見出し画像

みんな、と、一人

するすると剥がれていった先に、歪な自分が顕になる。
その渦中にいるときはなんだか少し心地よかったりする。
浮き輪に身を委ね、水の流れに身を任せてぷかぷか浮いてるような。

他者に剥がされた場合の結末は、羞恥心を伴うこともある。見たくもない自分が出てきてしまったりもする。だからちょっと居心地悪い。
でも勝手に剥がれていった場合、自分の中にあったものが見える、触れる。言語化していなかったものが浮き彫りになって、自己認識が進む。


他者と一緒にいるとそんな場面が多々あって、一人でいるときに振り返って再認識して心でも受け止めることができる。(他者だけではなく、海を前にしたり月や星を見ているときにもあるなあ。)
そうして、みんな、と、一人、を行き来して自分というものが形取られていく。

大切なのは、どんな自分でも「自分」だということ。
見えてきたものが、在りたい自分でなくても例え歪であっても、そうやって評価をしているのは他でもない自分で、もしかすると誰かから見たら素敵かもしれない、歪さが美しいかもしれない。丸も三角も四角も、赤も黒も茶色も、好きも嫌いも、なんだって大切に思う人はいる。

ただ、組み合わせが悪い相手はいる。そんな場合はそっと離れればいい。自分を大切にすればいい。


そんな話をするのが好きだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?