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大きく人生の舵を切った、ある日曜日の話。

一体いつまで「スクラップアンドビルド」を繰り返すのだろう?と思ったのは、5月末の日曜日。zoomで仕事をしている合間の休憩時間だった。

38歳。離婚歴あり。6歳の娘と、お腹の中には未婚で産むと決めた5ヶ月の生命。ベランダの向こう側に見える風に揺れる木々を眺めながら、自らの38年間をふりかえって思った。

ある程度まで完成させると、それが「完璧に完成」する前に、壊したくなる。いつだってそうだった。心の中では「安定」を求めているはずなのに、かつての祈りが叶うその前に、自分の手で壊してしまう。そしてまた、ゼロになり、火事場の馬鹿力を発揮して登り詰めていくのだ。

29歳の「女子的結婚第二次ブーム」が訪れたときは、結婚したくてたまらなくてアリエッティ展を観に行った帰りの公園で「はい、言うことはないですか?」と半ば誘導尋問的にプロポーズの言葉を引っ張り出した。帰りの電車では、あぁこれで私の人生は「安心と安定」を確保できたのだとなんともホッとした気持ちで、デートの行方を気にしていた女友達に嬉々としてメールを打ったものだった。

結婚生活はとても穏やかだった。唯一、子どもがなかなか授からなかったけれど、なんとなく人生を楽しんでいる内に、4年後に授かった。

娘が生まれてからは、ヨガ講師をしていたものの、週3日、3時間程度はたらくばかりで今から考えれば贅沢な時間を過ごしていた。

__そんな折。__

あれは確か、穏やかな秋晴れの午後。昼寝をする娘を抱きながらソファに座り、ゆったりと流れる雲を眺めていた時だった。「あぁ私はきっと、離婚して全く新しい人生をはじめるのだろう」と思ってしまったのだ。このままいけば、安心安定の、がんばらなくても生きていける未来がある程度見えていたはずだった。今の元夫を見ていても、彼はあの時と変わらず穏やかで、安定した毎日を送っている。金銭的にも、メンタル的にも。

あの衝動は、一体何だったんだろう___?

今でもわからない。とても不思議な感覚だった。31歳。でもそこからだった。人生の中のあらゆるジャンルで「もう少しで完成、あとは安定。」が見えると、無性に壊したくなるのだ。周りのみんなは誰もそんなことは望んでいないのに、私は私の手で、自らの意思で、強引に壊しにかかる。

別に、結婚や恋愛関係だけではなかった。仕事もそうだった。ある程度キャリアを重ね、あとはルーティンとちょっとの勉強で行けそうだというところになると、変えたくなる。家も、長くて4年。ここは長く住めそう!と思っても、ある時ふと「なんかもう、違う。」と感じ、その数ヶ月後には新しい場所へ移動していた。

「自由」を求めているわけではない。私は一貫して「安定と安心」を求めているはずだった。なのに、なぜ?

「飽きちゃう性格なんじゃないですか?」「チャレンジが好きなんですね」「自らの創造力を試したいんじゃないですか?」色々なご意見をいただいた。心理学やスピリチュアルの方々の専門的な意見も、いただいた。どれも都度、納得できるものではあったが、やがてまた壊しにかかる自分がいるのではないかと、自分が自分で怖かった。

もういい加減、この「スクラップアンドビルド」を繰り返す人生を、終わりにしたい。そう思った折、脳科学で有名な中野信子さんと内田也哉子さんの対談本(なんで家族を続けるの?文芸春秋)を読んだ。その中にあった一節で、「安定は文明の終わり」という一節を知った。

なるほど。これまで文明というものは戦争や争い、つまり何かが破壊されることで新たな文明が生まれてきたのだという。争いやトラブルが起きる、または相手の領地を侵食したい、、そんな衝動が生まれると「工夫」が生まれる。それによって文明は進化してきたのだという。逆に言えば、一旦「安定」してしまえば、進化する情動や機会さえ失われてしまうのだ。

ということは私はただただ「進化成長」していきたいのか。と思ったら、ちょっと気持ちが落ち着いた。人間この世にうまれ落ちた時から、無意識に進化成長をしている。赤ちゃんなんて、こっちが何も教えてないのに、寝返りを試み、ハイハイをはじめ、しまいにはあの細い足で立とうとする!今度は歩き、走り、言語を習得していく・・・

この、生きとし生けるモノ誰もが持ち合わせる「進化成長したい!」という原始的な欲求が、もし私のこのスクラップビルドの人生を促しているのだとしたら、別に壊さずとも「進化成長」できる方法があるのではないかと、思えたのだ。

それはまさに「自然の流れに沿って生きる。」という、わたしの中ではかなり新しい生き方だった。意思の力、創造力、それはもちろん、私たちの中に備わっている。でも、自然はどうだろうか?自らの意思で、早く咲きたいから!はやく実をつけたいから!といって、無理に成長を早めたり、土を掘り返して、ゼロから急成長する肥料を与えたりするだろうか?

いや、しないだろう。というのは当たり前の観点なのに、これまで38年間、私はどうにか今を壊して、新たな、もっといいものをゼロから創る。という頭しか、無かったようだ。「時期を待つ。」ということ。立派な花や実を、早く早く!と急ぐのではなく、目には目見えない「根を張る時期」も大切なのだということ。

それは例え、外目からはとても穏やかで安定していて「進化成長」していないように見えても、しっかりと花が咲き、実をつける「その時」に向かって動いているのだ。

スクラップアンドビルドを繰り返したこれまでの激しい人生は、確かに私にたくさんのギフトを与えてくれた。「経験」や「学び」そして「自己信頼」は何にも代えがたい産物であった。しかし、戻りたいかと言われると、もういいです。というのが正直な答えだ。

未来への希望、そして未来こうなるのだ、という意思と創造力はきっとこれからも私の中心に住うだろう。でもそこに、「自然の流れに沿って生きる」という要素をそっと取り入れていこうと思う。

安心安定しながら、進化成長はできる。そう思ったら、少し落ち着いたのはきっと、とても大切なことだったからだろう。



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