落語は役に立たないから素晴らしい
数日前にKindleで出版した作品。
これで出版したものも8冊目になった。
飽き性である自分はかつて熱中していたものがふとつまらなくなる、などということがあるのだが、結局また「好き」へと戻っていくのが常。
落語もそのうちの一つ。海外在住のため生で聴けないのが歯がゆいところだが、帰国したらまた寄席に通ったり素人の方に混じって人前でやったりなんてことをしてみたいと思う。
さて、落語の魅力はかなり多くあるのだが、やはり「思わず笑ってしまう」という部分は外せない。
「お笑い」にカテゴライズされることがあるように、笑うために落語を聴いている人は多いだろう。
声に出して笑えば楽しい気分になったり、その日嫌なことがあったことを忘れることができる。笑う人の方が長生きだなんてことも頻繁に聞く。笑いの効能は計り知れない。
そして、その落語の面白さを織り成す要因。
これも多くが挙げられると思うのだが…
僕が特に素晴らしいと思うのが、
「落語に大した教訓なんてない」
というところだと思う。
本、映画、漫画、演劇といった「作品」は人の人生を変えうるほどの力があるということを以前の記事でも述べさせていただいた。
作品に内包されているテーマが、時折心にぶっ刺さり、将来の行動すら変えることすらあるのである。
だが、落語には、それだけのものがない。
だからこそ、難しいことを何も考えずに、心から笑うことができるのだ。
漫才やコントにも同じことがいえるかもしれない。
誰も壮大なテーマを求めてそれらを観ようとはしないだろう。
落語は伝統芸能、そしてストーリーであるというところから、何かを得ようとして鑑賞する人もいるかもしれないが、
もっと力を抜いていいように思う。
「ガハハ、面白いなぁ~」
それだけ。
だから素晴らしいのである。
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