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離婚は何度も「終わり」がくる。_前編_

離婚は何度も終わりが来る。ある日の日記に書いた一文。腹の底からでた、魂の嘆きだった。あぁ、今度こそやっと終わり!「完了!!」と思っても、まだ終わってないぞ〜と背後からゾンビのように忍び寄る「あの感情」。そう、罪悪感と少しの後悔。そして寂しさだ。

最初に「完了」と思ったのは、いつだっただろう?確か、別居して初めて、日曜日に娘を彼に預けたとき。よし、私、ちゃんと母親として「父親」のいる生活を娘に与えてあげられてるじゃん、と預け終わった後はとても清々しい気持ちでいた。でも少しずつ、お迎えの時間が近づいてくると複雑な気持ちになってくる。

楽しそうな2人をみたら揺らいでしまうのではないかという、まだ意思が弱い自分への警戒。娘の笑顔を見たら、私さえ我慢すれば「継続」できると思ってしまいそうだという、妥協への怖さ。そして、娘を抱いて笑っている彼を見たら、全てを許してまるで何事もなかったかのように戻って生活を共にできるのではないか、、という微かな期待を、抱いてしまうのではないか、というこれまた、決意が固まっているようで固まっていない自分が揺れてしまいそうで、怖かった。

その後は、土日が仕事の度に彼に預けているうちに、だんだん私も慣れてきて「お母さん行ってきまーす!あなたたちもいってらっしゃい楽しんでねー!」と笑顔で見送れるようになった。でもたまに切なくなって、娘と別れた後に「切なさはデンジャラス。」とインスタのストーリーに呟いたら「わかるよ。」と秒で届いたコメントは、一見幸せそうに見える独身貴族の女友達からだった。そうか。みんな、どんなに笑顔でいるように見えても、心の中ではひとり、時に切なさを抱え、それでも前に進んでるんだ。あなたも私も頑張ってる!なんかちょっと世界が広がった気がした。

2度目の終わりは、文字通り「紙」にサインする時だった。なかなかサインできなくて、別居から2年半経ってからのやっとの儀式だった。それまで私は経済力もなく、精神的な自立も全然してなくて、彼には別居期間の2年半「待ってもらった」という感じだった。こんなよくわからない曖昧な期間を過ごすなら、早く蹴りをつけてしまいたい。そう思うのはお互いだったが、娘と自立していくためには、私には時間が必要だった。「ごめん、最後のわがままだと思って、もうちょっと待ってください。」何度も彼に、お願いした。

いったいこれは、何のチャンスなんだろう?2年半、考え続けた。いつ自問しても答えは一つで「精神的、経済的自立のチャンス」これしかなかった。毎晩、別居先の実家のベランダから月を眺めて、宣言した。「神さま、宇宙さん、私は必ずこのチャンスを生かして、経済的にも、精神的にも自立します。どうか、お力を貸してください。」月夜に照らされた娘のすこやかな寝顔と、複雑な心の中を比べては、涙が流れた。でも、やるしかなかった。

やがて、2年半が経ち、これでもう大丈夫だ。という環境ができたので、やっとこさ紙にサインして、同時に娘と二人で都内に引っ越した。2度目の終わり。ちょっとスッキリしていたけれど、引越しの段ボールの中には結婚式と娘の出産時の記念写真がまだ入っていて、それを見ることも、捨てることもできなかった。「完了。」とはまだいかない。それでも無情にも、仕事も子供の成長も、生活も続いていく。やるしかなかった。

3度目の終わりは、そこからまた2年ほど経ってからだった。クリスマスイブ。3人でご飯を食べようと、突然思い立った。「その日はちょうど、パレスホテルで夕方に仕事が終わるの。夕方5時に娘と一緒に来てくれたら、クリスマスを一緒に過ごさない?」返事は「いいよ。」のシンプルな一言で、その日、離婚して初めて3人でクリスマスを過ごした。嬉しそうに彼の周りをぐるぐる回る娘を見て、ちょっと涙が出そうだったけど「マティーニください。」と強めのカクテルで感覚を紛らわした。あえて離れて、冷却する。という期間がちょっと雪溶けした夜だった。まだまだぎこちなかったけど、ちょっと終わりに向かって、前進。

4度目の終わりは、突然やってきた。無性に家の中を断捨離したくて、そう「あのダンボール」が気になりだしたのだ。結婚式の写真、友達からもらった祝福の手紙、娘のエコー写真、出産後の記念写真、そして結婚してからずっと生活時間がずれていたときに何冊も重ねた家庭内交換日記。

ある夕方、ゴミ袋を片手に、私はそれを、開けた。まだ全然ダメだった。見た瞬間、涙が溢れ、何時間も嗚咽して泣いた。見なきゃいいいのに、交換日記も読んじゃって「今夜はタイカレーだよ〜!温めて食べてね。そうだ!今週末は結婚2周年のディナーだね!予約ありがとう。当日着ていく服は、また決めよう。早く寝てね、おやすみ。」その次のページには、「ただいま〜タイカレー美味しかったよ〜。ディナー楽しみだね。楽しみネコ。」見慣れた汚い文字の横に、微妙なネコの絵が描かれていた。

幸せだったんだ。初めて、認めた。私は彼と結婚していたとき、とっても幸せだった。こんなに心温まる思い出をくれたこと、宇宙一愛しい娘を授けてくれたこと、そして私の人生に「精神的、経済的自立」を実現させてくれたこと。全部に感謝が溢れた。「ありがとう。ごめんね。ありがとう。」泣きながら何度も呟き、段ボール箱から全てをゴミ袋に移し、捨てた。捨てたというより、昇華させた。

(後編へ続く。)

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