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いつもと違う場所、違う時間の流れの中で気づくこと

先日、鎌倉へ行ってきました。

むかし何度か訪ねたことがあるのですが、ゆっくり滞在するのは、おそらく20年ぶりくらいだったと思います。

江ノ電に乗って、てくてく歩いてわかったのですが、鎌倉という街は、海と山がとても近いんですね。

海ではサーフィンやヨットを楽しむ人が、山のほうでは犬を連れた地元の人がのんびり時間を過ごしていて、いいところだなあと思いました。

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あてもなく歩きながら、無意識に「57577」のリズムで考えごとをしている自分に気づいて、びっくりしました。

少し前から通信講座で短歌の勉強をしているのですが、私の場合、東京にいて毎日同じ景色を見ているときには、なかなか歌が思い浮かばないんです。

都会での暮らしが嫌いというわけではなくて、身のまわりにも好きな場所はたくさんあるんですが、歌には結びつきにくい。

でも、いつもと違う土地に来て、違う時間の流れの中に身を置いて、遠い水平線とか、大きな山の影なんかをぼーっと見ていると、歌人ではない私も「うたごころ」がむずむずしはじめるんだなあと思いました。

鎌倉という土地の力なのか、DNAの奥深く沈んでいる日本人の「血」みたいなものなのか、もしかすると、その両方が影響していたのかもしれません。

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そうやって、決して上手くはない歌をあれこれひねっているときに、ふと1冊の本のことを思い出しました。

佐藤雫さんという作家の『言の葉は、残りて』という小説です。第32回小説すばる文学賞を受賞しています。

鎌倉を舞台にした青春小説なのですが、800年前、つまり鎌倉時代を生きた若者たちが主人公です。

「歴史ものが苦手」という方は多いですし、私自身もかつてはそのくちだったのですが、この小説はおどろくほど感覚がみずみずしくて、ふだん歴史小説を読まない方でもすんなり入れると思います。

主人公は鎌倉幕府の三代将軍である源実朝と、都から鎌倉へ、ひとりお嫁にやって来た公家の娘、信子。ふたりの純愛ストーリーに胸がきゅんとします。

源実朝は武家の生まれですが、筋骨隆々、刀を振り回して戦うというタイプではなくて、身のまわりの自然に美を見出したり、心の声に耳を澄ませたりして歌を作ることが得意な人でした。『金槐和歌集』という作品集も残しています。

物語の序盤、実朝が信子を由比ヶ浜に連れて行く場面があります。初めて間近で海を見る信子は、不安になって実朝の袖をつかみます。そんな信子に、実朝はこう言うのです。

「海は、美しいけれど、果てが無いから、あんまり見つめすぎると怖くなる」

このセリフは作家の空想ですが、実際の実朝もおそらく、繊細でやさしい心の持ちぬしだったのだと思います。「小倉百人一首」には、彼が海を眺めて詠んだ歌が選ばれています。

世の中は 常にもがもな 渚(なぎさ)漕ぐ
海人(あま)の小舟(をぶね)の 綱手(つなで)かなしも

(世の中が、いつまでも変わらずにいてほしい。
波打ち際を漕いでいく漁師の小舟。その舟の先に結びつけている綱を陸から引っ張っている、いつもの風景が切ない)

今の暮らしが穏やかで平和であればその分だけ、「どうか変わらないでほしい」と切に願う気持ち、何だかわかるような気がしませんか?

実朝は28歳の若さで暗殺されてしまうのですが、その運命を知った上でこの歌をよむと、切なさで胸が痛みます。

たくさんの思いをのみ込んで、800年前も今日も、変わらず寄せては返す波。

いにしえの人の言葉にふれると、いつもの景色が急に重層的に見える気がして、だから私は古い本を読むことが好きなのかもしれません。

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