Miho

会社員→NY→姉妹起業→結婚→離婚→子育て→シングルライフ→未婚で妊娠 etc 様…

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会社員→NY→姉妹起業→結婚→離婚→子育て→シングルライフ→未婚で妊娠 etc 様々なライフステージを経て、常に本気で「ぶつかり稽古」をしてきたからわかった今、女性に伝えたいこと。タテマエ隠して、本音の話_日常エッセイ。

最近の記事

責任って、なんだろう?

「責任」という言葉が、ずっと嫌いだ。「これくらい当然です。私の責任ですから。」と言われると、興醒めしてしまうのはなぜだろう?ネットで「責任とは」と検索すると、“人や団体が、なすべき務めとして、自身に引き受けなければならないもの”と出てくる。しなければならない=must あるいは have to 。やっぱり好きじゃない言葉だった。 中学生くらいから「しなければならない」ことに怒りを覚えるタイプだった、そうだ。「そうだ」と書いたのは、自分では気づかなくて、その後大人になってから

    • 離婚は何度も「終わり」がくる。_後編_

      5度目の終わりは、1年くらい前。その日はオフで、ビジネスパートナーである妹とお台場で海を見ている時だった。突然彼から届いたLINE。「報告があります。彼女がいたのだけど、もうすぐ同棲することにしました。」一瞬、血の気がひいた。なんとなく今のまま、離れて暮らす娘の父と母というポジションがずっと続くと思っていた。彼女、いたんだ。そっか、同棲、するんだ。納得したようで、全然細胞の中に染み込まなくて「そうなんだ、おめでとう。いつ?」そう返信するのがやっとだった。夜になるとちょっと冷静

      • 離婚は何度も「終わり」がくる。_前編_

        離婚は何度も終わりが来る。ある日の日記に書いた一文。腹の底からでた、魂の嘆きだった。あぁ、今度こそやっと終わり!「完了!!」と思っても、まだ終わってないぞ〜と背後からゾンビのように忍び寄る「あの感情」。そう、罪悪感と少しの後悔。そして寂しさだ。 最初に「完了」と思ったのは、いつだっただろう?確か、別居して初めて、日曜日に娘を彼に預けたとき。よし、私、ちゃんと母親として「父親」のいる生活を娘に与えてあげられてるじゃん、と預け終わった後はとても清々しい気持ちでいた。でも少しずつ

        • 「変わった男」が好きなワケ。

          昔から、ちょっと変わった男が好きだった。中学生の時に好きになったのは、いつも集団でワイワイ登下校するような人ではなく、サッカー部や野球部といった「花形部活」に所属しながらも、練習が終わると集団から離れてひとりでさっさと下校するような、ちょっとミステリアスな人だった。 高校生の頃は「目が反対についてる(サンリオのバッドばつ丸のような目をしていた」(今考えるとものすごく失礼)と周りから言われる、全くのイケメンではない人が好きだった。当時は、ゆずとか、ハイスタとかDragon A

        責任って、なんだろう?

          生き方を変えるタイミング

          「生き方を変えるタイミング」があるとしたら、きっと唯一、苦しいときなのだろうと思う。このままの生き方を続けていても、この先ずっとツライ感情や堂々巡りを繰り返すのだろう、となかば「絶望」に似た「底」を見ることによってしか、私たちは自分で自分の「生き方」を変えることは困難なのかもしれない。 私たちにとって最もキツいのは、空中に浮いているときだという。不安と恐怖の中で空中に漂っているとき、私たちは、苦しい。でも一旦、落ち切ってしまうと、つまり深い深い海底に足がついてしまえば、ホッ

          生き方を変えるタイミング

          「生きる」ことが辛くなった君へ。

          「生きる」ことが辛くなった。それはまったく突然、唐突にやってきた感情だった。この春小学校1年生になった娘を、夕方4時に学童から迎え、お風呂に入る前に「本読んで。」とせがまれていた時だった。 「お母さんなんだか、生きるの疲れちゃった。」娘を膝に乗せ、本を開いたときに無意識に口から出た言葉だった。 あ。まずい、と思ったその瞬間。娘が振り向き「しまないで!(死なないで)」と叫んだ。もうすでに、涙が溢れそうなくらい真っ赤な目をして、そういった。「おかあさん、しまないで。いなくな

          「生きる」ことが辛くなった君へ。

          大きく人生の舵を切った、ある日曜日の話。

          一体いつまで「スクラップアンドビルド」を繰り返すのだろう?と思ったのは、5月末の日曜日。zoomで仕事をしている合間の休憩時間だった。 38歳。離婚歴あり。6歳の娘と、お腹の中には未婚で産むと決めた5ヶ月の生命。ベランダの向こう側に見える風に揺れる木々を眺めながら、自らの38年間をふりかえって思った。 ある程度まで完成させると、それが「完璧に完成」する前に、壊したくなる。いつだってそうだった。心の中では「安定」を求めているはずなのに、かつての祈りが叶うその前に、自分の手で

          大きく人生の舵を切った、ある日曜日の話。

          気遣いができる男、できない男。

          ちょっとした気遣いができる人は、ステキだなぁと日々思う。そして同時に、この気遣いというものは、いったいどこからくるのだろう?と不思議におもしろく思うのだ。 育ちか?経験か?はたまた、意識の問題なのか・・?今こうして改めてぼーっと考えているのは、スタバである。スタバの造りといえば、コンクリートの床に、ステンレスまたは木の椅子。無意識で椅子を引くとなかなかの音が出る(笑)クエーーーっ!みたいな音の時もあれば、フォ〜〜〜っ!とかグガっ!!!みたいな時もある。 しかし中には、全く

          気遣いができる男、できない男。

          メディアなし生活の恩恵

          38歳になってはじめて「メディアに触れない生活」というものをしてみた。というより、それは必然的にはじまった。娘がこの春、シュタイナー 教育の小学校に入学したからだ。 シュタイナー 教育の「教育方針」は色々あるが、その中でもひとつ特徴的なのが「メディアから距離を置いた生活」だと思う。特に小さいうちは大切なのだそうで、それはなぜかと言うと、内から湧き出る自由な創造力の泉を絶やさないため。 しかし我が家の場合は、すんなりとは行かない雰囲気が帯びていた。なぜなら、数ヶ月前の保育園

          メディアなし生活の恩恵

          妊娠してから食べられなくなったモノ。

          妊娠してからの変化といえば これが途端にダメになった 「アミノ酸」 である。 アミノ酸といえば うまみ調味料と言われ 今ではあらゆる食べ物に入っている 直接的な害はないとされてきたけれど これだけ多くのものに入っていると 「長期的」な影響は、怖いなぁと思う 私はいわゆる「食べづわり」 長女の時も同じくそうで いつもポケットに大豆や煮干しを 忍ばせていた 当時は両親の近くに住んでいて 夫もちろんいたので 甘えに甘えていたなぁと 今では思う 仕

          妊娠してから食べられなくなったモノ。

          未婚で産む、と打ち明けた後の父とのLINE

          未婚で生む。 と決めたときから 母や妹にはそれを言えたものの なぜか父には誰も言えずにいた 東京下町の長男として 特別に目をかけられて 生きてきた父 大学卒業後 就職もしないで置屋に入り浸っていたら おばあちゃんが手切れ金を持って やってきたというのは なかなかインパクトのある話で でもなんだか やってくれるねお父さん!!と 少し誇らしかった 本とジャズと資格取得を なによりの生き甲斐としている父 私たち姉妹を なんの不自由もなく 私立の

          未婚で産む、と打ち明けた後の父とのLINE

          本当の人生の始まり。3.11の激震。未婚で産む、ということ。

          2011.3.11 数日の迷いと なにをしても涙が止まらない 「イニシーション(通過儀礼)」の後に 決断した 完全に思考を手放して スピリットの赴くままに生きようと 腹を括った ときに スピリットの道や 本来の自分、という選択は 恐れと不安の中に 潜んでいるらしい こわい 本当に、こわい なにが怖いかわからないけど とにかくこわい 「神さま。正直、こわいです」 何度こぼしたことだろう でも本当は わかっていた 一見暗く見える 恐れと不

          本当の人生の始まり。3.11の激震。未婚で産む、ということ。