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パートナーシップの課題に真剣に向き合った結果、転職に至り、結局パートナーシップに行きついた一年

2021年10月、転職した。
その一年前は、前のパートナーとお付き合いを始めた頃だった。恋愛が楽しくて楽しくてしょうがなく、恋する喜びに浮かれまくってた。まさか一年後に転職してるとはね。自分でもびっくりです。
本当は前職を辞めたタイミングで公開しようと書き進めていたこの記事だけど全然終わらず、結局2021年の振り返り&脱線気味で人生のプチ振り返りになった。

2021年になってから何度も細胞分裂を繰り返したような感覚で、振り返れば超激動だった。でもとても自然な流れだったように思う。
沢山の人に助けてもらって、出会いと別れを繰り返した。ジャーナリングという習慣?もできた。とはいえ毎日はできなくて貯め込み癖は相変わらずだけど、書くことは楽しい。原点思考が強いからか、書き残しておきたい欲が凄い。あと、無理にでも良かったことに目を向けると自分の生活悪くないじゃん!って思えて結構良いものだ。どんな自分でも自分自身が1番の味方になってあげられている気がした。
でもあまりに爆速で進む毎日だと、自分だけで対処し切れないこともたくさん出てくることにも気づいた。精神的に頼りたい。誰かに支えてもらいたい。一人で毎日を頑張るのはしんどいなぁと思うことも増えてきた。(実際一人で生きてるわけじゃないのは頭ではわかっているのだけど。)
未来の自分と、偶然通りかかった人の助けになれる事を願って、2021年の出来事を書き残したいと思う。あとは大切な人たちへのラブレターでもある♡
長編になるので月ごとに記事を分けようか迷ったが、1つの記事のまま残したくなった。もう長編エッセイだと思っておくれ。今の私にしか書けないと思われる。というわけで、お時間ある方はどうぞお立ち寄りくださいませ。




2021年1月🎍
失恋・自己分析の日々


初めてちゃんと向き合いたいと思ったパートナーとの別れがあった。

失恋とはこんなに辛いものなのか?!と身も心も引きちぎれる思いだった。どうやって、明日を生きていけばいいのやら。仕事には集中できないし、とは言え、毎日やることがある有り難さも感じていた。

後悔も寂しさも悔しさも感謝も、毎日毎日違う感情が湧き出る自分にほとほと疲れた。でも「この別れを絶対に無駄にしてはいけない」その一心で毎日思考を続けた。そうすることであらゆることが成仏する気がしたし、そうしなければこの時は生きていけなかった。
自己も他者も大切にするにはどうしたら良かった?愛するって何なんだ…。とりあえずその日を生きる為に日記を書き始めたことでなんとか保っていた。呼吸法やら瞑想やら色々試したけど、一番は書くことで気持ちが落ち着いた気がする。

そんな中でも大切な人たちが話しを聞いてくれるありがたさを感じていた。私は今まで、友達が少ない、狭く深い関係性を築く方が得意だ、と思って生きてきた。けれど、深さはそれぞれながら、大切な人が沢山居ることに気づいた。

星野源のエッセイを読んだり、インプットする時間も意識的に持つようになっていった。



2021年2月👹
パートナーシップの課題はキャリアの課題?


自己分析を繰り返す日々の中、恋愛で相手に依存的になったり不安ばかりを抱えてしまったのは、自律できてなかったからでは?と思った。精神的に自律するにはどうしたら良いのだろうか。

今ここを精一杯感じて、生き切ればいいのか?

生きてるだけで丸儲け、と思えるように、小さな出来事に目を向けるようになった。そう思えれば自分で自分を満たすことができ、誰かに依存的し過ぎずに済むのではないだろうか…と。

そしてもう一つ浮かび上がったのがキャリアの問題。
仕事に満足できていないから、恋愛に依存したのではないかという思考になったのだ。

仕事のことはずーっとモヤモヤしてた。下手したら高校1年の頃からキャリア迷子だった。

やりたいことが見つからず、勉強にもついていけず、やる気も出なくなり、悶々とした高校時代。

目の前のことに挑戦していくのはとても楽しかったけど、4回生の時に大きな壁にぶち当たり、その壁を乗り越えられず、そのままキャリア選択も熟考し切れずにドロップアウトに近かった大学時代。

色々まだ試し足りないことを実験・追究していきたくて続けた俳優業。でも(まぁよく考えればわかることかもしれないが)、売れることへの向上心もなければ即戦力でもない俳優は要らなかった、社会人1年目。集団での物作りが好きだったはずが、実力不足のせいでその現場にすらなかなか行けず、将来のビジョンも描けないから努力もできず(高校時代と一緒やんけ!)、社会との繋がりも感じられない。毎日働いていたコンビニバイトの方がチームワークを感じられて楽しいくらいだった…。
熱意も気力もほとんど喪失しており、自分を棚上げして周囲や業界体制への不満ばかり溜める始末。生きていくのがしんどくなってしまい、偶然訪れたタイミングで辞めることにした。

表現することに未練を残しつつも、とりあえず就職して、企業で働こうと挑んだ就活。
とはいえ、働く時間は短くないのだから、仕事なら何でも良いわけではなかった。事業や理念に共感できる企業に入りたくて、時間をかけて一社のことを調べ尽くして応募した。でも書類落ちがほとんどだった。まさに失恋。オンリーワンのあなたに恋をしてアタックしたけどフラれちゃった、ってオチ。アタックしたけどフラれ、次に好きになれる人を探して、気になる人が出来、好きになる努力をして、やっとの思いでアタックしたけどやっぱりフラれちゃった…みたいなことを数社繰り返していた。自己分析も頑張ってみたけど、この時の分析は甘かったと思うし、自信もなかった。
就活とバイトの両立は難しく、金銭的に厳しくなってきていた現実との折り合いをつけることにし、「好きな人にアタック戦略」から「同時並行恋活アプリ戦略」に路線変更した。
恋活アプリ戦略に切り替えるにあたり、仕事に求める軸も最低限に絞ることにした。
ズバリ、

・生活できる程度のお給料を貰える
・残業が殆どない(=バッファで将来のこともう少しゆっくり考えよう…!)
・ある程度無理なく自分の強みを活かせそう

な仕事。
自分のやりたいことはゆっくり見つけて、残業しない分の時間と体力を表現追究や将来のことを考える時間に充てようと考えた。

そして出会った営業アシスタントの仕事。厳しい先輩にもめげずに何とか仕事を覚え、とにかく一生懸命やった。自ら課題を見つけて改善していけるように工夫したりもした。それなりにやりがいも感じていた。社内には情に厚い人も多く、良い人ばかりだった。
しかし慣れてくるとまた同じような悩みに陥った。このままここに居て良いのだろうか。何となく仕事をしてぬるま湯に浸かっているみたいだ。体力と金銭面を言い訳になかなか表現活動に没頭できない自分に嫌気がさしてもいた。仕事もボチボチ、表現も全然人生の主軸に置けない。何やってんだろう…。

そんな日々を過ごす中で久しぶりの恋愛をした。
そうしたら、今までずっとあったキャリアのモヤモヤなんてどうでも良くなった。恋愛しただけで毎日が彩り、最高だった!
でもだからこそ、恋愛に依存的になったんだと思う。お金の面でも結構限界だった。今までの生活ならギリギリ何とかなっていたお金も、デート代がプラスされたらキツキツになっていた。そのこともパートナーに話せないでいた。
精神的には依存しているのに、金銭的にはキツキツ。
そして別れた。


そんなわけで、失恋したことでキャリアの問題に向き合うべき時が来たんだと悟った。この先に大切な人が出来てもまた同じことを繰り返す気がしたし、変わりたいと思ったので、何年も悩んでいたキャリアについて真剣に考えることにした。


またこの頃に、
エーリッヒ・フロム著「愛するということ」を読み始め、
パートナーシップを探究するコミュニティに入り、勉強を始めた。



2021年3月📝
とにかく人間力を向上させたい!パートナーシップトレーニング


2月上旬から入会したパートナーシップを探求するコミュニティ「ふたりの教室」で、パートナーシップ力向上の為にじっくり伴走してもらえるコーチングのモニター募集があった。入会してわずか2週間でそのモニターに飛びついた。
健全で二人がお互いを尊重し合える関係性構築の為には、まず自分の人間力を向上する必要があると感じていた。とにかく自分を変えたい、その一心だった。本やネットで調べたり、自分自身で内省したりするのは好きだし得意だったが、反芻思考の癖がある為、ぐるぐる同じことを考えてしまう。自分ひとりでは現状から抜け出せないような気がした。今の私にはマンツーマンで伴走してもらえるようなコーチングが必要だ。そうしてモニターに応募した。

最初は毎週1回のコーチングでサポートしてもらっていた。「ズボラで家事ができなくてもいいじゃん!」とか、「そのことによって自分の価値は変わらないよ」と言っていただき、少しずつ「あ、私は私らしくいて良いんだ」と思えるようになってきた。「口では自己開示できるけど行動ではダメなところ見せられないんです」とかそんな話しをしたり。前のパートナーと上手くいかなかった話しをした時も、コーチは彼のことを悪く言わなかった。すごく安心した。

そこから数週間経った頃、「ただコーチングで話しをするだけでなく、1か月でパートナーシップの課題に向き合い切るトレーニング形式にしてみませんか?」という提案をいただき、3月末からはトレーニング形式に変わった。
具体的には、1か月のトレーニングの間、毎週ワークを提出して、週一回のコーチングに臨む。自分の人生の波を振り返ったり、「人生の輪」を書いてみたり、過去の片想いからお付き合い経験まですべて棚卸ししたり、理想とネクストアクションを考えたり。
ワークはとても大変だったけど、私は内省大好き人間なので通勤中や昼休みにも考えたりしてとても楽しかった。逆に要点を掴んで伝えることが苦手なので、いつもワークの文字数が大量で、コーチは読むのが大変だったと思う…読んでくださって有難かった。

最初はパートナーシップに関することだけをトレーニングしてもらうつもりだったが、キャリアの問題も横たわっていることをお伝えすると、キャリアの棚卸しや理想のキャリアについて考える時間を設けていただくことになった。



2021年4月🌸
やっと吹っ切れる。そして転職活動本腰 〜どんな人生の命題があって、どんな社会創りに貢献したいの?〜


パートナーシップトレーニングで過去のパートナーシップについて振り返るうちに、直近付き合った人との傷がまだ癒えていないことに向き合わなければいけなくなった。パートナーシップの問題がキャリアの問題にすり替わっていた部分があったけど、いよいよまだ未練があることを真正面から認めなければならなくなった。前向きに未来に向けてのトレーニングをしてもらっているのに、後退しているようで情けなく恥ずかしかった。それでも素直な気持ちを認めてワークに記入することにした。

ワークを提出した翌日、直近のパートナーのことばかり考えてしまい、苦しくて悲しくて大泣きした。

別れ方も本当に大事だなと痛感した3か月間だった。「幸せな時間をありがとう。幸せで居ようね」ってあと一回伝えられるだけで良かったのかもしれない。一緒に居た期間がまるで嘘だったかのように一気に関係性が切れることが悲しかった。パートナーとして隣にいることはできなくても、人間対人間として、これからも互いの幸せを願って応援し合える関係で居たかったのかもしれない。そう思うと、あと一回で良いから笑って会いたくなって、でもそれが叶わないことに泣いた。

でも泣いたおかげで、すっきりした。その日の夜に参加したふたりの教室のイベントで、楽しんで恋活している人が居たり、うまく行かなくても前に進んできた人たちが居ることを目の当たりにして、「あ、なんか仕方ないかー」と思えた。伝えられなくても自分の中で「ありがとう」という気持ちを持ち続ければいいかって思ったら、自分の苦しい気持ちを成仏させてあげられる気がした。

その翌日コーチングを受けて、自分のパートナーシップにおける強み、今までどんなことをされると嫌になってしまったのか、どういう状況だと人のことを好きになれていたのかを客観的に俯瞰できた。そのお陰でやっと未練と情を断ち切れた。
それ以降、直近のパートナーのことで悲しくなることはなくなった。

それから自分で自分を満たせるような意識を強めた。
感情を蓋をせずに感じ切る。こんなこと考えちゃダメ、こんなこと思って恥ずかしいと思っても、沸いた感情を感じ切る!認める。

一朝一夕にはいかないし今も全然できないけれど、今振り返ると、あの時より少しは自分の感情を肯定も否定もせずに認識することができるようになってきたように思う。

中旬にはパートナーシップトレーニングも終了した。終わる時、卒業していく学生のような気持ちで、来週からもうコーチングの時間がないと思うと寂しくて泣きそうになった。本当にこの期間がなかったら、もっともっと乗り越えるのに時間がかかっていたと思う。本当にこのトレーニングを経験できて良かった。


毎週のように時間をかけてワークに取り組んでいたので、その速度とエネルギー量を落とすことなく転職活動に注力することにした。具体的に取り組んだことは

  • wantedlyのプロフィールを整えて、そこから応募を進める

  • 転職エージェントのサイトで書類を整えて、電話面談を受け、求人を精査して応募を進める

  • 自分の転職軸をより明確にする

転職エージェントは膨大な量の求人があったので、毎日求人を見続けるのは本当に体力が要った。
「やりたい仕事があって、その仕事をするために転職したい」というより、「事業や理念に共感できる企業で使命をもって働きたい」と思っていた。
毎日毎日大量に通知が来るエージェント経由の求人の中から、魅力を感じる企業を見つけるのはなかなか難しかった。ただ、面接練習の為に気になったところには応募するようにしたが、実際には経験のある職種の求人しか回ってこなかったし、今の仕事よりもステップアップしたものにはチャレンジできそうになかった。

また、共感できる企業で働きたいとはいえ、どんな事業なら共感できるのかという点が正直まだまだあやふやで不明確だったので、もっと言語化する必要があった。
パートナーシップトレーニングのキャリア編で見出した一つの指標としては、「自分が経験して苦しんで乗り越えてきたことならば、心から共感できる気がする」ということだった。たとえば今回の失恋にしても、コーチングに助けられて乗り越えることができた。

私の人生の興味関心はパートナーシップや愛のことに一点集中していた。数ヶ月経った今もそうだし、過去の自分を振り返ってもほぼ同じような言葉で集約できるだろう。仕事だろうがプライベートだろうが、生きてること全体に関わることに興味は尽きない。
自分自身のパートナーシップについて考えること、すなわち誰かのパートナーシップ向上を願うこと。その逆もまた然り。

「自分のことも他者のことも意志を持って大切にするきっかけ作りができるんじゃないか?」
この数カ月、パートナーシップの問題に直面して自分自身に向き合うことで、自己受容の大切さを感じてきた。自分自身を大切にできないと、他者のことも同時に大切にすることはできないと心から思った。ただそれには意志が必要で、努力が必要だとも感じた。『愛するということ』にも「愛は技術である」とあった。まず上手くやれなくても、お互いが努力しようという意志を持つことから始まるのではないだろうか。逆に意志と努力がなければ互いを真に尊重し合うことはできない。
私がそのことに気づかせてもらったように、意志と努力が大切であると気付く人の輪が広がったらどうなるんだろう…そんなことを偉そうに夢想していた。
そんな大義名分を語っているが、私自身も全然言動に落とし込めていないので自分自身にも問いかけ続けたい問題だと思った。

自分のことも他者のことも、意志を持って大切にしていける人が増える社会になったなら。もっと生きやすい世の中になるんじゃないか。綺麗事かもしれないけど、良いパスを送り合いたい、偶に捕りにくいパスを出してしまっても、捕りやすいパスなのに落としてしまっても、それを許し合えたなら。割と真剣にそう思うようになった。

その命題に対してリンクするような事業を探してみようと思った。

そんなことを考えている時に、結婚と恋愛の違いについて語るyoutubeイベントを視聴した。そこに登壇していた企業で、話しを聞いてみたいと思える企業に出会った。命題にリンクしているかもしれないと感じた。
そしてtwitterでアタックしてコンタクトを取ってみることにした。今までこんな風にDMをしたことがなかったので、緊張したし、怖かった。話しを聞いてみたいけど、どんな風に話し進めたら良いかわからなかった。でも、石橋叩きまくって腹落ちさせないと行動できない自分を変えないと、いつまで経っても進めないと思い、奮い立たせることにした。



2021年5月🎏
気になる企業にコンタクト・キャリアと私生活をどうしていきたいかを考えた。


この時期はひたすら転職活動に精を出していた。自分の仕事で得たいことを理解できてきたとはいえ、実際に具体的にどういう仕事に落とし込むかはとても難しい問題だった。自分の命題にリンクする事業を探すには、あらゆる情報にアンテナを張り続けなければならず、それは長期戦になるかもしれなかった。長期化した場合には身体的・精神的体力が持つかどうかの心配もあった。今の仕事は居心地が良いので、転職活動が長期化して、転職する気が失せたらそのまままた現状維持。ぬるま湯の中で気づいたら茹でガエルになってしまうかもしれなかった。(というのは半分冗談、半分本気。)
4月に出会った企業とコンタクトを取りつつ、同時に他の線でも転職活動をしなければならず、なかなか悶々とする日々だった。
具体的な職種や業種に落とし込んだ方が転職活動しやすいのではないか?もう少しキャリアに特化したコーチングサービスを受けたいと考えるようになり、勢いづいていた私は実際に受けてみることにした。


またふたりの教室では、キャリアのイベントと妊娠・出産のイベントがあった。キャリアに対する価値観を明確化するとともに、自分は子供が欲しい人生なのかを考えてみる機会になった。自分の中での結論は出なかった。妊活のことはよくわからないこともあり、今のところ、子供は授かるかどうかでコントロールできないものな気がしている。でも将来子供を授かりたいと思った時に後悔のないようにしたいと思った。
子供を持つ人生に対して、希望が持てるようなエピソードもあった。

  • 世界観・価値観が広がる

  • 夫婦で共有できることが格段に増える

  • 夫婦のパートナーシップをより強く出来る

  • 親になって初めて気づくことがある

など。大好きなパートナーと協力して子育てする未来も、少し考えてみたいと思った。
それから、子供という他者の成長に伴走する経験をすることで、自分自身をさらに成長させてみたいと思った。視野が広がることでもっといろんなことを許せるようになるかもしれない。もっと愛を注げる人間になりたい。


コンタクトを取った企業には、5月末にエントリーした。ただ、関西勤務の可能性が高くなるということに一抹の不安を抱いていた。



2021年6月☔️
愛する意志と努力、Iメッセージ


27歳になった。27年もこの肉体を使ってきたのかと思った。死んでも精神は残ると思う。でも生きてるうちしか肉体は無いんだよなぁ。この授かった生命を全うする為に、今この瞬間を大切にしたいと思う。食事にしても、歯磨きにしても”ながら”でやってしまうことも多い。歩いたりお風呂入りながらぼーっと考え事することも多いのでなかなか私には難しい課題だ。お風呂のあたたかさを身体いっぱいに感じたり、味わって食事したり、大事だな…。


ふたりの教室のメンバーの方に、愛着スタイル診断について教えていただいた。

不安型と回避型が混ざっている特性で、なかなか厄介だな自分と思った。愛着障害についてはその後全然勉強できていないので、2022年最初の課題図書にしたい。


また、あつたさんのこの記事を再読してとても響いた。
そして、自分の努力のできてなさに驚いた。
人間はすぐに忘れてしまうので何度だって自分を戒めないと、愛する努力が必要なことすら忘れてしまうんだなと感じた。4月あたりで大義名分を語っていたが、
「合うか合わないか」というより「その人と向き合っていきたいと思うかどうか」。覚悟を決められるかどうか。



転職活動では一次面接があった。事業の魅力を存分に感じつつ、自分の強みを活かしつつ、足りない力をつけていけそうかもしれないと思っていた。ただ、まだこの時には関西行きの覚悟が決まらなかった。関西で長く暮らしたいとは思わなかったからだ。(未来のパートナーとの話し合いで、関西暮らしが決まるならそれはそれでありだが、自分ひとりで関西に長いこと居たくはなかった…。)


それと同時並行でキャリアのコーチングサービスを受けた。そこで新な思考の癖がわかった。

【思考の癖】
①「理想の自分(何かに邁進できている自分)」で居られない時の自分は価値がないと思ってしまう
②目的意識の高さ
→100%の興味が無いとやってはダメと考える(継続できないことは悪だとどこかで思っているので、興味が薄くて継続できないなら始めない方が良いと考える)
→挑戦を躊躇してしまう

【癖に対しての意識改革】
①・完成し切っていない”今”の自分を受容する
 ・失敗経験を積み、失敗を捉え直して学びに変える意識を持つ
②興味や情熱は育てるモノという意識を持つ

①の「”今”の自分を受容する」為に自己受容ワークに取り組んだ。具体的には以下2点を毎日書き出した。
・今日の良かったこと
・うまくいかなかったこと
 →うまくいかなかったけどOKと、子供を褒めるように自分に言葉をかける

②に対しては、躊躇していたことも実践してみようと思った。
まず話してみたい人には話しかけてみることにした。
踏み出してみた先で、自分が拒絶を感じたり、対象から拒絶されたりすることはとても怖かったけど。でも課題の分離を言い聞かせて踏み出してみることにした。他者がそれを受け取るかどうかはその人の問題であって、私の問題ではない。保身に走らず、自分の意志は尊重してみよう。そう思った。
それに、他者に対して感じているポジティブな感情はどんどん伝えた方がいいなと思った。決して悪いことじゃない。
幸いにも相手は受け入れてくれた。嬉しかった。結果として、本当に踏み出して良かったと思う。そうすることで周囲にも感謝の気持ちが湧いてくる。Iメッセージで伝えてみることの大切さを実感。

偶々その後に読んだ以下の記事が、それで良いんだよと後押ししてくれた。

あと、2020年からオンラインで英会話を地味に続けていたのだが、そんな時にレッスンでふと気が付いた。英会話はIメッセージが多い。主語がはっきりしてるからかな?課題の分離も上手にできている。なんとなく目標もなく続けていた英語から、まさかの気づきがあった。



2021年7月🏖
自己受容・家族旅行・関西行きの決意


大学同期の舞台を久しぶりに観に行った。彼は私の戦友の一人だが、新たな彼の一面を見た気がした。大学を卒業して社会に出て、求められること、自分で進みたい方向、これでいいんだろうかとその狭間で迷うこともあったと思うし、これからもそうかもしれない。でも、彼の真っ向勝負のストレートプレイを観れたのは本当に嬉しかった。もはや大学の同期を客観視はできないけど、大切な仲間の活躍はただただ嬉しいと思った。


キャリアコーチングでは、ひとつ辿り着いた人生の理想を言語化した。それは、

「大切な家族(もしくはそれに匹敵する他者)と対話する時間を大切にしながら、意義を感じる仕事で他者貢献を実現する」

というものだった。
やはり大切な人たちを大切にしたい。また、対話の時間をとても豊かに感じるのでその時間を大切にしたい。尚且つ仕事も人生の一部なので、自分の命題に向き合うことで誰かの力になれるように、自分の強みを活かしていきたい。
やはり私は人生を伴にするパートナーや家族が欲しいと思った。
同時に、結婚は目的ではなく手段であって、かけがえのない関係性を築いた上で、結婚するか否かという選択肢があるのではないかと考えるようになった。


自己受容の面では、ふたりの教室のメンバーさんが紹介してくださった『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』を読んだ。タイトルだけ見た時は正直「うん?」と思ったのだが、中身は全うな自己受容の本だった。食わず嫌いしなくて良かった…。
自分の心の穴を埋める為に相手を使っていないか?と問われた。
感情をごまかさずジャッジせずに感じ切り、偶然の出会いや予想外のものを楽しく受け入れる。その大切さを改めて教えてもらった。確かにコーチングを受けて感じたことだが、人生のどの断片が欠けても今に繋がる道は同じ道にはならなかった。
心の穴は誰もが持っている。心の穴からは魅力も欠点もどちらも出てくる。心の穴を持ったままの自分・他者を愛せるかどうかを問われていると思った。

・お互いを尊敬しあい、「パートナーがいるから、自分は自己受容できているんだ」という自覚が双方にあり、そのことを感謝しあえている
・「相手を愛しているけど、甘やかしていない」そして「おたがい、その相手が必要」

『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』
(著・仁村ヒトシ)より

それがとても良い関係性なのかもしれない。

パートナーではなく高校時代からの親友のことだが、上記の内容を読んだ時、まさに彼女のことだなと思った。私は彼女を尊敬しているし、でも寝坊助さんなところも「もう!〇〇ちゃん!」ってプチ怒れそうだし、でも全然許せる。ダメなところを知っても痛くも痒くもないし、執着もしない。でも彼女のことを必要としている。かけがえのない存在だと思った。そのことを伝えたくて思わずLINEした。
彼女だけでなく、他の大切な人に対しても同じ気持ちになる。”甘やかしていない”の部分は怪しいけど…(笑)学生時代の仲間や戦友たちは、嫌でもいろんな面を見せてもらってるし見られてる。それでも一緒に歩んできた歴史があるから、それも含めて大切に思える。
でもこれが出会って日が浅いパートナーとなるとなかなか難しいものですよね…。しかしこれから関係性を深めていきたい人ともそういう関係を築けるように努力していきたいと改めて思った。

また今年頭から自己受容について向き合ってきたことで、「何かに向かって頑張っている、エネルギーに満ちている自分じゃなくても価値があるし尊いんだ。生きてるだけで充分素晴らしいことなんだ」と心から思えるようになった。そのことを両親にも伝えることができた。
一方で、私が自身の経験をシェアしたことで力をもらったと言ってくれる人が居た。嬉しかった。誰かに貢献できなくても充分尊いんだけど、+αで貢献できるのは嬉しいし素敵なことだと思った。


下旬には家族で岩手・青森旅行に行った。家族旅行する機会が少ない家庭だったので珍しいことだった。旅は、小さなことを大切にしようと思うきっかけをくれる気がした。旅は日常とは異なるから、何でも味わい切る意識が強い気がする。泊まったペンションのマスターとの出会いとか、ひとつひとつの小さな会話を愛おしく思ったり、食事の素材の味を感じたり。ほんのちょっとした小さなことでも愛おしく思う。「あぁ、あのマスター元気かな?」と後日考えたり、またいつかここへ旅行に行きたいなと思うことは尊いなと。旅は慣れてないけど、行って良かったと思えた旅だった。
余談だが、青森の仏ヶ浦の絶景は、みんなに見てほしいと思った。火曜サスペンス劇場で片平なぎさが出てきそうなレベルの断崖絶壁が連なっている。アブは沢山いるし、夏は汗だくになるけど(笑)一見の価値あり。(ちなみに遊覧船には乗りませんでした。)

-安比高原スキー場-
ゴンドラ超怖かった😇🚠
-仏ヶ浦-
-仏ヶ浦-



転職活動では、最終面接を経て内定をいただけた。条件通知もあり、転職することに迷いはなかったが、それでもまだ関西行きだけは不安があって、最後まで迷っていた。大切な人たち、これからもっと会って話して関係性を築いていきたい人と、物理的に離れなければならないこと。実家からより遠くなること。孤独に耐えられるかの不安。
でももう転職活動のエネルギーは切れかけていた。

そんな時には両親が冷静な意見をくれた。
覚悟を決めなきゃいけない時が来ていた。
寂しさも孤独もあるけれど、今向き合うべきは何か。キャリアコーチングで3~5年後にどうありたいかというところも考えていた。そう思うと自ずと今取る選択が決まってきた。それにひとり関西に行ったとしても、仕事以外のことを諦めなきゃいけないわけじゃない。仕事も他のことも、自分次第でどちらも頑張っていける。その覚悟をするかどうかだけだと自分に言い聞かせることにした。人との関係性も、物理的な距離を言い訳にせずに向き合ってみたいと思った。

そして退職の意志を上司に伝えた。上司は勘付いていたらしく、あっさり受け入れてもらえた。ただその後が問題だったのだが…



2021年8月🎐
難航する退職交渉と全力引継と入社時期の決断~課題の分離・自分軸と他人軸・自己愛について~


退職交渉は難航した。上司はあっさり受け入れてくれたのだが、問題は同職種の先輩だった。1.5か月後には退職するということを伝えると、口では「仕方ないよ。やれることやるしかないもんね。」と言ってくれたものの、顔は強張り、「誰が引継ぎ受けるの?」と毎日のように私以外の人に訴えているのが聞こえてくる始末。無理は無い。私が辞めることで、新しく人を雇わねばならなかった。それは転職活動を始める前から分かっていたことだった。私が辞めるまでに雇えるとも限らない。それでも私ができることを全力で責任を持ってやるしかないと思い、業務のすべてを網羅できるような資料作りに励んだ。

それでも先輩の当たりはキツかった…単に私が過剰反応し過ぎだったのかもしれない。それでも今まで良好だった関係が崩れて、円満に退社できないのは悲しいと思った。
退職時期を1か月延ばせば少しは満足してもらえるのか?円満退社できて、引継ぎも自分の満足いくまでやり切れるなら延ばしても良いと思った。でも内定先が出してきた条件よりも入社が遅くなるので、待ってくれるとも限らない。
色んな人の意志を尊重したくて、悪く言えば八方美人になりかけていた。自分の人生の選択の話しなのに。表面上の保身に走って八方美人な態度を取る自分が不誠実に思えてきた。「自分の人生」や「会社の今後」ではなく「辞めるまでの周囲との関係性を良好にする」ことの方が大事になってしまっていた。

渦中に居る時は針の筵で辛かった…どうやって乗り越えていけばいいのかわからなかった。大丈夫だよ、そのままのあなたで充分だよ、いつでもここに戻ってきていいよと誰かに言ってほしかったけど、自分だけでも自分の味方になろうと思って「今のままの自分でも、相手の満足を満たせない自分でも、全然大丈夫なんだよ」とセルフよしよしすることにした…。
それでもやっぱり人に頼らないと辛いこともあると感じた。一度頼るとどんどん精神的に依存してしまう気がして怖いのだけど、依存先が沢山あることが”自律”とも言うしなぁ。

ここでこそ「課題の分離」を意識して、自分のやるべき引継ぎを粛々とやるしかないと思った。他人の課題は切り捨てよ。『嫌われる勇気』を読み返しては言い聞かせた。



理にかなっていることや理屈が通っている要求に対して、心が追いついていない状況では断れなくなる傾向がある。理屈を頭では理解できるけど、感情面で受け入れられないモヤモヤがある、という状況になると、「私のモヤモヤは優先させてはダメなんだ」と思ってしまう。
でも本当はそんなことないはずだ。何度も書いている通り、湧いた感情は否定してはいけない。

以前にふたりの教室で教えてもらった、以下の「自分軸と他人軸」の漫画を思い出していた。
コーチングに時間もお金もかけてきたはいいが、最後の最後で私は自分軸に対して腹を括れていなかったと感じた。
他人軸にも良いところは沢山ある。でも自分軸を大切にできなければ後悔も残って、最終的に他人のことも大切にできなくなる場合がある。大学の時も同じことで失敗しているので、もう二度と同じことを繰り返してはならないと思った。

https://twitter.com/i/events/1180956689501020160



しんどくて疲れる日々の中でも人の支えはあった。

職場の引継ぎの仲介役を担ってくださった先輩。文句ひとつ言わずに私から引継ぎを受けてくださった。私の拙い説明も傾聴してくださり、わからないことは理解できるまで聞いてくださった。

上司は「ありがとうとごめんなさいをちゃんと言い続けた3年間でしたね」と言ってくださった。恥ずかしかったけど、少しだけ嬉しかった。

他部署の上司もこれからのことを応援してくれた。

社長も「残念だけど頑張ってね」と言ってくれた。いつもの社長とのお話しタイムは本当に貴重で、下っ端の私にも対等でありがたかった。

中学の幼馴染は休日に7時間くらいおしゃべりしてくれた(笑)7時間喋っても喋り足りない(笑)現職やキャリアの悩みについて話したり、パートナーシップの悩みについて語り合ったり、昔話を延々と話して盛り上がったり。爆笑させてくれる彼女には本当に力をもらっている。

私の愚痴や悲しかったこと辛かったことも全面に受け止めてくれる人も居た。彼とは出会って日が浅いけど、いつも優しく励ましてくれて本当に感謝しかない。いつもかけてくれる言葉があたたかいので、その言葉を忘れずにいたいと思う。そしていつも自分の話しばかりし過ぎてしまうので、私ももっと彼の力になれる人間でありたいと思う。



8月最終日にふたりの教室でシェアされたTEDの動画がめちゃくちゃ良かった。
真の自己愛はナルシシズムではなく、「この人と居る時のこの自分は好きだなぁ」と他者によって自分を愛することができるようになれること。
前のパートナーと居る時は、頑張れている自分が好きだった。
でも今は頑張らない自分でも好きだなと思えている。だからリラックスした姿を自然に見せられる人と一緒に居られるといいなと思う。
そんな自分を愛せれば、他者のどんな姿も愛せる気がする。



2021年9月🌾
外耳炎。配属先決定。退職。内見。ワクチン。お別れ。引越し。怒涛過ぎて感情が追いつかない!!!


転職まで1か月切っていたが配属先の通知が来ない…さて、引越しの可能性が大きいし、どうしようか…いや、悩んでも仕方ない。
ということで、引継ぎでドタバタしながら日々に疲れていたら、耳が痛くなってきた。耳にニキビでもできたか?と思ったら外耳炎だった。軽度で良かった。
1回目のワクチンも腕が痛いくらいで済んだ。セーフ。
マジで身体が資本だなと。



ある休日に久々の同期から電話があって驚いて出た。かなりしんどそうな声だった。これはマズイと思って、彼に会いに行った。徒歩圏内に住んでいたのに、この何年かで数えるほどしか会わなかった。もっと会えば良かったと、この怒涛の月になってやっと気づいた。
少しは彼の力になりたかったけど、何もできなかった。自分がこの数か月で学んだことをアドバイスに使ってしまったけど、それが果たして妥当な寄り添いだったかはわからない。的外れだったかもしれないし、そもそもアドバイスなんて求めてなかったかもしれない。ただ彼自身がどうしたいかの本音に気づいて、それを一番大事にしてほしい、感じた気持ちを伝えることは悪いことじゃないよと伝えたかった。その気持ちだけは確かだった。頼ってくれて嬉しかった。同時に無力感を感じた。こういう時どうしたら力になれるんだろうかと思った。どうやったら大切な人たちの力になれるのだろうか。

それでも彼に限らず他の友人たちも実家の母も、私のエピソードトークに勇気をもらったよ、と声をかけてくれる。本当にありがたい。いつも力をもらってばかりだから、もっと力になれるようになりたい…。



そんなこんなで配属先の通知が来た。
通知から2週間ちょっとで引越さなければならなくなった。
そこからは仕事の引継ぎに加えて、引越し業社の選定、引越し日の決定、内見の日取りの決定、住むエリアの決定、ワクチン2回目の日取り決定と、小さな決断が沢山あった。
期限があったからやれたとも言えるけど、やることだらけでめちゃくちゃ大変だった。
忙しくても、大切な人たちには全員挨拶したかった。みんなに連絡してみたら奇跡的に全員に会えた。みんな忙しいのに、時間を作ってくれて本当にありがとうだった。引越しの梱包を手伝ってくれた人も居て、本当に感謝しかない。

仕事の引継ぎ資料作りも、最終出社日の5日前にやっと完成した。やり切ったぞ!
続々と職場の人たちに別れを伝える時期に入った。

顧問のおじいちゃんは絵を描くのがとても上手で、私が手帳に実家の犬の写真を挟んでいるのを見て、犬の絵を描いてプレゼントしてくださった。嬉しかった‥。例の同職の先輩にかけられた「立つ鳥跡を濁さずだからね」という言葉に少し苦しい思いをしていた私に対して、「ことわざには、必ず逆の意味のことわざもある。だから立つ鳥跡を濁しても良いんだからね。」と声をかけてくれた。多くは会話しないし、いつも屁理屈言ったりしているなんだか憎めないおじいちゃんだったけど、私たちの様子をとてもよく観察して、本当に必要な時に優しい言葉をかけてくださる。本当にありがたかった。そして顧問とはLINE友達になった。嬉しいものだなぁ。

他部署のSさんは、私の学生時代に関わった映画が一年前に劇場公開された時にも、わざわざ茨城から東京の劇場まで観に行って「とても良い映画だったよ」と言ってくれた。よくわからん他部署の奴の映画なのに、そうやってわざわざ観に行くってなかなかできるもんじゃない。本当に嬉しかった。

他にも数えきれないほど社内の皆さんがあたたかかった。
お世話になったほとんどの他部署の方々には直接会えなかったけれど、最後には電話やメールでメッセージをくださった。

同部署の先輩方にはハグしてもらったり、「頑張りすぎると身体も心も壊れちゃうから気を付けて」と言っていただけたり。

まさか自分でも最終日に泣くと思ってなかった。先輩方がかけてくれた言葉、本当にありがたかった。色々あったけど、ちゃんと終われて良かった。



最終出社日の翌日には内見に行った。一件目の不動産屋で全然良いと思える物件に出会えず、ぐったりしながら家族に愚痴っていた。そんな時に友達が「一件目で出会えないのは想定内だよ~頑張って!!」と言ってくれたり、例の顧問のおじいちゃんが「最後の1ヶ月本当にせわしなくて切なかったと思うけど、よく頑張ったと思うよ…」なんてメッセージをくれたもんだから、一人知らない土地の駅前のロータリーで泣いた。

何とか無事に気に入った物件に出会えて、翌日までに契約を済ませた。
東京の自宅に戻った時、初めて「帰ってきた」感覚になった。4年半住んだ土地。ずっと仮住まいみたいな気分であまり愛着が湧いていなかったけど、ちゃんと「帰る場所」になっていたんだと気付いた。

そこから退去までの一週間、引越し準備とワクチン2回目の接種を受けながら、ほぼ毎日人に会った。
ワクチンに関しては、本当に引越しのギリギリだった。あと一日遅かったら、引越ししながら怠過ぎて死んでいたかもしれない。セーフ。

母が引越し前日から来てくれた。バタバタと色んな準備を手伝ってくれる中で、寝る前に思わず「はぁ…関西に行くんかぁ」なんて漏らしてしまった。「希望に満ちているのかと思ってたけど、不安があるなら言って良いんだよ」と寄り添ってくれたので本音を吐露した。自分を納得させる為に大きな理想を語ることはよくあるけれど、自分の心の小さな声に向き合う時間だった。母には感謝しかない。

こうやって書いてみると、いつまでもグズグズと自分の決断に不安を感じていてなんとも恥ずかしい。リソース配分を考えた結果、今の決断を選択したんだ。だからそれを受け入れて自分で正解にしていくしかないのだけどね。

後悔があるわけではなかったと思う。ただ、この数週間で大切な人たちに会いまくったこともあり、心細かったんだと思う。



電車と新幹線で3.5時間って、移動距離はかなり遠いはずなのに、車内で悲しみに暮れていても新幹線ってやつは否応なく現実へ連れていく。
新天地へ到着するとすぐに役所や不動産屋に行って諸々の手続きを済ませなければならなかったこともあり、「あぁ、もう着いちゃったし。この地でとりあえず頑張っていくしかないな」という気持ちになった。
引越しの荷物が届いて梱包を開ける時、梱包作業を手伝ってくれた人たちの顔が浮かんだ。
家族も友達も皆「しんどくなったらいつでも言ってね」と言ってくれた。私も皆の味方で居たい。少しだけ勇気を出して、いってきます。



2021年10月🌕
転職。本当は幸せなパートナーシップを築きたいだけだった。


しんどい。はじめての環境、はじめての土地、0から始める未経験の仕事。
心細い。寂しい。辛い。
前職で散々やっていた電話対応一つとっても勝手が全然違って、内線すらろくに取れなかった。情けなかった…。
そうか、自分はこんなに初めての環境にヨワヨワな人間やったんか。
がんばってえらいと自分を励ますしかできなかった。

そんな時に「今までのお礼」ってプレゼントくれる人がいたり。嬉しかったなぁ。存在だけで尊いのに、そうやって気持ちを届けてくれることが嬉しかった。
応援してくれてる人がいる。
みんな頑張ってるし、私もがんばろう。それだけが心の励みで、引っ越して1か月近く経とうとしているのに荷解きが終わっていない部屋に、自分を励ます言葉を書いた紙を貼った。

実家の犬の一周忌もあったので、ベランダで空に向かって祈ったりもした。彼にもだいぶ力をもらった。いつも一方的にお願いばかりしてごめんねと思いつつ、ありがとうと思う。

仕事では現場の業務を覚えることと、ロープレやテストを必死にがんばった。
毎日戦場に行ってるような気分。ガチガチにスイッチ入れて鎧を着ないと出勤できなかった。出来ないことがあまりにあり過ぎて(転職したてなんだから当たり前なのだが…)、でも周囲がピリピリ忙しそうだと察してしまって質問できない自分も居たりした。質問しない方が迷惑かけるのに…!!
業務をこなすことばかり考えて、本質を見失いがちな自分。自分の想像力の足りなさに毎度げんなり。

「他者に愛を注げる人になりたい」
なんて口では大きなこと言ってここまで10ヶ月頑張ってきたけれど、
薄々勘付いてはいたが、ほんとのほんとの心の奥では、誰かに愛されたいと思っている自分に気づいた。
幸せなパートナーシップを築きたくて、愛を注ぐことができる人間になる為には精神的自律が必要で、精神的自立のためにはまずキャリアの問題に向き合わないといけない。
そう思って、キャリア形成にむけて走ってきた。
しかし、新しい環境で心折れかけた。1ヶ月も経ってないのに、正直しんどかった。

寂しい、辛い。誰かに寄りかかってしまいたくなった。



2021年11月🍁
母が来た。同期ができた。何とか1ヶ月乗り越えた。

母が新居に来てくれた。私が辛い、しんどい、寂しい…ほんとは実家に帰りたいけど、友達にも会いたいけど、やることありすぎて飛行機取る心の余裕も無いし、スケジュール的にも帰ったらその後もっと仕事がしんどくなるかもしれなくて身動き取れない…って電話で泣いていたら、「私が行くよ」と言って来てくれた。仕事があるのにごめんねって言ったら、「仕事より何よりあなたが一番大事だよ」と言ってくれた。嬉しかった。私は充分愛されているじゃないか。

来てくれた日には、布団の中で背中をトントンしてくれた。子供に戻ったみたいだった。寝不足で寝ぼけ眼だったけど、とても安心して心が穏やかになったのを感じた。こんなにリラックスできるんだ…ととても驚いた。人の温もりの偉大さよ。

また同時期に、仕事では2週間のオンライン研修があった。そこで5人の同期ができた。大量のテストもあったが、チームで2週間乗り越えられた。終わった時寂しかった。みんなと同じ現場で働きたかったと思った。
でも自分が向き合うべきことは皆とは別にあって、私は私でがんばらないとと思った。
同期ができなければ途中で心折れていたと思うし、これからも頑張れないと思う。彼らの存在には本当に救われる。
承認し合えるってとても素敵。心理的安全性がすごい。オンラインでここまで関係性築けるなんて。素晴らしい。
でも解散するときは、みんなに直接会いに行ってありがとうのハグをしたかったな。

そして数週間後、接客のテストに合格した。

毎日毎日しんどいし、朝を迎えるとネガティブになってしまうのはテストに合格したって変わらず。でも冷静に考えると、タイトなスケジュールの2か月間で、テスト3つも合格するなんて、本当に偉いなと思った。自分毎日頑張ってるじゃん。偉いじゃん。確実に成長してる。プレッシャーと成長痛がしんどいけど、自分で自分を追い込み過ぎずに、自分を褒めてあげようと改めて思った。

しんどい毎日の中で感じたのは、無性に大切な人たちの声を聴きたくなるということ。疲れていると物理的に1人になりたいことが多いけど、最近は大切な人と心がつながっている実感が欲しいと感じることが増えた。

引越してから心の支えになってくれたのは、家族や友人やコミュニティの存在だった。職場から歩いて帰るのが好きな時間になりつつあるのだけど、そんな時に色んな人にフラッと電話するようにもなった。母とはしょっちゅう電話するけど、父にも電話してみたり、友達と電話やテレビ電話で喋ったり。ふたりの教室の週1イベントがある日は仕事頑張ろうと思えた。本当に、みんな、ありがとう。大好きだよ。という気持ち。

でもそんな時間を持てているにもかかわらず、満たされない気持ちになった時は、本当にどうしようかと思った。結局仕事の問題は仕事に向き合うことでしか解決できないじゃん、ツラ!って。あれだけコーチングもしてもらって、内省して言語化して、時間もお金も労力もかけてくだした決断なのに、何で毎日辛いんだ?と思ってしまうのが嫌だった。(そんな時に助けになったのはやっぱりトレーニングのワークシートを読み返すことだった。)
友達との楽しいはずの時間を100%で楽しめなかった時は、自分が嫌になった。
仕事で大きな何かを乗り越えたら、それは得られる喜びは大きいだろう。きっとそのはずなんだろう。
でも、そこに行きつくまでの1日1日を乗り越えることでいっぱいいっぱいになっている…。みんなどうやって日々生きてるの?

毎日の原動力が欲しい…パートナーができれば何か変わるんかな…なんて安易な考えもよぎっていたけれど、そんな簡単な話しじゃない。それにパートナー(他者)は私に都合良く生きる道具じゃないのでは?今の私にたとえパートナーができたとしても、1年前と同じように依存的になるってのがオチだろう。仕事の辛さから逃げ込む先が恋愛になるのは不健康だし望んでいた形ではない…なんてことを自問自答していたらよくわからなくなったので、第三者の意見を聞く為にまたコーチングを受けてみようと決めた。



2021年12月🎄
接客デビューしたらあっという間に1ヶ月経ってた。

何とか接客デビュー出来た。お客様とお話しするのは楽しかった。自分の不安とか自信の無さとかはお客様には関係ないよな、と思い、楽しんでもらえるような時間を作り出すことに注力した。
ホッとしたのも束の間。自分の力不足を感じる。そして大量に湧いてくる仕事量に圧倒される。タイムマネジメントができていないのだろう、全然仕事が終わらなくなった…。

でもやっと環境には慣れてきた。肩の力が抜けてきたというか。素が出せるようになってきたというか。ちょっと可笑しな言動が勝手に出てくるようにもなってきたし、それを面白がってもらえるようになった。イジリがエスカレートするのは困るけど、まぁ今はありがたい。

素を隠そうとする意識は特段ないのだけど、でも肩の力が抜けるのにこんなに時間を要するんだと驚いている。私は人のイライラや怒りの感情にあまりに弱すぎる。すぐに委縮してしまう。怖くなって、鎧を着こんでしまう。これはもう仕方ないけど、もう少し強くなりたい。
逆にこの2か月間緊張状態が続いてよく生きてられたなお主…!

新しい街での楽しみも見つけられるようになってきた。
近所の喫茶店の定食が美味しくて休日に通ったり、行ける時は神社にお詣りに行くようにしたり、(仕事のこともあり)初めてネイルサロンに行ってみたり。
道路が広くて、北には山、南には海。空が広い。
だんだんこの街のことも好きになってきた。



前職の顧問に借りていたままだった小説をやっと読んだ。
死について考えた。私はどう死にたいだろう…そんなことを考えた。
今までどう生きたいか?と考えていたけど、どう死にたいか?と考えるのも悪くないかもしれない。
そして去年亡くなった実家の犬のことに想いを巡らせたり。やっぱり愛情深い人に私はなりたいなぁ。
自分ではチョイスしなかったであろう本だった。読んでよかった。顧問のおじいちゃんありがとう。



11月に混乱していたパートナーシップに対する悩みは、1回のコーチングであっさり解決(笑)
前の経験が良くも悪くも邪魔していた。
「今のあなたは、あの時のあなたから変化してるのではないですか?」
「前と同じように依存的になると思いますか?」
と問いかけられ、そうかあの時の私とは違うんだと気付いた。
コーチには本当に感謝しかない。


年末には奇跡的にまとまった休みが取れたので、大切な人たちとお世話になった人たちに会いに行った。会えなかった友達も居るけど、また変わらず会おうぞという気持ちである。弾丸過ぎて、一瞬で時が過ぎ去って寂しい。でも、私にとってこの人たちの存在は心の支えだと思った。パートナーシップトレーニングで人生を振り返った時にも思ったが、関係性の深さは関係なく、人生に関わってくれた人たちが誰一人欠けても今の自分は居ない。そのことに感謝しかない。そして、関係性が深い人たちにはより深く感謝している。



この一年を乗り越えるにあたり、支えになったもの。それは周囲の人たち、ふたりの教室での学び・気づき、コーチング、例年より全然通えなかったけど新国立劇場バレエ団、讀賣巨人軍の増田大輝氏の活躍を願うこと、読んだ本たち、ドラマ、バチェラージャパン4だった!☺︎

一年をダラダラと振り返ってみて、何度も同じことを考えては戒めてきたのだと気づいた。学ぶことや気づくことはできても、それを実践に落とし込んで自分のものにしたり、思考の癖を変えていくことってなかなか大変。一朝一夕には行かないから、これからも何度だって学び直して地道に頑張っていきたい。

最後に、この記事を書き残すにあたりお礼を言いたい人が居る。
彼は、出会って間も無い私の転職話しを読んでくれた(私がテキストで送りつけたので、読んでくれて、壁打ちをさせてくれた…)。そして「もっと広くシェアしたら、勇気をもらえる人が増えるんじゃないかな?きっとあなたはそういう人なんだと思う」と言ってくれた。正直広く公開することには抵抗があるし、私にその力があるとは思ってない。心を開きたい、共有したいと自分の心が思う人にしか伝える気はなかった。だからその言葉をもらってから気が向くまでにだいぶ時間が経ってしまった。
でも書き残したいと思って行動に移せているのは、彼の言葉に耳を傾けてみようかなと思えたからです。そう思えたのは、彼こそが勇気付けの出来る人だからだと思います。ありがとう。
実際に書いてみて、私は書くという行為が好きだなぁと感じたなぁ。

私の周りの人たちは傾聴力のある人ばかりで、おしゃべりな私の話しをいつも聞いてくれる。本当にありがとう。私もみんなの力になれてるといいな。
大切な人がたくさんいて、本当に幸せだなぁ。

周囲の大切な人たちを愛する、そのことを通して、知らない誰かにも良いパスを送れたらいいなぁ。
2022年も、皆が豊かで幸せな毎日を送れますように。





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