フィンランドで見つめた、幸せと豊かさ
自分の幸せは、自分で決めたいとずっと思って生きてきた。
社会や他人によって決められた、見えない基準によって私の幸せを定義されてたまるか、と思っていた。
他者と比較して、自分が幸せか、豊かかどうか決めるだなんて寂しいことだと感じていた。
”世界一幸せな国”、フィンランドに留学して、今月で10ヶ月になる。
幸福度ランキング第1位の国(余談。この話題を出すとフィンランド人は大体冗談や笑いにする)で暮らす中で、私も私なりに、幸せとか豊かさってなんだろうって、この1年いろいろ考えた。
こう質問されたら、1年前の私はどう答えるだろう。
・・・おそらくこんな感じだろう。
事実、毎月のようにライブに行き、オタ活に生き、バイトに勤しみ、そこそこ勉強し、大学に行き、東京の街に繰り出し友達ととことん遊び、次は髪を何色に染めようか、どんなデザインのネイルにしようか、そういえばまつパの予約とらないとだとか、次のライブはどんなお洋服で行こうか、とかふわふわ考えていた女子大生だった。
そういったライフスタイルが留学によってガラリと変わった。
勉強したい事柄で留学先を選んで、未知の国に行くことは楽しみでもあったけど、東京での生活がとても楽しかったぶん、寂しさもやっぱりそれなりにあった。
上記のような生活を楽しい、豊か、幸せと感じていた私は、いろんな変化と向き合わなければいけなかった。
日本とフィンランドは似ている点もいくつかあるけど、東京という超大量生産・大量消費型社会との違いはとてつもなく大きい。娯楽の豊富さ、時の流れ方、ライフスタイル。
「海外在住が及ぼす精神的な影響」というタイトルで在英日本大使館が掲載していた記事が興味深く、これまで感じていたことをスッキリと言語化してくれていたので引用する。
列挙されていることは大体経験したけれど、これらの変化には結構こたえた。
日本にいたときに、やって「楽しい・幸せ」と感じていたこと、よくしていたことができなくなって、あれ、自分何をすればいいんだろ、となったりもした。
(これはフィンランドだけの話だけではないし、他にヨーロッパ留学している友達も結構言うのだけれど、、娯楽少なすぎ問題。いや、東京というか日本にありすぎるだけの話かもしれないが。)
文化や環境の違い、食事、気候、大学での学び、人間関係、ライフスタイル。。全てが突然変わり、適応するのにはそれなりに時間がかかった。
今目の前にあるものや流れている時間を慈しむことに集中できず、無いものやいない人々にばかり目が向き、嘆くという、まさに上記の通りのことをしていた時期もあった。
でも、ここでの生活を通して、何を幸せと捉えるか、豊かだとするか、自分の中でも少しずつ変わってきた。
変わったというより、よりいろんな幸せや豊かさを知れた、という言い方の方が正しいかも知れない。
11月や12月は確か1ヶ月に3回くらいしか晴れなかったけど、その分晴れた日は本当に嬉しかった。どれくらい嬉しいかというと、朝起きてカーテンを開けて空が青かったら涙ぐむくらい。晴れた日は、純白の世界を太陽がきらきら照らし、本当に美しかった。
クリスマスマーケットに集い、暖かい飲み物を片手にクリスマスを心待ちにする人々を見るのが好きだったし、とても楽しかった。
フィンランドに遊びにきてくれた友達とスオメリンナ島に行った帰りに見た夕焼けがあまりにも美しすぎて、忘れられなかった。おそらく人生で見た景色の中で一番うつくしく、尊い光景だった。
また別の友達が来てくれて、一緒にラップランドに行ったこともあった。果てしなく広がる雪景色とピンク色の空。偶然オーロラが見れた時の感動と言ったら。そして、日本から遠く離れたここで、共に旅行できる友達が大学で何人かできたことに幸せを覚えた。
こうやって思い出すと、自然が人のwell-beingに与える影響はかなり大きいと思う。
近所の森にたまに散歩しに行くのが好きだった。冬はきんっきんに冷えた空気を吸って吐き、自然のなか、たった自分だけになる感覚を楽しんだ。
新緑の季節は太陽に照らされる緑が眩しいほどで、長く厳しい冬を乗り越えたからこそ、それはそれは美しく、生命力を持って輝いていた。
先週、友達にお呼ばれして、ラップランド地方にあるサマーコテージに数日間滞在した。スーパーなどがある生活区域からもさらに離れ、周りに文字通り何もないところにあるため、どんなものかと思っていたけど、それはもうとてもよかった。友達のお母さんが、私の好きな卵乗せカレリアパイを用意してくれて。フィンランド語が話せない私に、英語で話せるように数日前から練習してくれていたらしく…。友達のおばあちゃんは、であったときだけでなく、朝おはようの時もぎゅーっとハグで出迎えてくれて、my sweet babyなんて呼んでくれた。おじいちゃんは、ボートを出してくれて、湖を渡って森への探検に連れてってくれたり、丘登りをして焚き木をしてくれた。本当に、想像以上に温かく受け入れてもらった。
フィンランド語も話せない日本人にこんな優しくしてくれて、、自分は何も返せないのが申し訳ない。そう思っていたけれど、きっと彼らは私に何かしてもらうことを求めているのではなかったのだ。来てくれて、一緒に時間を過ごせて本当によかったよ、と言ってもらえた時は嬉し涙が出そうになった。
その時、私はなんて幸せなんだろうと思った。
湖と森に囲まれた小さな可愛らしいコテージの中で、おばあちゃんが作ってくれた美味しいフィンランド料理を楽しみ、自然を探索し、湖のそばでさざなみの音を聴きながら江國香織の本を読み、サウナで友達と語らった後は湖に入ってみたり。素敵なお友達とその家族に囲まれて、こんなところにこれて、こんな経験ができて、何て幸せなんだろうと。
東京にいた頃の私が思い浮かべていた幸せとか豊かさは、今よりもっと幅狭だったように思う。この社会は消費にまみれてるし、お金使わないとやってられない、だってお金使ってた方が人生楽しくない?と思ってた。なんだか刹那的だし、資本主義に溺れたような生き方だ。
今、私が知っている「幸せや豊かさのあり方」は以前より少し広がり、多様になった。知らないとそれを幸せと認識できないのだから、東京にいた頃の私の幸せが幅狭だったのも無理はない。
でもこうも思う。
何を幸せの基準とするか、何を豊かとするかは人それぞれ。
それらは、状況によって変わりうる。
そして多分、定義も一つの正解もない。
その時のあなたがそれを幸せと感じているのなら、それは幸せ。
豊かだと、満たされていると感じたのなら、それは豊かさ。
帰りたいと強く感じたこともあったけど、
いざ帰るとなった今は、帰国=「人と大量生産大衆的なもので溢れている社会に戻ること、成功や豊かさ、幸せが画一化されているように見える国に戻るということ」のように思えてきてしまう。
そして、やっと帰る場所になったここでの穏やかで慎ましい生活が、これからもずっと続く気がするのに、帰らなければいけないこと、帰ったらここで過ごした日々のこともいつの間にか忘れて忙しなく生きていくと思うと、とても寂しくてたまらないのだ。
でも。
フィンランドでの暮らしが教えてくれたこと。
それは、幸せや豊かさとは、今目の前に見えているものだけを指しているのではないということ。
それは、しなやかさ、と呼んでもいいのかもしれない。
しなやかさをここで蓄えたわたしは、きっとこれからも大丈夫。
世界は広いし、わたしを満たすものも、幸せにしてくれるものもたった一つではないし、幸せを与えてくれる人も一人ではない。
でも、もし大丈夫じゃなくなったら、「いつでもまた帰ってきてね」と言ってくれる人がいる、ここに戻ってくればいいんだ。
最後に。
中学生の頃に読んだ時はイマイチわからなかったけど、今は心のどこかで支えになっている、
茨木のりこさんの詩を引用する。
6月12日。
夏の訪れに人々も心躍る、緑青々とうつくしいヘルシンキにて。
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