見出し画像

どんな選択をしてもいい〜しんどいワーママからの脱出〜

我が家は息子が3人…それぞれに発達特性が合って、自分がされてきたような子育てやフツーの育児のやり方ではフツーに生活ができなかったのね。

4歳三男はいまだに言葉のやりとりが難しいし。

そんな中では、仕事との両立もバランスが難しかった。

でも子どもに特性があったから、子育てや仕事との両立が苦しかったわけじゃないのよね。


いろいろと頭の中を整理していたら

「自分への期待が強すぎた」

からじゃないか、と最近は感じてる。

娘として、妻として、母として、嫁として、専門職として、ママ友として….ぜーーんぶ。

そんな複雑な心を、甘くしたコーヒーを飲みながら整理する記事ナリ。


次のステージに上がるために必要なこと

私は目についたもの、気になったものは何でもやってみたい衝動に駆られるのだけど、その心には大抵、

「上手くいってこうなったらワクワクするな」

と思っていて

「こうやってこうしたらできるんじゃないかな」

と早合点する。

でも現実の生活と自分のキャパと能力と時間など、いろんな要素を総合的に考えて計画できていないから、どこかに無理がかかるのは当たり前で。

そんな無理がある状態で続けていくって難しくて。

結局両立し得ない、そんな感じ。

子育ても仕事も家のことも社会とのつながりも学校との連携もどれもみーんなうまく回していく、そんなの難しいのよ。


何事にもチャレンジできることはいい部分なんだけど、そろそろ自分に必要な選択と計画的に行動できるステージにレベルアップしてもいいんじゃないか、と思ってる。

なんでそこに到達できないのか。

私は身の丈を理解してないからじゃないか、と分析。

身の丈、つまり今の自分ってどんな状況かという理解もそうだし、自分の心や体の状態をよく理解しているかもそうだし、今後こう行動したときにどうなると予測できるかといった見通しの理解もそうだと思う。

そんなときに身にしみて感じる言葉は

『たるるを知る』

と言うこと。

画像1


初めて出会ったのは8年前くらい

『たるるを知る』

という言葉に初めて出会ったのは8年前。

私が仕事で脳血管障害後のリハビリの担当をしていたAさん、80代男性がよく言っていた言葉。

今思うと、たるるを知らない私を感じて言ってたのかもしれないなぁ。


会社の社長だった方で。

運動障害はほとんど症状としてなかったので、自宅に退院するまでしっかりと日常生活動作を自分で行えること、筋力や体力を回復させることをメインでリハビリをしてたのね。

検査上では軽度の認知症もあった。

まだらな感じが脳血管性の認知症とも取れたし、年齢相応といえば相応なのかもしれないとも感じるくらいで、リハビリ遂行には大きく影響しなかった。

例えば、その話昨日もしてたよね?的なものだったり、昨日やったことを忘れていたり。

だけれど、時々とても鋭いことを言ったり、わかっているのだけど認知症を演じてるんじゃないかと思えるようなこともあった。

特に家族の前ではそんな感じで、リハビリで話している時よりも「ボケちゃったおじいちゃん」を演じているような雰囲気があった。

だから私はなんとなーーくだけれど、その方は元々の部分にさらに上乗せして、というかそれに便乗するかのようにして、認知症を演じることで自分らしく生きることをコントロールしているように思えたのね。

生きる知恵のように思えた。

家族は困ることもありそうだけれど。


私はAさんのそんな知恵に付き合うのが好きだった。

それに付き合いながら、仕事につなげていくのも楽しかった。


例えば

「昨日はどこをどうやって歩いたっけね?」

と言われたら、院内〜院外をあっちこっちウロウロしながら、一緒にあーだこーだ悩みながら歩いたり。

そうやって20〜30分歩く時間を稼ぐことがあったのだけど、特に座りたい感じも疲れた感じも見られなくて(客観的評価としての心肺機能は数値として残しつつ)、体力は問題なさそうだな、なんて評価につなげたり。

話しながら歩いて、昨日はここでこんな話をしたとか、ここで何を見たとか、そんな話がどれくらいできるかも判断したりした。

「明日はここまで20分で来られたらハイタッチしましょうよ!」

と約束したり。


Aさんがお仕事の話とか家族の話をすることもあって。

そんな話を通して、Aさんがとても穏やかで何でも受け入れられるような心の広さを感じるのと同時に、その奥にいろんな経験や戦略も感じて、人間の深さにいつも心打たれてた。

人生の先輩として、カッコいいな、こんなふうに歳を重ねられたらいいなって思ってた。


そんなAさんが時々よく口にしていたのが

『たるるを知る』

だった。


十分、足りているんだよ。


Aさんの佇まいそのものだったと思う。

でも、ジブンゴトには置き換えられていなくって、今になってやっとその言葉が沁みてる。


私は十分に足りてる。

画像2


子育てに置き換えるとこんなこと

『たるるを知る』を子育てに置き換えると、こんな感じなんじゃないかと思う。


「理想にはほど遠くても、今私ができるレベルで十分にやれている、ということを認めること。」


何でも同じ。

母としてだけじゃなく、妻としても嫁としても娘としても専門職としてもママ友としても。

今、私がやれていること、それで十分に足りているということ。

「足りない」じゃないんだってこと。

ちゃんとやれなくていいんだってこと。

仮に足りないと思ったとしても、それで十分だってこと。


<心の声>

もっと仕事やりたいのにやれない、満足できない、お金だって足りない!

→十分、足りてるよ。


もっと子どもと関わってあげる時間を作ってあげられたらいいと思ってるのになかなかできない

→十分、足りてるよ。


もっと仕事をスキルアップしたいのに、できてない

→十分、足りてるよ。


自分と向き合わないと感情のコントロールも子育ても人との関わりもうまくできないよ

→十分、足りてるよ。


おうちの中の整理整頓、あれもこれもしたいのに終わってない!

→十分、足りてるよ。


家中の掃除に少しずつ手をつけたいのに、毎日で手一杯で汚れがどんどん溜まっていくよ!

→十分、足りてるよ。


今、あれもこれもやっておかないとこの先が!!とどうしても焦っちゃうよ。今やらないでいつやるの?って。

→十分、足りてるよ。


今、十分に足りている、というところからスタートする。

そうすることで、心の余裕が持てる気がする。

足りないと思っているとできなかったらマイナスだけど、足りてると思ってやるとできなくても仕方ないねって思える。

そんな感じ。


対外的に

「できなくても仕方ないでしょ?」

ということじゃなくて、自分の中で十分やってるよ、と自分に納得させるために。


外側に出していくものと自分の中のことをキッカリと分けて考えて、自分の中では常に今のままで十分と思えること。


じゃないと、例えば上司に

「君は勉強が足りない。

 もっとこの部分を勉強しなさい。」

と指摘されたとき、本気で

「こことここを勉強ね、了解!」

としか捉えられないと思うから。


物事は多面的に見られた方がいい。

もちろん素直に受け取る部分も必要だし、それを疑ってかかる部分だって必要。

全てをそのまま取り入れないでいいし、自分にとってそれは必要なことか?ということをもっと吟味してもいいと思う。

私を守るために、聞き流したりしても悪くない。

それだって十分な理由だよね。


そういうキャパというのかな、自分と相手との隔たりの中にいろんな気持ちや考えの自分がいて、どれを選択するのか自分で選ぶという感覚。

絵にしたら、こんな感じかな。

画像3


大切なのはさ、自分の考えということ。

世間的にはこうだから

周りが求めているから

常識的にはこうだから

こうすべきだから

という理由だったとしても、それを重んじている自分の考えを選ぶということ。

その意識が大事。

私は自分の中の意見たちの中で、それを重要だと判断した、ということ。

周りが求めているからそれを選んだ方がきっといいんだろうな、とか、そうすべきなんだろうな、という意識で決断しないということ。

自分のいろんな意見の中で、自分がそうした方がいい、と思って選ぶことが自己責任にもつながるし、自分を大切にしていることにもつながると思う。


結果は同じかもしれなくても、自分の中の意識は全然違う。

全てはジブンゴト。

どんな選択をしたっていいし、間違いはないってこと。

「周り」は関係なくて、「自分」を大切にできるってそういうことなんじゃないかな。

画像4


悩んでるときは立ち止まったっていい

選べないときだってあるじゃない?

私は仕事も子どももどっちかだけ!なんて無理だもの。

ホントは両方ともちゃんとやりたい。

でもそれは難しいし、どちらかを手放すのも無理だ。

もっというと子育ては親だから手放せないわけで、仕事を手放すべきだ、と考えてしまうのだけど、どちらも大切、でいいと思う。

どちらもやれるだけやる。

やれない部分はやらないけど、やらないでいながらも状況の変化だけは追っておく、それで十分じゃないか。

何か問題が起きそうだったら、次の一手を考えたらいい。

画像5


今のままで十分

どんな状況にあったって、今のままで十分だよ。

今のままで足りてる。

もっと!なんて思わなくていい。

できなくてダメ、とも思わなくていい。

ぜーんぶひっくるめて「私」。


例えば100人が私と会ったとして、みんながみんな私を同じように評価すると思う?

いろんな意見があると思う。

だからいいの。

十分なの。

それが私なの。

それでいいの。


目の前にいるメダカたち。

画像6


このメダカちゃんたちにとって、私はエサや掃除、水換えなどをちゃんとやってくれたらいい人でしかなくて。

職場の雇用主からしたら、私は専門職の仕事をやってくれればいい人だし。

子どもにとっての親だって、子どもにとっては自分にとって都合のいい親だったら一番いいわけで。

でもそううまくはいかないじゃない、人間だもの。

たまには違うこと優先したりしちゃうよね。

いろんな私がいるけれど、私はひとりなんだもの。

ハイ、大きく息を吸って深呼吸!!

もう少し肩の力を抜いていこう。

画像7


この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

私のコーヒー時間

サポートのお気持ちがとっても励みになります😊✨その幸せの気持ちを他のたくさんの方へつなげていきたいと思います🎶