保立道久の研究雑記

日本史専門。『中世の愛と従属』『平安王朝』『歴史のなかの大地動乱』などの仕事があります…

保立道久の研究雑記

日本史専門。『中世の愛と従属』『平安王朝』『歴史のなかの大地動乱』などの仕事がありますが、いわゆる「社会史」が中心でした、今は地震・噴火の研究から神話論。関連して『現代語訳老子』(ちくま)を書きました(訳文はここで読めます)。東京大学名誉教授。同名のココログブログもここに移動中。

マガジン

  • 地震・火山の歴史と防災を考える

  • 神話論、雑筆

    神話論についていろいろ書いたものがあるので、ここにまとめておきます。

  • 『老子』現代語訳。解説などは拙著(ちくま新書)を見てください

    『老子』は、神話時代、文明化の時代、さらに徳川時代まで、日本の文化・思想に深い影響をあたえました。とくに神道の思想は相当部分が『老子』によっていました。東アジアにおける国家の思想・宗教の基本は儒教でしたが、その基層では『老子』の思想はきわめて重要な位置をもっていました。  そのような位置をもつ『老子』の思想を東アジアにおいて復権することを目指し、中国語・韓国語をはじめとする多言語に翻訳していくことを考えています。それは大きく言えば、東アジアにおける諸文化の相互尊重、諸国家の間の平和と協調、そして民主主義のために一つの思想的基礎をあたえるのではないかと考えています。

  • 公開フリー『中世の国土高権と天皇・武家』(校倉書房2015)

    拙著『中世の国土高権と天皇・武家』(校倉書房2015、540頁)を公開したものです。校倉書房は多くの歴史書をだしていた会社ですが事業継続ができず廃業したため、版権の問題がなくなりました。pdfではなく、テキストですので、史料情報などコピー・ペーストもどうぞご自由に。

  • 芸能史・伝統芸能・能・狂言¥東アジア

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若狭湾沖の海底断層に発する歴史地震について、『方丈記』の「海は傾きて陸地をひたせり」という地震は若狭湾沖地震ではないか。

 以下は拙稿「繰り返された平安時代の近江地震」(橋本道範編『自然・生業・自然観』小さ子社、二〇二二)の若狭湾沖地震にとくに関わる部分です。『方丈記』の「海は傾き…

「平安時代史」の方法について

 以下、拙著『平安王朝』の「序 王の年代記をめぐって」を紹介します。はるか以前の著作で、しかも現在絶版状態になっていますので、ふり返ることは少ないのですが、私に…

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850年の出羽庄内地震(M七.〇)と863年の越中・越後地震(M七.〇)―― 元旦の能登越後地震の関係で歴史地震情報。

2024年元旦の能登越後地震の関係で。歴史地震の情報です。850年の出羽庄内地震(M七.〇)と863年の越中・越後地震(M七.〇)について――拙著『歴史のなかの大地動乱』よ…

850年の出羽庄内地震(M七.〇)と863年の越中・越後地震(M七.〇)について――拙著『歴史のなかの大地動乱』より。

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保立道久『歴史学を見つめ直すーー封建制概念の放棄』(校倉書房)が必要な方へ

私の著書、保立道久『歴史学を見つめ直すーー封建制概念の放棄』(校倉書房、A5版、443頁)は版元の校倉書房が倒産したことにともない絶版となっています。それにともない版元倉庫から残部を得ましたので、必要な方にはお分けします。定価4800円の本ですが、6掛け、郵送料込みで3250円にします。
michihotate(アットマーク)gmail.comまでご連絡いただければ郵便振替口座をお知らせします。

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石母田正の神話論

今書いている本の一節です。

 石母田は哲学科出身で三木清の影響が強かったが、反戦的な非合法組合活動の中で活動した後に歴史学の道に進んだという経歴をもつ学者である(磯前順一『石母田正』二〇二三)。その神話研究はオホアナムチ神話の本格的研究から始めて津田の日本神話「机上製作」説を批判して大きな影響をあたえた。しかし、戦後の慌ただしい状況は石母田に神話研究を深める時間をあたえず、学界との関係での責任上

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本居宣長・平田篤胤の産霊神道と「国家神道」

 「国家神道」という言葉は使用しない方がよいのではないか。戦争中の皇国主義は信仰や宗教ではなかった。同じように「皇国史観」というのもまずいのではないか。平泉澄もいうように、あれは「史観」ではない。

産霊神道と「国家神道」
 さて、普通、本居と平田の神道は『古事記』の昔に「復古」しなければならないという意味と、明治維新の「王政復古」に思想的な基礎をあたえたという意味で「復古神道」と呼ばれる。しかし

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高木敏雄と近代日本の神話学――日本神話学はどう産霊神学の継承に失敗したか。

 
 普通、高木敏雄(1876― 1922)は日本神話学の最初の本格的な開拓者として高く評価される研究者である。しかし、率直にいって高木敏雄は神話学者としては中途で挫折した研究者である。以下で点検するように、その実際の神話研究は内容にとぼしく、高木の神話分析はすべて挫折したといわざるをえない1。その理由は、根本的にいえば、高木が徳川時代の本居宣長・平田篤胤が代表する「国学」、そして産霊神学の継承に

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「忘れられた10世紀の能登地震、津波──今昔物語集より」

明日、3月30日シンポジウム「能登半島地震と地域のサステイナビリティ」(2024年3月30日15時〜17時半オンライン)で下記のレジュメに沿って報告をします。いま慣れないパワーポイントに書き換えています。

能登の古地震の歴史研究、生態系と生業と文化の変容をたどった地域研究、2007年の能登半島地震の復興の調査を参照し、地域のサステイナビリティを考えます。
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榎森進『アイヌ民族の歴史』(草風館、2007年).拙著『日本史学』人文書院より。

榎森進『アイヌ民族の歴史』(草風館、2007年)
 待望のアイヌ民族の通史。約1600年間を追跡した大冊であるから、事前に明治時代の北海道にふれた大河小説、池澤夏樹『静かな大地』と、登別のアイヌ民族の豪家に出身した知里幸恵(ちりゆきえ)の『アイヌ神謡集』を読まれるのがよいかもしれない。池澤がアイヌ語について指導をうけた萱野茂は金田一京助の学統をうけている。金田一は知里幸恵『神謡集』の出版を世話した

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益田勝実氏と歴史学の立場

 「益田勝実氏と歴史学の立場(400×5枚以上。9月24日しめきり)」という標題があるのですが、どこに発表したか忘れました。一〇年以上は前のものです。

 益田勝実氏の仕事を読むようになったのはいつ頃のことか記憶がない。ただ、大学時代に『火山列島の思想』を手に取ったことは確実で、変わった名前の本だと思ったことが記憶に残っている。そして手許に益田さんが登場する『文学』の一九九〇年冬号があるから、その

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稗田阿礼女性説

 断片です。ここにあげておけば忘れないので。

 神話論にとっての百済との文化的関係が重要なのは、なによりも『古事記』の編者、太安麻呂の氏族、多氏が百済系氏族と深い関係をもっていたためである。つまり前述の多神社注進状によれば太安麻呂の父、多品治の父、つまり安麻呂の祖父は多蒋敷(こもしき)であるが、その妹は百済太子余豊璋の妻となって、百済滅亡にさいし、余豊璋が倭国の援助を受けて百済王として送り出さ

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「『人種問題』と公共―トマス・ペインとヴェブレンにもふれて」

「『人種問題』と公共―トマス・ペインとヴェブレンにもふれて」

 先日、国際理解教育学会での報告レジュメです。
 素人のアメリカ論で、しかもレジュメですので、読みにくいと思います。

「『人種問題』と公共性・市民性―トマス・ペインとヴェブレンにもふれて」
                20170715保立道久 国際理解教育学会報告
前提としてーー国民・民族・人種について
 世界的に多民族状況の中

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船弁慶の船と鎌倉の段葛(置道)について

下記はずっと昔の講演原稿ですが、鎌倉の段葛について、先日のブラタモリをみました。私見は河川・海辺の工事の一環で、早くから「置き石」を津料としてとったことの反映という側面もあるのではないか。鎌倉の海民の風習との関係を考えたいということです。なお『石山寺縁起』の大津の風景に石材の湖辺への貯材があったような。

  船弁慶の船      『国立能楽堂』(一二三号)平成五年一一月
 いうまでもなく、能の船

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「望恨歌」の物語るもの  「井筒」から「砧」へ20211225国立能楽堂 保立道久

「望恨歌」の物語るもの  「井筒」から「砧」へ
20211225国立能楽堂 保立道久

 受付に『能楽の源流を東アジアに問う』という本がならんでおります。お手元にチラシが入っていますが、今日のために書いたものです。この本の執筆者は芸能または芸能史の専門家ですが、私だけはただの歴史学者で能についてはまったくの素人です。しかし、今日は私も、能の「井筒」と「砧」との関わりで「望恨歌」を語ってみます。能は

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若狭湾沖の海底断層に発する歴史地震について、『方丈記』の「海は傾きて陸地をひたせり」という地震は若狭湾沖地震ではないか。

 以下は拙稿「繰り返された平安時代の近江地震」(橋本道範編『自然・生業・自然観』小さ子社、二〇二二)の若狭湾沖地震にとくに関わる部分です。『方丈記』の「海は傾きて陸地をひたせり」という地震は若狭湾沖地震ではないかというのはあくまでも私の想定ですが、若狭湾沖の断層は福井県の地震災害予測には十分に顧慮されていないというのは、万が一のことが起きた場合、賀茂長明に申し分けないことです。

 1185年(元

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「平安時代史」の方法について

 以下、拙著『平安王朝』の「序 王の年代記をめぐって」を紹介します。はるか以前の著作で、しかも現在絶版状態になっていますので、ふり返ることは少ないのですが、私にとっては唯一の王権論としてまとめた著作です。現在の仕事の神話論を「王権神話論」としてまとめていますので、それとも関係します。
 ただ、「平安」という言葉はたいへんにミスリードな言葉で、この時代概念をそのまま疑問なく使うのはいかがなものかと、

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能登地震と9世紀地震、南海トラフ大地震について、ーー今日の東京新聞一面トップ「国の予測、震度6弱以上0,1~3%」「安全と誤解 油断生む」という記事にふれて

  2024年1月10日。
 今日の東京新聞一面トップは「国の予測、震度6弱以上0,1~3%」「安全と誤解 油断生む」「能登半島地震 専門家が警鐘」となっている。たしかに、地震調査委員会の作成している図を地震について基礎知識のない個人がみると「安全と誤解 油断生む」ということはあるかもしれないが、地震調査委員会は独自の研究組織も必要な予算ももっていない組織で、行政の防災対策のための補助資料を出して

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850年の出羽庄内地震(M七.〇)と863年の越中・越後地震(M七.〇)―― 元旦の能登越後地震の関係で歴史地震情報。

2024年元旦の能登越後地震の関係で。歴史地震の情報です。850年の出羽庄内地震(M七.〇)と863年の越中・越後地震(M七.〇)について――拙著『歴史のなかの大地動乱』より。
 さきほど発生した能登・越後方面の地震ですが、死者や事故のないことを祈ります。
 九世紀には日本海沿岸で、850年の出羽庄内地震(M七.〇)と863年の越中・越後地震(M七.〇)の二回の大地震がありました。アムールプレート

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850年の出羽庄内地震(M七.〇)と863年の越中・越後地震(M七.〇)について――拙著『歴史のなかの大地動乱』より。

 さきほど発生した能登・越後方面の地震ですが、死者や事故のないことを祈ります。
 九世紀には日本海沿岸で、850年の出羽庄内地震(M七.〇)と863年の越中・越後地震(M七.〇)の二回の大地震がありました。アムールプレートと太平洋プレートの衝突により発生するもので、これらの日本海沿岸の大地震の延長線上に南海トラフ大地震が発生するという地震学の有力な見解があります。
 各地域での最大震度の地震を地域

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