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中学生で挫折し逃げた過去

おはようございます、こんにちは、こんばんは🌈

自分は小学2年生から少年野球をやっており、中学生に進学すると同時に、全国で優勝するような強豪の硬式クラブチーム(シニアチーム)に入りました。

そこから、挫折してしまった過去をお話ししたいと思います。

✅野球との出会いと少年野球の頃

小学2年生の頃長男が野球をやっていたことで「ついで」みたいな感覚で親に反強制的に入れられました。

嫌じゃなかったから辞めたいとか思いませんでした。

小学3年生の10月頃には6年生の試合にも出させてもらえるようになり、学年で1番上手かったです。(自分でいうのは恥ずかしいけど)

そんなこんなで、6生の頃にはキャプテンを任され30人以上いるチームを引っ張っていきました。

戦う相手の指導者にも、

「いい選手だね」と褒めてもらったことが何度もありました。

が、途中で肘の怪我をしてしまって利き手を使えずに、利き手ではない左で野球の試合に出たのを覚えています。

両利きだったので少しぎこちないながらも、ヒットを打てたりと頑張っていましたが、ちょっとした負担が肘にかかっており、3ヶ月ほど野球をやらずに安静にしていました。

肘の怪我の調子も良くなって、普通に投げれるようになりました。

なので、硬式野球の体験をしに行ったら声をかけられ、指導者だった父も勧めてきたので、中学校の部活ではなく強い硬式野球チームでやりたいと思い小学生卒業後、硬式チームのクラブに入りました。

✅自分は何者でもなかった

クラブはとても上手い選手だけが集まっていました。

最初は頑張ろうと一生懸命頑張りましたがレベルが高いというのもあり、レギュラーがとれませんでした。

練習にはよく父も見にきていましたが、父は少年野球の指導者だったこともあり、口出しをすごくしてきました。

休憩中や試合中にも小声で

「ちゃんとやれよ」などと言ってきました。

当時中学1年生だった自分にとってすごく怖くてコーチに怒られるよりも父に怒られるのを怖がり集中して練習できなかったらりしていました。

もっと、周りの友達みたいに伸び伸びと野球をしたかったのに、びくびくしながらする野球ほどつまらないものはありませんでした。

また、成長痛などと体の痛みや過去に壊した肘が壊れ、一球投げるたびに肘が痛くても「肘が痛い」と言ったらまた何か言われると思い痛いながらやり続けました。

次第に野球が嫌いになり休むようになりました。

中学2年生に進級すると同時にクラブチームを辞めました。

少年野球の頃まではチームのトップとして野球をしていたのに、全国にもなると自分は大したことないんだなと思いました。

✅だから今の自分がいる

・高いレベルで野球ができたから、世の中の凄さがわかった。
・高いレベルで野球ができたから、自分に甘いと気付かされた。
・高いレベルで野球ができたから、自分は弱いと気付かされた。
・高いレベルで野球ができたから、努力の大切さがわかった。
・高いレベルで野球ができたから、自分は何者でもないとわかった。

今覚えば、父が厳しくしてくれたからこのままではダメなんだと気付かされた。

今まで、どんだけ甘えていたかが分かった。

どんだけ努力が足りなかったのかも分かった。

本気で取り組んでいなかったんだと思った。

だから父は怒っていたと分かった。

それも知らずに当時は逃げ出した。

情けない自分が嫌になった。

これらに気がつけたから、少しずつでも変わることができた。

だから今は、父には感謝している。

中学生の頃を思い出すと涙が出ることだってある。

中学生の頃の夢を見たら涙を流しながら起きたことだってある。

それほどの経験を中学生でできたことが今の自分にとってどれほどプラスのことか。


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