みいちゃんねる

海の見える町で3人の娘たちと。

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最近の記事

蝶を見たらきっと思い出すこと

「ママ、いい経験になったよ。大丈夫、もう大丈夫。」 週末、小3の娘が3匹のモンシロチョウの幼虫を持って帰ってきた。 学校で育てているブロッコリーから卵を採取して孵化させ、 希望する生徒が週末のお世話をすることになったそうな。 数時間おきに様子を観察しては 体の大きさの割に頻回にするフンを捨て、 真面目な彼女らしいなと見ていた。 キャベツかブロッコリーをあげたいと言うが、 生憎うちには今ない。 ってことはアブラナ科の小松菜ならいける?と調べてみると大丈夫そう。 これあげと

    • その重み。

      真夏の太陽で熱された車内に入る。 わかりやすく空気が重く感じる。 すぐさま入れ換えて涼しく、 なんて考える間もなく、 エンジンをかけて窓を開けるが道理ってもんな気がする。 でもその重さを感じたくて、 感じる必要があると思って、 空気が出ていかないように運転席に座りさっと扉を閉める。 暑い 空気が重い 息が苦しい 一気に身体中から発汗する様を感じる。 ふと脳裏に学生時代に教科書で見た収容所の中を思い浮かべる。 私は心に痛みを感じると、 すぐにそんな情景を思い浮かべる癖が

      • 旅の途中

        オーナーと話す。 大抵のことは自分の中にある "怖さ"や”知らない”というだけのことだと 口から溢れる。 私は、怖いのだ。 孤独が。 私の心の中にまで他者がいる それもたくさんの。 ここを閉じてみたらどうなるのだろう。 ちゃんと孤独を自分で選んでみたらいい。 佇む木々が美しい。 この雨が染み渡っていき、 いずれ海に流れ着くことを想像する。 自然の摂理。 私に染み渡るものは一体どこへ流れる。 一つの身体に無数の生命が宿る。 脈々と続いてきた生命、 日々私の中に入る生命、

        • 怠惰を愛す

          思いもよらぬことをどう受け取るのか。 大概のことは想定できるという人もいるけれど、 一日の中のほとんどのことは想定外だと 私は感じている。 水を飲もうとコップを取ろうとしたら、 棚の中のコップが定位置になかった。 トイレに行こうとしたら先約がいた。 玄関のドアを開けたら強風に煽られ、 セットした髪が崩れた。 実際はそんなことだらけだ。 その都度、判断と選択をしている。 じゃあ違うコップにしようか、 いつものコップを探すか。 トイレが空くまでここで待つか、 違うことをし

        蝶を見たらきっと思い出すこと

          何度でも、

          その人にしかない心の動きを、 どうやって知ることができるというのだ。 自分自身だってそんな心の機微に触れられないのに。 わかったような気になることはとうにやめた。 同時に自分のことも。 これまでのことは良いも悪いも過去は過去で、 これからのことはまだ起きてもいないこと。 時に、自分以上に自分を理解する人に出くわす。 そんな背中をしてたんだと恥ずかしくもあり、 嬉しくもあり。 そんな時にはもっと教えてよ、 あなたの目にはどんな私がいるの、 って尋ねればいい。 とても簡単な

          受けて立てよ。

          言葉を、待たない。 とあの時言った。 自分の引き出しに言葉がもう何も無くなったからだった。 もう自分を言葉で説明することをやめたのだった。 言葉と同じくらい、心も失った。 雨も風も寒くない。 光も炎も怖くない。 無防備にそこに居ることしかできない時間だった。 あれから何が変わったという。 私は相変わらず何も持っていない。 ただここに居る、ということが 今度はとても迷惑なことに思えてくる日もあるくらいだ。 なんとだって解釈していい人生なのに。 いつまで自分で自分の人生を引

          受けて立てよ。

          涙の源泉

          モノクロの世界を愛せはしなかった。 見えない、聴こえない、届かない そこはまるで一人きりの世界。 動かない心に火をつけようとしても、 音も立てずに白い煙をあげて消えていく。 なんだ。 空気すら薄いのかこの世界は。 閉ざした自分を、世界に閉ざされたと思い込む。 自分勝手に歩むことを、自分自身が認めないのだ。 私の涙の源泉は結局愛だった。 でも愛にまた笑わされるのだった。 そう、続きがあってね。 大丈夫と呟く人は 大抵大丈夫じゃないことを知っている。 だから、大丈

          肌寒くなったから、もういくね

          ここに巣などあるはずもない。 君はどこから来てどこへ向かっているんだい。 そんなに急いで そんなに迷わず どうして空を飛べるんだい。 いつか幕を閉じる瞬間に、 今日という日は思い出すこともないだろう。 誰かに話すような日でもないだろう。 毎日ドラマティックなことが起きるわけではないのだから。 それならいつも片隅にあるそれはなんなんだい。 なぜずっと心の中にある。 なぜそれでも歩もうとする。 なぜ信じ続ける。 身体を整えてみるくせに、 雑にしてしまうときがある。 心を守

          肌寒くなったから、もういくね

          見えない星座

          風を感じて思い出す匂いがある 通い慣れた駅を降りて思い出す場面がある 海を見ているともう一度だけ会いたくなる人がいる 夜空を眺めて思い浮かぶ顔がある 永遠を願って叶わなかった恋がある どれも私にしか知り得ないひとときたち。 海を越えてみたくなる 夜空を飛んでみたくなる どんな日でもいいから明日を迎えたくなる 知らない何かに触れてみたくなる そんな願いもまた私だけの人生だ。 喜びも悲しみも経験して、 多くを得ても尚求め続ける。 自分が自分で在れることを望む

          見えない星座

          なんてことないこと

          あの木に葉が生い茂る頃、 それを美しいと思う心はそこに在るのだろうか 近くで聴こえる若く生命力溢れる声と 遠くどこからともなく聴こえてくる木々の囁きに ひどく心が揺れる 足元では小さな生命がせっせと駆け巡り 空を見上げれば雲が移ろい 風にのって煙が儚く消えていく 一つ一つに栞を挟む日々。 いとまもなく心は動き続ける。 抗うことはできず、受け止めることもできず。 言葉を、待たない。 心を、信じる。 どこに向かうでもなく、 陽を浴び、風に吹かれ、雨を迎え入れる。 精一杯

          なんてことないこと

          みんな、と、一人

          するすると剥がれていった先に、歪な自分が顕になる。 その渦中にいるときはなんだか少し心地よかったりする。 浮き輪に身を委ね、水の流れに身を任せてぷかぷか浮いてるような。 他者に剥がされた場合の結末は、羞恥心を伴うこともある。見たくもない自分が出てきてしまったりもする。だからちょっと居心地悪い。 でも勝手に剥がれていった場合、自分の中にあったものが見える、触れる。言語化していなかったものが浮き彫りになって、自己認識が進む。 他者と一緒にいるとそんな場面が多々あって、一人でい

          みんな、と、一人

          「いる」

          D.W.ウィニコットは言う。 移行期の赤ちゃんは母親に完全に依存しているときに「本当の自己」でいられるという。 逆に、例えば母親が赤ちゃんのお世話に失敗するなどして、身を委ねられないようなことがあると、彼らは心を始めとする生存が危うくなる。ただそこに「いる」ということが難しくなり、母親の機嫌を取ったりして「偽りの自己」が生じるというのだ。 そこに「いる」には何も理由はいらないのに、何かを「する」必要があると思ってしまうことは私も多々ある。 今この状況ですべきことは何か。

          すでに誰もが

          子どもは「今」を生きる命そのものだ。 母のお腹の中にいた時も姿形は見えないけれど、手足を伸ばして動き回っていた。当たり前のようだけど、すごくないか。 狭い子宮の中で胎盤をベッドに、たぷたぷの羊水の中に生きているなんて。 前に友達と「なんでそんなに強くいられるのか」と互いに話しているときに、考えもしなかったと驚かれた話。 みんながんばって生まれて来た。 十月十日も一人で過ごし、いざ生まれるとなれば狭い狭い産道を頭蓋骨を歪めながら一人で出て来る。誰に教わるでもなく、母の身体

          すでに誰もが

          多様な世界で生きること

          多様であることは、楽しくて学びが深くて時に煩わしい。 似たもの同士でいることは、楽しくて楽ちんで、でもそれ以外を排除してしまう瞬間がある。 少し進むと、多様であったはずの空間も、長く依存してしまうと結果似たもの同士になってしまう。 そんな経験をきっとみんなしているんじゃないかな。 学生時代の小さな世界では、教室に入った瞬間共通点探しをしていた。きっと理解しあえる人を求めていたから。そうして気の合う仲間で多くの時間を過ごすようになる。 その頃には、教室の中にはいくつもの

          多様な世界で生きること

          根っこ

          良いとされるもの、悪いとされるもの。 それらを吸収したり排出したりする身体の機能の話と、心の話の繋がりに気付いたんだ。 私たちは日々食べる食べ物のエネルギーから存在しているけれど、それだけでできているわけではない。今日の身体が昨日食べた物だけでできているわけでもない。 遠い昔の記憶に残る、母の手を握り締めながら足早に行く帰り道。夕焼け空を見上げながら友達と駆け回った日々。心がすれ違ってこんなはずじゃなかったと悔し涙を流した鈍色の日。初めて命懸けで生きることをした我が子との

          あなたも、私も。

          私もあなたも、 他人や目の前で起こることに巻き込まれながら生きていく。 同じように、気付かぬうちに誰かに影響を与えて生きている。 それなのに孤独だと叫んでみたり、自信がないからと小さくなってみたり、私は勝手だ。あなたも勝手だ。 表に出てくる反応と、心の奥底の本音にずれがあっても、大抵はあまり深く考えもしないで自分と向き合わずに過ぎていったりもする。 そんな人間が嫌い? いや。結構好き。 綻びがあると、その穴が広がらないように自分にできることを探したくなる。すぐにで

          あなたも、私も。