループにハマっているときとか、注意散漫で話が聞けなくなってるときには怒らずににらみをきかせるっていうスキルを発動することにしました。

ヤベッていうブレーキをどう作動させるかって結構難しい。

にらみをきかせるって、次男には必要です。

私にもわかる、ブレーキかけたいのにかけられないときがあるから。

愛情たっぷりのにらみです。


そんなふうに、親としてのあり方を見直せる機会をいただいている…次男の療育センターとの関わり方はそんな感じです。

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三男と療育センター

この子は知的な遅れもあるし、自閉症スペクトラムの特性もハッキリしています

保育園でも幼稚園でも理解と支援をお願いし、ハッキリしているためか対応もしやすく、それなりにうまく回っています。(保育園・幼稚園の理解あってのことですが、恵まれました)

そして、三男も長男と同じように年中と年長で療育センターの週一回の通園を利用する予定でいました。

でも本人の不安や拒否が強く、私もその対応を考えたらキャパオーバーになることが必須だったので見送りました。

私は療育センターに長く通って実感したことがあります。

サービスは本人だけのためを考えるのではなく、家族全体のバランスを考えることも大切だと。

家族それぞれの状況やスケジュールの中での優先順位を考えて決めていけると、ママの負担も過負荷にならずにすみますよね。


そう考えたとき、この子は今の生活基盤をしっかりさせてあげることが先決だと思いました。

今の困りごとは睡眠、食事、トイレ、行動の切り替えなど、とても基本的な身の回りのことなんですね。

社会性がどうのとか、ルールを理解するとか、もう少しあとでいい

今はこの子のペースで家や幼稚園で生活できているし、幼稚園の理解もあるから、落ち着いた生活を送る中でリズムをしっかりつけたり、なんとなく世の中のことを理解していってほしいと思っています。


私がこの子にしていることは、よく出かける先は写真に撮っておいて、また行くときにはそれを見せて見通しをつけやすくすること。

スーパーやドラッグストアはポイントカード、病院は診察券、療育センターは作業しているところの写真、すべて次の行動の手がかりとして本人に見せています。

それから今していることの終わりをどうつくるかを考えること。

見せなくする、終わりを伝える、一緒に片付けるなど…それが難しいときはラムネやグミなどを見せて意識をそらすことも有効です。

そんな工夫で、本人の意思で行動できたりスムーズに生活できるサポートをしながら、日々を過ごす、経験を積み重ねる、そんな感じです。


また、この子のとってもステキなところはとても穏やかで、いつもニコニコしていて、仕草がかわいらしくて、誰からも好かれるところなんですね。

誰よりも自分らしく生きていて、楽しそうで、うらやましくなります。


家でも幼稚園でも偏食があって、幼稚園の給食を食べないからおにぎりだけは持たせるようにしていたりするのだけれど、本人はそれも楽しんでいる様子。

言葉はだいぶ増えたのだけど、興味のあることはどんどん増えるのに、一般的なことってなかなか習得しないんです。

まだワンワンどーれ?は難しいんじゃないかな。

興味ありませんって感じ。

そのくせ、みかんの本でみかんの種類はかなり答えられます。

デコポンとかはっさくとか文旦とかせとかとか。

数字や文字にも強くて、パソコンであいうえおのタッチボードは早いうちから自分の名前を打ってました。

ビジュアルには強い。

でもなんていうか、世の中そういうもんなんだよ、みたいなのはなかなか難しい。

なので、幼稚園でも集団参加はまだまだです。

無理強いしないでいてくれる幼稚園に感謝です。

そんな生活の中で私は、「この子にはこの子のペースがあって、自分なりに考えて成長して生きていくんだっていうパワーを持っているし、感じるから、親としてもあんまり心配にならない」、不思議な感覚です。


夜も寝ません。

夜は眠くなるもの、という当たり前が当たり前ではないことを目の当たりにしました。


いろいろあるけれど、まぁ大丈夫だわ、と思っているのが三男で、おそらく療育センターとはしばらくお付き合いしていくと思います。

三男は完全に三男ワールドで生活しているので、どこで折り合いをつけていくのか、環境を選ぶ判断などを一緒に考えてもらう関わりになるかな、と思っています。

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私の考える療育センター

あくまで私の考える、感じた療育センターです。

長く付き合ってきて思うことです。

ひとつの考えや感じ方として受け取ってくださいね。


私は、療育センターって子どもの訓練じゃないって思っています。

もちろん毎日の通園だったら、それは身に付けるための練習になると思うし、身についていくものだと思うけれど、時々受診するとか週1回の通園とかは子どもがスキルを獲得するというよりは親への支援だと思っています。(もちろん子どものスキルも上達しますが)

親の考え方や関わりが変わることで、子どもへの影響が変わる、環境が変わる、その積み重ねが子どもを変える

私は長男を育てているとき、どんなにいろいろやっても普通に育っていかないことに不安でいっぱいになりましたし、親としての自信もなくなりました。

それでも親業って続くし、その歳の子どもへの影響って取り返しがつかないじゃないですか。

不安だからソワソワ、グジグジ、メソメソ・・・でもそれでは何も変わらない。

わかっているけど前が向けない、どう接していいかわからない、不安でどうにかなりそう…そんなもんです。

だから親がたくさんサポートしてもらえる環境って大切です。


それから、子どもたちの心の世界を知る手がかりをもらうためだと思います。

脳のタイプが違うと感覚も思考も自己表現も全然違います。

意味がわからないことも多いです。

でも母親って何かと外部の世界と子どもとの通訳的な役割になることって多いですよね。

だから子どもが理解できていないとトンチンカンなことになってしまう・・・私はそんなことばかりでした。

通訳であり、マネジャーである母親、そのために必要な相手の理解の手がかりをもらう場所が療育センターです。

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丁寧に関わることの加減の難しさ

一筋縄ではいかない子たちだけれど、丁寧に関わることでとてもいい力を発揮しますよね。

でもね、私はこの「丁寧に関わる」の感覚を実感するのが難しかったんですよ。

発達障害の子の子育ては一般的に「多数派の子たちより丁寧に関わる」ことが大事で、多数派の子たちと同じように育てるとネグレクトになってしまうんだそう。

それはどういうことかというと、ただ言葉で伝えるよりもイラストや写真などの見えるものも用いた方が理解を促しやすかったり、スケジュールを事前に把握できた方がスムーズに行動できたりするからです。

その子の発達段階に合わせた関わり方、が大前提にあり、大人側の都合や感覚でやってもなかなか通じないってことです。

逆に言うと、定型発達の子たちは親の子育てのやり方にある程度合わせられる能力や幅を持っているということです。

子どもってすごい!!!


私は丁寧な子育てをしなきゃいけない、と意識しすぎて、丁寧を通り越して言いなりになりすぎた過去もあります。

パニックになった時はクールダウンが必要・・・をパニックにならないように用意周到に行動しすぎて振り回されてしまっていました。

パニックになったっていい、大丈夫だから!

それが実感できるまではつらかったです。

なぜか・・・それは私も良くキャパオーバーでパニックになり、ツライ思いをしてきたから。

そのつらさに寄り添ってほしかったし、わかってほしかった・・・その私の心の声に引きずられ過ぎました。

自分の潜在意識って思っているよりも手強かったです。

長男には理解してあげたい気持ちが強すぎて、自立を妨げてきたようにも思います。

適度って難しい・・・それは私のADHD特有の振れ幅の大きさも関係しているかもしれないですね。

さじ加減ってものが一番難しくて、ガッツリ完璧すぎるくらい、もしくは反対側に振り切れるくらいまでやってから、少しずつ戻ってきて「ちょうどいい加減」を調整する・・・そんな人生なんです、私。


そう、子育てって自分を知る、子どもを知る、お互いの気持ちややりたいことの折り合いを考えていく、お互いがわかりやすいコミュニケーション方法を選択する、究極の人間関係!?だし、バランスって大事ですよね。

それを作り上げていくのに自分が苦手だと思われることをどんどん誰かの力を借りていく、それが私には療育センターだったと思います。

実は夫は療育センターの力を借りなくても子育てしているし、子どもたちとなんとなく分かり合えている感じなんですね。

感覚が鋭いのかなぁ・・・物事の道理や人との距離感をよくわかっているからか、私ほど困り感がないんですよね。

私はやり方も加減の仕方も理解の考え方も全てわからないことだらけ。

理屈で理解するタイプなのかもしれません。

療育センターでは理屈で教えてもらえて、やってみた後の加減の仕方も共有してもらい、考えてもらう、子育ての伴走をしてもらった感じです。


長くなっちゃいました。

8000字超えか・・・もっとシンプルにわかりやすい投稿にできるよう、精進します(笑)

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