見出し画像

小説「15歳の傷痕」-42

<前回はコチラ ↓ >


- 悲しみにさよなら -

「いらっしゃい。どうぞ」

竹吉先生の奥様が、俺たちを出迎えて下さった。

「すいません、こんなに沢山お邪魔して」

「いいの、いいの。ウチはパーティーが大好きだから、皆さんがお出でになるのを、先生も私もこの子も楽しみにしてたのよ」

そうだ、先生には4歳か5歳の娘さんがいたはずだ。俺が中1の時、竹吉先生に女の子の赤ちゃんが生まれたという話を聞いたのを、なんとなく覚えている。
その女の子は、お母さんの足にしがみ付いて、俺たちのことをジーッと見ている。

「こんにちは!」

松下さんが娘さんに声を掛けている。流石フレンドリーな性格だ。

娘さんは、お母さんに言われて、チョコンと頭を下げた。

(可愛いな~。将来結婚したら女の子がほしいな~)

俺は10年20年も先の、もしかしたら叶いもしないことを、ホワッと考えてしまった。

「さあ、中へどうぞ」

「おう、お前ら遠慮せずに入れよ」

先生ご夫妻にも言われ、俺たちはお邪魔しまーすと言いながら、先生の家へと上がらせてもらった。

「うわーっ、こんな凄い料理、見たことないッス!」

村山がまず歓声を上げた。

俺も後ろから覗き見る。

「すげぇ!どこのレストランか?って感じですよ、先生!」

女子達も、テーブルに並べられた料理を見て歓声を上げている。

「さあ、座ってくれ。主賓は真ん中にして、女子3人で1列にな。反対側に、俺を含めた男共が座る、と」

ということで、向かい側には、武田、松下、神戸の順番で女子の列ができた。

「俺は奥さんに頼みやすいように、台所側に座らせてくれ」

先生はそう言い、武田さんの前に座った。

「あとは村山とミエハル、好きなほうに座ってくれや」

俺は村山と目を合わせ、目と目で会話をした。その結果…

「先生、俺が主賓の前でもええですか?」

「お前も人集め大変じゃったろ~。じゃ、俺の隣に座れ。沢山労をねぎらって飲ませてやるけぇ。まあ後から入れ替わってもいいしな」

村山が真ん中、俺は3番目になった。つまり、神戸千賀子の目の前である。

なんとなく気まずい雰囲気が流れる。

途端に俺が下を向き、喋らなくなったからだ。神戸さんは俺と目を合わさないように、松下さんと話をしている。突如寡黙になった俺を、武田さんは不思議そうに眺めていた。またその様子を、竹吉先生がチェックしていたと知るのは、後のことだ。

「とりあえず乾杯するか!みんなもう、アルコールは大丈夫か?」

「一応、俺が電話を掛けた時に、みんなに確認しました。全員OKです!」

村山が言った。すると奥から奥様が、ビール3本と、シャンパン3本を運んでこられた。

「一応、男連中はビール、女性陣はシャンパンにしてみたけど、もしなんだったら、他にもあるけぇ、言ってくれよ。じゃあ向かい合わせの相手に、それぞれ注いでから、乾杯だ。栓を開けて、お互いに注ぎあってくれ」

俺は恐る恐る下向きの姿勢から正面を向くように顔を上げた。そこには、既にビール瓶を持った神戸さんが見えた。

「…上井君、コップ持って…」

「う、うん」

俺が持ったコップに、神戸さんはビールを注いでくれた。

「次は俺がシャンパンを注げばいいんだね。じゃあ神戸さん、コップ持ってくれる?」

「うん…」

神戸さんが持ったコップへ、俺はシャンパンを注いだ。

「みんな、コップ持ったか?じゃあ乾杯しよう。挨拶とかは堅苦しいから止めとこうぜ。では教え子との再会に乾杯!」

「カンパーイ!」

俺は恐る恐る神戸さんのコップに、俺のコップを近付けた。

コツンという小さな音が聞こえた。

「ありがと、上井君」

「えっ、いや、こっちこそ…」

俺は緊張と照れもあって、コップに注がれたビールを半分ほど一気に飲んだ。

(に、苦ーっ)

何度か父親の日本酒を飲んだから、アルコールは大丈夫だと思っていたが、日本酒とビールは全く別の飲み物だと感じた。

「あとみんな、飲んだ後に言っても遅いけど、お風呂も用意してあるから、いつでも入れるぞ。但し、女子が入ってる時は、男2人は近付くなよ!」

先生がそう言うと、女子から笑い声が起きる。

「先生!逆はいいんですか!」

と村山が早くも酔った口調で叫ぶ。

「お前、覗かれたいんか?よし、逆はOKとする!」

また女子から笑い声が起きる。

「よし、俺は大丈夫だ。上井は…遠慮しとけ」

「なんだよ、俺だって別に見られたって大丈夫だよ」

「2人とも安心して。男の裸には興味ないから」

武田さんがそう言い、またその場が笑いに包まれる。

いい雰囲気だ。先生も楽しそうだ。来てよかったな…。一つだけ気掛かりはあるが…。


「じゃあみんなの近況を聞くとしよう!お前達同士では、もう知ってる話でも、俺はみんなのこれまでをよう知らんから、教えてくれや。じゃあまずは隣の村山から」

先生は、俺達の近況を教えろと言う。俺は色々あり過ぎたが、まあ無難なことを言っておけば、大丈夫だろう…。村山は何を言うのかな?

「えーっと、いきなり俺っすか?えー、俺はまあ、今は仲直りしてますが、高2の時にですね、上井が好きだった女の子を奪うようにして付き合ったんですが、天罰が下りまして、フラレまして…あの…上井、その節は悪かったね」

「もう済んだ話だから、ええよ」

何だか場がシーンとしてしまった。

「あ、あれ?静かになっちゃった…」

村山は、ドッと受けると思ったようだが、生々しい話だったからか、女性陣が引いてしまったようだ。

「おいおい村山、らしくないことしたんじゃのぉ。ビックリじゃ。まあ、今は上井と仲直りしたんだよな?」

先生が助け舟を出した。

「はい、そうじゃないと、今日誘わないッスよ」

「…なんか、村山のせいで場が静かになったから、ミエハル!中学の時みたいに面白く近況報告してくれよ」

「えっ、次は俺ですか?」

てっきり、男子、女子と進んでいくと思っていたので慌ててしまったが、こういうシチュエーションを盛り返すのが、俺の真骨頂だ。ちょっと酔っ払っていたが、話し始めた。

「えっとですね、先週文化祭がありまして…。俺、吹奏楽部とクラスの模擬店と、生徒会役員の、3つの仕事しててんス」

いかん、酔っ払って上手く喋れないぞ…。

「いや〜、猛烈サラリーマンみたいに忙しかったッス!でもドラム叩いたら、同じクラスの女子にキャーキャー言われて、嬉しかったですね!その後何も起きなかったんですけどね!いや〜、やっぱり俺はモテない運命ですわ、ハッハッハ」

…あれ?村山の時よりマシだが、それでもあまり盛り上がらなかった…。

「ミエハル、ドラム叩きよるんか?」

先生はビックリした顔で聞いてきた。また、

「そう言えばアタシが留学のために退部した後、打楽器の1年生が一気に辞めちゃったんでしょ?もしかしてそれで、上井君が打楽器に助っ人に入ってくれたの?」

松下さんもそう聞いてきた。

「へえー、上井君、打楽器やるようになったの?観てみたかったな〜」

武田さんは別の高校なので、このことは今初めて聞いたようだ。

何となく話が繋がって、とりあえず俺はホッとした。

「そうなんよ。去年のコンクールから、打楽器やるようになったんよ。コンクールは武田さんの高校のすぐ後が出番じゃったけぇ、武田さんらには観てもらえてないよね、多分」

「うん、アタシらの高校が客席に入ったら、上井君達の高校が丁度終わったところだったけぇね…ちょっと残念。でもコンクールでは何叩いたの?」

「ティンパニ」

「えーっ。結構、というか全然想像つかないよ!見たかったな~」

「何となく話がつながったけぇ、まだ主賓にはしゃべってもらってないけど、武田さんの近況報告に移るか」

先生が上手くリードしてくれ、武田美香さんの近況報告に移った。

「そうですね~、アタシはみんなとは違う高校に進んだお陰?で、コンクールではダメ金だけど金賞を取れて嬉しかったです。でもアタシの力なんて全然無いので、周りのお陰です。今年の夏のコンクールも出ようかなと思ったけど、大学受験に専念したい人は出ないでもいいっていうので、引退したところです。そんな感じですね」

拍手が起きた。こんな感じで冷静に喋った方が良いのだろうな…。

「武田さんの高校には、どうしても勝てんのよね。何が悪いんじゃろ?」

俺がそう疑問を呈すと、

「んー、そうじゃねぇ…。もう部内はコンクール金賞至上主義!って感じ。なんかね、みんなの個性が殺されてる感じがしたよ。だから正直、中学の時に上井君が部長やってた時のイメージでウチの高校の吹奏楽部に入ったら、絶対戸惑うと思う」

俺はふと、山神恵子さんとの夜の会話を思い出した。

(金賞至上主義で楽しくなくて辞めたんだ…)

確かそう言ってたな…。

「確かに、ウチの高校の吹奏楽部は、金賞も取りたいけど、まず部内の雰囲気を明るく楽しいものにしたい!って思ってたんよね。1年生の時とか、上の先輩の横の繋がりがなくて、個々は楽しい先輩なんじゃけど、話し合いとかになると険悪になるというか…」

ちょっと酔いはあったが、思わず俺は部長になる決心をした時を思い出していた。

「ほうじゃね。俺も1年の時は、トランペットのメンバーで練習しとる時は楽しかったけど、ミーティングとかは嫌じゃったのぉ」

村山もそう言った。先生が言うには…

「やっぱり真正面から金賞を取ろうと思ったら、どうしても個性を殺して集団に合わせんにゃあならんし、個性を尊重してたらなかなか全体の和がまとまらないし、難しい部分はあるんよ。俺が見てた時は、上井が部長の時は、お前自身途中入部ってハンデを過剰に意識してしもうて、本領発揮には至らなかったよな。だけど、一生懸命に部員とコミュニケーションを取って、少しでも明るい部活にしようと努力してた、そう思ってるよ。後輩からは慕われとったし。お前、後輩の女子からモテてたんだぞ。その上井のあと、石本が部長になったら、アイツは根が真面目すぎるけぇ、かなり締め付けが厳しくなってたな。付いていけんって、何人か辞めてしもうたし」

「二重の意味でそうなんですか?俺みたいなのが後輩の女の子からモテてたとか、辞めた後輩がいたとか。俺が緩すぎたからかな…」

「いやいや、まあモテてたのは昔のことになっちゃうな。あと部活の運営なんて、何が正しいかなんて、正解はないんよ。だから顧問の教師は悩むんだな、毎年。ワッハッハ」

先生が笑いに変えてくれたので、なんとなく吹奏楽部の運営に関する真剣なトークになりつつあったが、少し場が和んだ。

「じゃあ次の近況報告は…。主賓はラストにして、神戸のチカちゃん!最近どうだい?」

「はっ、はい…」

俺はやや俯きながら、目の前の神戸さんが何を言うか、聞き逃すまいと思って耳をそばだてた。

「まず今日は、先生に久々にお会い出来て、嬉しかったです。村山君、呼んでくれてありがとう。アタシは…」

神戸さんは少しここで声が詰まってしまった。

「アタシは、みんなの話を聞きながら、中学校時代、毎日吹奏楽部が楽しかったことを思い出してました。高校に入っても吹奏楽を続けて、1年生の時はよく分からなかったけど、2年生になって副部長になって…」

又もここで考え込んでしまった。みんなそれでも催促せず、次の言葉を待っている。

「副部長になって、初めて、部活が楽しく感じるのは、部長の持つ雰囲気によるんだな、と思いました」

みんな、おお?という感じで、俺の方を見た。俺も緊張してしまう。更に何か言葉は続くのか?

「なので、アタシは楽しく吹奏楽に関われたのは、その時の部長さんのお陰だと思ってます。今は引退して、次の夢に向かって頑張ってます。以上です」

拍手が起きたが、俺はスッキリした気持ちになれず、俯いたままだった。なんで俺の名前を言ってくれないんだ?どうしても俺と神戸さんとの間には、埋まらない溝、越えられない壁があるのだろうか…。


主賓、松下弓子さんの留学報告が終わると、一気にムードが変わった。俺は飛行機が苦手なので海外へ行くつもりはないが、みんな一度は海外に行ってみたーい!という話になり、海外に行く時には何が必要なのかとかで、盛り上がっていった。

俺はその話を聞きつつ、無言でビールを自分で注ぎ、オードブルを食べていた。

そんなやや孤立した時、先生の娘さんがトコトコと歩いてきて、俺のジーンズの裾を引っ張ってきた。

「ん?なーに?」

「お兄ちゃん、お顔が真っ赤!タコさんみたーい!」

「タコに見える~?」

と俺は唇を突き出して、タコの真似をした。かなり飲んだのもあって、顔が本当に赤くなっていたのだろう。

「アハハッ、タコ、タコ!」

「よーし、タコが女の子を食べちゃうぞ~」

と、子供目線になって遊びだした。先生の娘さんも、キャッキャと喜びながら、俺が娘さんのペースに合わせゆっくり追い掛けてくるのを逃げていく。

(小さい子って、宝だよな…。無邪気にニコッとしてくれるだけで疲れが取れるし癒される…)

そんな様子を、会話に夢中になっていた他のみんなが、見守っていた。

村山がボソッと言った。

「上井は一人っ子じゃけぇ、小さい子と遊ぶのが好きなんよ。俺の弟や妹ともよく遊んでくれるし」

「そうか…。他のみんなは、兄弟姉妹がおるんか?」

先生が聞くと4人とも頷いていた。俺はちょっと離れた場所から内心、

(一人っ子は俺だけか…)

と思いつつ、先生の娘さんと遊んでいた。

「お兄ちゃん、今度は高い高いして~」

「えーっ、タコ兄ちゃん、酔っ払ってるから大丈夫かな~」

「大丈夫だよぉ。高い高い、して~」

「よーし、頑張っちゃうよ!せーのっ!」

キャハハッ!という先生の娘さんの笑い声が響いた。みんな笑顔になる。

その後もリクエストに応えて、ウマになったり、絵本を読んだりしてあげたが、流石に酔いもあって疲れてきた。

「そろそろタコ兄ちゃん、疲れてきちゃったよ」

「いやっ!まだ遊んで!」

「こらこら、無茶言わないの!」

と先生の奥様が来て下さったが、まだ遊び足りない娘さんは連れていかれようとすると、駄々をこねていた。

そこに女性陣3人が、今度はお姉ちゃん達と遊ぼっか~と来てくれた。

「助かるよ、ありがとう」

「疲れたでしょ?ちょっと休んでなよ」

武田さんがそう言ってくれ、俺は一息付いた。テーブル席に座ったが、村山は早くも目が虚ろで眠そうだ。

「村山、張り切って飲みすぎたんじゃない?眠そうやん」

「あっ、ああ…。ちょっとカッコいいとこ見せちゃろう思うて、飲みすぎたかもしれんの…」

「先生、村山を一旦寝させたいと思うんですが…」

「なに、もうギブアップか?まあまた回復するじゃろ。とりあえず男用の寝室へ連れてっちゃる。村山、立てるか?」

「は、はい~」

「こりゃ寝させた方がいいな。こっちへ来てくれ」

と先生は村山を半ば強引に、男用寝室へ連れて行った。

しばらくして先生が戻って来た。

「布団に横になれ、と言ったら、あっという間に寝てしもうたよ。疲れもあったんかの」

「そうかもしれないですね」

「上井、お前は大丈夫か?」

「はい、俺は先生の娘さんと遊ばせてもらったお陰で、アルコールが体内から蒸発していきましたから」

「えらい汗かいとるな、すまんかったの。本当は飲んですぐ後の風呂は良くないんじゃが、ちょっと風呂場で汗でも流してくるか?」

「いいですか?じゃお言葉に甘えて…」

「風呂場はこっちじゃ」

俺は着替えが入ったカバンごと持って、先生の後を着いていった。

「ま、だいたい分かるじゃろ。適当に置いてあるものを使ってくれ。女子には覗かんように言っとくから」

「ハハッ、誰も俺の裸なんて興味ありませんよ」

と言って俺は遠慮なく裸になり、先生の家の風呂場を借りた。

シャワーで汗を流す。飛沫が気持ちいい。ついでにボディスポンジで体も荒い、シャンプーも借りて頭も洗った。

ただ浴槽に浸かるのは止めておいた。もし後で女性陣が風呂に入るとなった時、俺が一旦入った浴槽には入りたくないだろうと思ったからだ。

「先生、いいシャワーありがとうございました!」

俺は寝間着代わりに持ってきた、高校のジャージに着替えて、リビングに戻った。
途端に女子から笑いが起きた。

「なに、上井君の恰好!」

武田さんが言った。

「何って、高校のジャージだけど」

「もうちょっと格好いい別のジャージとか、Tシャツとか持ってこなかったの?」

「え、いや~、俺ファッションセンスないけぇ、これでええじゃろと思ったんじゃけど、ダメ?」

「上井君、服装は気にしないもんね。ほら、高1の時にみんなでプールに行ったじゃん。あの時もみんな普通の水着なのに、上井君だけ小学校の時の海パンで…」

松下さんが昔話を蒸し返してきた。

「アレは黒歴史じゃけぇ、秘密にしといてよ~」

武田さんが興味深そうに聞いていた。

「何々、高1の時にプールに行ったのって、高校のメンバーで?」

「そう。高校の吹奏楽部の同期のみんなで行ったの。部活後に。そしたら上井君だけ6年5組だったっけ?名札入りの小学校の時の海パン穿いてきて、笑っちゃったよ」

「これ以上、生き恥を晒さないでくれ~」

「上井はどこかそういうちょっと抜けた所があるのが、憎めないんよな~」

と、先生も笑いながら参加してきた。

結構盛り上がっていたが、唯一喋っていないのが神戸さんだった。俺の話題になると、黙ってしまう。杯こそ交わしたものの、心はまだ閉ざしているのだろうか…。

「先生、アタシ今度、お風呂借りていいですか?」

と言ったのは、神戸さんだった。

「あっ、ああ、いいよ。そしたら女子で順番に入れよ。村山は当分起きてこんし、俺は最後の最後でいいから」

武田さんと松下さんが先生の娘さんと手遊びしながら、そうだね、じゃ2番目はどっちが入る?とか言うのを横目に、神戸さんはバッグを持って風呂場の方へと向かった。

「場所分かるか?」

「はい、上井君が出て来た所ですよね。足跡を辿っていきますから大丈夫です」

ここで俺の名前が出てくるとは思わなかった。ちょっと動揺していたら先生が、

「風呂上がりの一杯は美味いぞ。もうちょっとイケるか?」

と勧めてきた。

「あ~、憧れてました、先生!風呂上がりのビール!」

「よし、じゃあもうちょっと付き合え」

と、俺にビールを注いでくれたので、俺も先生に注ぎ返し、2人で乾杯した。

「あ~、美味い!大人って、こういう楽しみがあるんですね」

さっきは不味いと感じたビールだが、すっかり慣れてしまい、風呂上がりの今は美味しいとまで思ってしまった。

「そうよ。こういう楽しみがないと、なかなか教師なんてやってられないよ」

「先生は忙しいんですか?」

「俺?俺はまあ昔と変わらんよ。それよりミエハルよ、まだ神戸と喋らんのか?」

「うーん、なかなか…。去年、高校の吹奏楽部で、俺が部長、神戸さんが副部長って体制になったんです」

「ああ、さっき神戸も言ってたな。もう知っとると思うけど、お前の高校の福崎先生と俺、大学の同級生なんよ。だからお前が高校に入る時は、バリサク吹きたがっとる教え子が行くからよろしくって言っといたんよ」

「はい、その話、福崎先生から聞きました。ビックリしましたよ!」

「だろうな。で、お前や他の卒業生の情報も、たまに聞いとったんよ。それで、お前がまた部長になったってのは聞いとったけど、副部長が誰かまでは聞いてなかったからのぉ」

「その副部長なんですが、2人いるんです。その内1人が神戸さんだったんですが、もう1人が、神戸さんの彼氏だったんです」

「彼氏?高校で出来た彼氏か?」

「そうです。しかも俺が1年の時に同じクラスになって、俺の真後ろにいた男で、俺が吹奏楽部に勧誘した奴だったんです」

「ホンマか。そりゃあ辛かったろぉ」

「しかもその前提に、1年の時に同じクラスだったってのが加わるんです」

「お前と、神戸と、その彼氏が、だな?」

「はい」

「そうか…。お前の性格考えたら、何もかも投げ出したくなるところを、耐えてた、そんなところじゃろ?」

「よくお分かりで…。流石先生」

「部長しとった時も、全く喋らんかったんか?」

「いえ、副部長ですから喋らないわけにはいかず、業務的な会話は出来るようになりました。もっともその前に、高校の担任の先生が、俺と神戸さんの軋轢を心配して、仲裁に入ってくれて、高1の3学期に会話してるんです。それがフラれた後、初の会話でした」

「で、話せるようになったのに、今日はまたギクシャクしとるんか。せっかく俺の家で一晩一緒に過ごすんだから、仲直りしていけよ」

「そ、そうですね…。俺も本音は、そうしたいんです。でもどう言えばいいか分かんないんですけど、こっちが押そうとするとあっちが逃げる、あっちが来ようとしたらこっちが避ける、そんな感じなんです」

「うーん…。多分な、もう寝てしもうたけど、今日村山が狙ってたのは、お前と神戸の仲直りだと思うんじゃ。だから彼女が風呂から上がってきたら、一杯飲む?とか聞いてみろよ。俺はちょっと隠れとくから」

「えーっ!心の準備をする時間が少ないですよ、先生」

「こんなものは、心の準備をすればするほど、上手くいかんものなんじゃ。男は度胸で、行ってみろ!」

といい、先生は村山が寝ている寝室へと行ってしまった。

「上井君!」

続いて声を掛けてくれたのは、松下さんだった。

「アタシと武田さんも、お風呂の準備ってことで、女子の寝室に隠れるけぇ、2人きりにしてあげるから、神戸のチカちゃんと仲直りしんさいや」

「え?聞いてたの、今の話。そんな、女性陣まで巻き込んだら申し訳ない…」

「いやいや、仲直りの為には、邪魔者はおらんほうがいいでしょ。先生の娘ちゃんと一緒に女子の寝室におるけぇ、上手くやりんさいや」

武田さんにまで言われてしまった。

「タコ兄ちゃん、お休み~」

娘さんにまで…。

突然広いリビングで1人になった俺は、ビールを飲んだのと、これからどう動くかを連想して、心臓の鼓動が速くなってくる。

その内、遠くからカチャッという風呂のドアが開く音が聞こえた。

(うわっ、どうすればいいんだ、俺は…)

ビールの入ったコップを持つ手が、ガタガタと緊張で震えている。微かに服を着る衣擦れの音が聞こえ、脱衣所のドアを開ける音が聞こえた。少しずつ足音が近付いてくる…。

(次回へ続く)












サポートして頂けるなんて、心からお礼申し上げます。ご支援頂けた分は、世の中のために使わせて頂きます。