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20230909(好きなものとその周期について)

私にはいくらかの趣味があり、しかしそれは常に互いを牽制して主張し合うのだ。

それぞれの趣味はさまざまな経緯を持って今の私に伴ってくれている。
具体的には読書やギター、お笑い鑑賞、プロレス観戦、ダンス、音楽鑑賞(JAZZやHIPHOP、そしてあいみょん)などが特に趣味として挙げられる。
しかし冒頭で述べた通り、それらはそれぞれのリズムでタイミングを互いに見計らいながら私に声を掛けてくる。

必ずしも同時に2つ以上がやってくることがないわけではない。
現に今もあいみょんの曲を聴いて気持ちが高まってはギターを手に取り、U-FRETでコードを確認しながら、独り弾き語りをし、疲れたら村上春樹を手にとってJAZZを聴きながらくつろぐという最高の土曜の昼下がりを過ごしている。
しかしそれらにも波があって、昨日もやったから今日もやらなければと思った段階で、昨日の熱はそこにはなく、そうしてその趣味は一旦身を引く。
そうすると、次の趣味が顔を出してきて、またそれに熱中する。

私の人生は常にその繰り返しだ。しかしそれがいい。
その方が飽きなくていいのだ。その点で多趣味(?)であることも私の利点である。

そして、それらのサイクルが続くことで、思わぬ連関を生むことがある。
例えば、霜降り明星さんのラジオであいみょんのワードが出てきて、あいみょん側からのアンサーがあったり、村上春樹を読んでいてJAZZの話が多々出てくるなど、まさに点どうしが私というフィールド上でマッピングされて網の目状に拡大していく瞬間がある。
それはそれらに興味を向け、情熱を注ぐのに長い歳月を経れば経るだけ、発生しやすくなり、そして感動も大きい。

しかし、その中に私が登場することはない。
まあ、それでいいのだけれど、意外と目立ちたがりな私だから、顔を出せるのならその方が内心嬉しかったりもする。
どういった形かはわからないが、私もその内の一点になれたらと密かに望んでいる。

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