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「空気」をおそれて会社をやめた私がみつけた、心にしたがう働きかた

携帯電話をお風呂の天井からぶら下げて、シャワーを浴びていた。

18年前、まだスマホが存在しなかった「ガラケー」の時代の話だ。

夜景のきれいな港町で、私は駆け出しの新聞記者として働いていた。

今の若い記者のひとが、どんなふうに働いているかはわからない。私が新人だったころ、私が働いていた場所では、深夜でも休日でも、電話がかかってきたら15分以内に身支度をして、事件や事故が起こった場所に向けて出発しなければならなかった。当時からぼんやりしていた私は、電話の着信に気づかなかったり、車を手配するのに手間取ったりしてよく叱られた。

休みの日も、夜眠っているときもなかなかオフモードになれず、常に心身がアイドリング状態。お風呂に入るときは、天井のハンガーに携帯電話のストラップを結びつけて、電話を取り損ねないようにしていた。

夜勤や宿直勤務のほか、大きな事件が起こると、何日か家に帰れないこともあった。徹夜で仕事をして、気絶するように眠っていたら、予定されていた大事な取材先の誕生日会をすっぽかしてしまい、午前4時に「俺の誕生日が祝えないのか」と電話がかかってきて、泣きながらタクシーでカラオケ屋に行ったこともある。

そんな働きかたを続けていたら、2年目にごはんが食べられなくなり、3年目に眠れなくなった。それはそうだよな、と今は思う。睡眠は大事だ。リラックスも大事。誰かに相談するとか、うまく手を抜くとか、落ち着いて考えれば方法はいろいろあったのだろう。でも、当時の私は「できません」と言ってはいけないと思い込んでいた

できないと答えて、叱られるのが嫌だ。行きたくない飲み会を断って、嫌われるのがこわい。「使えないやつ」と思われたら居場所がなくなる。

そうやって本音にふたをし続けた結果、いちばん大事な体と心が壊れてしまった。私の心身は何度もサインを送ってくれていたのに、その声を聴きとることができなくなっていた。

「いったん、休みましょう」とお医者さんに言われた。ゲームオーバー。上司に診断書を提出する。一度走るのをやめたら、自分の中で張りつめていた糸が切れて二度と走れなくなると、心のどこかで知っていた。診断書に書かれた休職期間は3ヶ月間だけど、たぶん、もう戻ってくることは難しい。

東京へ戻る新幹線の中で、「どうして働けなくなってしまったんだろう」とずっと考えていた。

仕事は大好きだった。素晴らしい出会いもたくさんあった。数ある新聞社の中でも、私が在籍していた会社はのんびりして、働きやすい社風だったと思う。どうしたら、もっとうまくやれたのかなあ…と悲しい気持ちで考えた。

   *

それから仕事を再開するまでに、5年の年月が必要だった。

文章を書く仕事がしたい、とずっと思っていたけれど、また同じことを繰り返すのではないかと思うと、こわくて身動きがとれなかった。

その間に結婚し、最初の子どもを産んだ。

はじめての育児(しかもワンオペ)は予想以上に大変で、帰宅した夫に赤ちゃんを託し、泣きながら深夜の街を徘徊する程度には追い詰められていた。

「1日1時間でもいいから『お母さん』以外の時間をもたないと、子どもに悪い影響が出てしまう」と思った。

さいわい、友達が背中を押してくれて、ブランクのある女性のキャリアを応援する会社との出会いがあり、子どもを預けてライターの仕事を始めた。

取材が好きだし、書くことも大好きだから、仕事はとても楽しかった。一生けんめい書いた原稿で誰かが喜んでくれる。社会の中に居場所があるって、こんなにうれしいことなんだ!

ありがたいことに、仕事の依頼はどんどん増えた。たくさんいるライターさんの中から私を選んで相談してくれたのだから、できることならば全部引き受けたい。

特に駆け出しのフリーランスにとって、仕事を断るのはとてもこわいことだ。一度断ったら、もう二度と同じ方からの依頼はないかもしれない。今月まで続けて依頼があった案件が、来月も同じように継続するという保証はない。「できません」と言えない、断れない自分が、またひょっこり顔を出す。

とはいえ、子どもを育てながらの家内制手工業なので、手を動かせる時間はかぎられている。かつての苦い経験から、睡眠時間を削ると長続きしないこともわかっている。仕事のクオリティを上げるためにも、心身のコンディションを保つことは欠かせない。

フリーランスになって9年ほど経った今も、毎月のように「全部引き受けたい」「でも寝ないと…」の間で試行錯誤しているのだけど、さすがに最近は自分の中に、基準みたいなものが見えてきた。

それは「自分がこの仕事を引き受けることで、かかわる人たちが幸せになれるかどうか」ということ。

発注してくれるクライアントの方、編集者さん、取材をする場合は取材先の方、まだ見ぬ読者の方々、そして私自身。私は、みんなを幸せにしたい。

世界の片隅でひっそりと言葉を編む私にも、いちおう得意な文章のジャンルとかトーンというものはある。

得意球が読者のふところにずどんと落ちて、1ミリでも心が動いたり、何かの役に立ったり、行動が変わったりすれば、かかわる人びとは幸せになる。

でも、あさっての方向へ飛んでいったり、読者に届いても心を動かすことができなかったりしたら、みんなの幸せの量が減ってしまう。

だから私には、依頼をいただいた段階で、ほかの誰かではなく、自分がやるべき仕事かどうかを冷静に判断する責任があるのだ。

(自分にとって想定外のお話をいただいて、思いがけない化学反応が起こることもあるのだけど、その話はまた別の機会に)

   *

そんなこんなで最近になってようやく、カメラを引いて、落ち着いて自分の状況を眺められるようになった。自分が自分のマネージャーになったつもりで、この人に一番いい仕事をしてもらうためにはどうすればいいか、考える。

成長するために、120%の力を出して突っ走る時期もあるけれど、ずっとその状態で走り続けるのは、人間だからむずかしい。ベースは80%くらい、周りの景色を楽しむ余裕を残しておくほうが、私には合っているみたい。

一日でも長く、楽しく働き続けたいから、ジョギングしたり、筋トレしたり、野菜をたくさん食べたりする。

スケジュールがいっぱいになったり、その仕事はほかの人がやったほうがみんな幸せだな、と感じたりしたときには、おそれも罪悪感もなく、素直にそのことを相手に伝えられるようになった。

怒る人はいなかったし、居場所がなくなることもなかった。むしろ、できないことをちゃんと伝えられるようになってからのほうが、周りの人との関係が良好になった。今は一緒にお仕事をしていて気持ちがいい、素敵な人たちとのご縁に恵まれて、毎日がとても楽しい。

あのころ私がおそれていたのは環境や周りの人じゃなくて、実態のない「空気」だったのかもしれない。

今、私は自分らしい生き方や、働き方を実現している人たちを取材して、記事を書く仕事をしている。自分より年齢が若い人たちと仕事をすることも増えた。階級や権力など見えない圧力にとらわれることなく、自分の心にしたがって自由に生き、働く人たちがどんどん増えているのは、きっとすごくいいことだ。

自分の子どもには、私の姿を見て、「空気なんて読まなくていいから、自分の心の声に耳を澄ませて歩いていくのが楽しそう」と感じてもらえたらいいな、と思っている。








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