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メディアなし生活の恩恵

38歳になってはじめて「メディアに触れない生活」というものをしてみた。というより、それは必然的にはじまった。娘がこの春、シュタイナー 教育の小学校に入学したからだ。

シュタイナー 教育の「教育方針」は色々あるが、その中でもひとつ特徴的なのが「メディアから距離を置いた生活」だと思う。特に小さいうちは大切なのだそうで、それはなぜかと言うと、内から湧き出る自由な創造力の泉を絶やさないため。

しかし我が家の場合は、すんなりとは行かない雰囲気が帯びていた。なぜなら、数ヶ月前の保育園時代、メディアどっぷり家庭だったらだ。

ワンオペの家庭や我が家のようなシングルマザー家庭の場合は特にそうなのかもしれないが「テレビが子守」になっている場合が多いのではないだろうか。朝、目を覚まして朝食を作り終えるまでの間の時間、夕方のお迎え後の夕食を作り終えるまでの時間、ちょっとした仕事を終えてしまいたい時の数十分の間・・・。テレビは最高の子守役になってくれる。

こんなどっぷりで小学校に上がって大丈夫かなぁ。そんなこんなで、引越し時、テレビを持って行こうか捨てようか迷い、結局、持っていった。

が。奇跡が起きた。

引越しを終え(一応テレビは居間にセッテイング済。)娘がテレビを見ようとリモコンのスイッチを押したが・・・電源がつかないのだ。何度コンセントを入れ直ししても、テレビは真っ黒な画面から動かない。

(しめた!!!)

「おかしいねぇ。つかないねぇ。また明日、やってみようか」つかないのではしょうがない、と渋々承諾した娘であったが、当然翌日も電源はつかないまま。原因は未だ謎だが、結果オーライ。それから数日後には娘も自然とあきらめ、テレビはそっと押入れの中に納められた。

それが2021年4月の出来事。それから約2か月のテレビなし生活がスタートしたのだが、ものすごくラクなのだ!わたしが!!!!

これは驚くべき変化であった。はじめは娘の学校の方針なら、と半ば成り行きではじめてみたテレビなし生活であったが、こんなにもデトックス作用があるのかと、私が一番驚いている。調子を良くした私は、テレビだけなくYouTubeもメルマガもSNSさえも、仕事に差し障りのない範囲で触れずに生活してみた。効果は、なんともすこぶる快調である。

正直一瞬、孤独を感じるときがあった。静かな部屋で、わたしひとり。手持ち無沙汰でムダに部屋をうろうろしてみたこともある。「動物園の白熊か!」とひとりで突っ込んでも、帰ってくるのは静けさのみ。こういう時、いつもなら何気なくスマホやPCを開いて、過去履歴からリコメンドされたYouTubeを見てみたり、ネットフリックスで新着ドラマをオンにしてみたものだ。

ところが一転、それをしない、と決めてみると脳内がものすごく静かで、平和なのである。あぁこれまでどれだけ「情報」と「広告」にヤラレテいたのだろうかと、実感した。

メディアなし生活の一番の恩恵は「創造力」が再び蘇ったことである。これまでも一応は「夢」や「目標」はあった。でもそれが、他の誰かが語っていたことだったことが、わかった。

欲しいものが厳選された。これまでいかに無意識に触れていた「広告」に欲望を刺激されていたのだろうかと、怖くなった。今本当に欲しいものは、居間におく植物と、祈りを捧げる祭壇と、レコード。これは広告発信ではない、誰かのリコメンド発信ではない、わたしの奥底、スピリットが求める豊かさの象徴である。今は心がトキメクぴったりの「それら」を探すのが、なによりの楽しみである。

さらに気を良くした私は、最も手放せない「活字」を手放してみた。まずは1週間。これもものすごく、デトックス作用があった。これまでいかに「活字_本」に孤独を埋めてもらっていたのだろうかと驚いた。

活字や本を読まないとチャレンジした1週間、夜はただの暗闇になったし、過去や未来で心が不安になった時の「よりどころ」が消えた。前だったら、ページを開けば今ここではない世界に没頭できて、浮世のあれこれを一瞬でも忘れることができた。でもそれが、できない。このジレンマは数日私を苦しめたが、1週間チャレンジの結果は驚くべきものだった。

過去、自分がしてしまったことへの罪悪感。未熟が故に傷つけてしまった数々の人間関係。「新しい情報」が一切入ってこないその期間、私はこれまで38年分の懺悔をした。腹の底から熱い涙が流れ「ごめんなさい。ゆるしてください」と心に浮かぶ一人ひとりに懺悔し、その人たちの幸せを心から祈った。

そうしたらふと、「今」をものすごく愛おしく感じた。これまでは「未来」を見て生きてきたように思う。こうなったら、幸せ。これが実現できたら、満たされる。常に常に未来を見て、「今が不在」な生き方を、大人になってからずっと、してきたことに気づいた。

でも私たちが生きているのは、今しかないのだ。これまで何度も聞いてきた、そんな当たり前の事実を今やっと、「実感」できたように思う。かけてもかけても布団をはいでしまう、寝相の悪い今この瞬間の6歳の娘が、心底、愛おしい。少しずつ、その胎動でその存在を確かに教えてくれる、今この瞬間のお腹の中の5ヶ月の生命が、心底、愛おしい。

そんな、「今」というかけがえのない瞬間に住まわせてくれたのはまさに「静けさ」とその恩恵である「内からの創造力の回復」であった。

そういえば、映画は今でも大好き。でもそれも80歳になった時の「趣味」にしようと思っている。まだまだ創造を楽しみたい今は、少しだけ、映画鑑賞、という趣味に斜線を引いて、80歳になった時のお楽しみに取っておきたいと思う。

あなたもこの瞬間、かけがえのない「今」というひとときを五感で味わって、あなたのスピリットが求める人生の創造を共に楽しんでいきましょう。

また、書いていきます。



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