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科学とブラックホールと神がいつか繋がる日に、はじめて宗教が終わる

「今日の科学が神の存在を証明出来ないのは、科学がそこまで発展していないのであって、神が存在しないのではない。人間の五感は限られており、神の存在を感じることはできない。科学も神の存在を否定はできないのであるから、われわれは神の存在を信じるべきである」

神っているの?アインシュタイン博士、コーヒーカップで神を語る秀逸さ

神は存在しない。宇宙を司る者はいない」と断言し、「何世紀もの間、私のような障害者は、神に与えられた災いの下で生きていると信じられていた」「だが私はそれよりも、全ては自然の法則によって説明できると考えたい」と記した。

「神は存在しない」 ホーキング博士、最後の著書出版

あるようで、ない。ないようで、ある

自然の法則


これらは、有名な両物理学者が神について考えた結果であります。

私自身、色々考えていく中でこの二つの究極の意見は『ともに正しい』と思いました。というのも、この世界には【あるようで、ない】【ないようで、ある】という二つの側面が存在していて、そのどちらも人間が理解しようとしなければわからず、また、無いとも仮定できないものだからです。

この世界には自然というものが形を作り、自然が様々な形で人間自身に影響を受けてきたことは事実です。ですから、東洋思想には五行論として自然の木金土金水が当てられ、それらの働きが自然の法則によって秩序正しく働き人間に作用している、と仮定されて医療に用いられてきましたし、冷静に考えてみてもこの世界は自然無くしては人間は存在できません。

それは紛れもない事実です。ですから、一側面で物事を見れば、ホーキング博士のように『神は存在しない』と考えることが普通で、彼の生きてきた過酷な人生を考えてこれらを考えた時に発した言葉の意味を思えば、《神というものに絶望している》とも受け止められる、だからこそ、アインシュタインのような「否定できないならば、信じる方がいい」とはならないからです。


自然は誰が作った?

自然を生むのは誰だ

では、自然が人を作った、宇宙に自然が存在するから自然の法則は存在していると仮定するのなら、自然というのは誰が作ったんだ?という疑問が湧いてきます。

宇宙というのは、破壊と再生を繰り返し成長しているわけです。ですから、この【自然】というものも、自然の法則というものも破壊と再生を繰り返していくうちに刻々と変化していきます。

今の日本の気候のように、春秋が消えて夏と冬だけの気候になったり、海水温が異常に暖かくなったり、気候が変化したおかげで様々な動物や植物に影響を与えていますが、これらも【自然が変化した】から起きたことであって、自然が勝手に変化することはありません。

この世界の自然の秩序はおおよそ決まっていて、人間にも、環境にも同じように作用している『自然法則』があります。

それが東洋思想に残っている五行図です。

変化していく理由

常識的に地球だけのことを考えた場合、気候や自然の変化というものにはいくつも理由があると思いますが、一番わかりやすいものだけを取り出すと

  • 人間が自然に手を加える

ということが一番大きいと思います。『自然』は『自然に』淘汰し、『自然に』繁殖するからです。誰かが手を加えない限り、大きく変化はしていかない。

自然の法則を外部から手を加えた時、はじめて環境が変化していきます。それは、バランスを取らなければいけない、という自然の法則があるからです。そのバランスの乱れ、変化が大きければ大きいほど、私たちの『自然秩序』が乱れて、その乱れた分だけ大きく変化したように見えるのだと思うのです。

ですが、人間以外にも自然に手を加えることができるものはいないのか、という同じような疑問として浮かんできます。

宇宙を作ったのは誰だ


神と宇宙の関わり

私は、色々なことを調べていく中で【見える世界と見えない世界はシンクロしている】を感じています。


陰と陽があり、裏と表がある。
善があるなら悪があり、
太陽があるなら月があり、
未来があるなら過去があり、
生があるなら死がある、
死があるならあの世がないとおかしい



中村元の《ブッダの言葉》を読んだ時、直接的な言葉はなけれど、仏教では【あの世はない】と言われる人が多いにもかかわらず、この本の中で私は【あの世があると仮定しないとおかしい】ブッダは必ずあの世があることを知っていた、とはっきりと理解しました。


仏教の中にも昨今の心理学の中にも【すべての物事は自分の心が見せている幻である】という言葉にあります。事実、私は自分の心の中にある自分の心が見せている幻に執着しています。『自らが作り出している幻の元』が必ず存在していないとおかしい。

前述した通り、必ず物事には裏と表があります

ですから、自分が見ている今の世界や物事が幻ならば、自分の内側にある、自分が理解していない【幻の元】である、固定概念や深層心理の元があるのです。


そして、その元にも必ず元があり、その元に向かって


感情の個⇔幻の感情⇔大元⇔無垢な個⇔感情の個


このように、永久的に輪廻し、俗にいう《魂を磨く》作業を繰り返し、自分を仏教でいえば悟りの境地に至らしめ、その元に向かって悪い自分といい自分を知りながら輪廻転生していくのだ、と、理解するようになりました。

現実と見えない世界はシンクロする

物質と霊体

さて、霊体と言うと「きんもー☆」という人も出てくると思いますが、霊体という概念は科学で言えば『エネルギー』だと思います。

この私たちの体からは微弱な電気が流れていて、その電気の発信源が《チャクラ》であり、経絡だと思います。

そのチャクラの開いた場所が指し示すエネルギーが人によって差があり、下半身が強い人は仕事で成果を出し、お腹が強い人は幽霊などが見え、頭のエネルギーが強い人は神懸かりが起きやすい、というだけのことで、人間が持っているエネルギーというものは科学でも証明できる日が必ず来ます。

そして、東洋では五行論を使って病気の診断をしていたように、人間の肉体そのものにも自然の法則が当てはめて考えることができ、すなわちそれが宇宙とのつながりを紐解くカギにもなり得るのです。


つまり、私たちの目に見える肉体そのものは、
目に見えないものに支配されていて、
その目に見えないものというものが五感に感じる自然である、


ということは、私たちの体も自然も何かが裏で動いていなければ存在しない、という仮説が生まれます。

霊界物語

宇宙の成り立ち

この宇宙でビックバンが起き、その結果ブラックホールが誕生し、生命の誕生につながっていきます。

このビックバンこそが・(ホチ)

霊界物語の天祥地瑞に

天も地もなく宇宙もなく、大虚空中に一点の・(ホチ)現れたまふ。
この・次第に拡大し、一種の円形を為し、円形より湯気より煙より霧よりも微細なる神妙の気放射し、円形の圏で描き、・を包み始めて⦿(ㇲ)の
言霊生まれたり。

とあります。
「スーーーー」と、息を続く限り言うと、「ウ」に変化します。これが霊魂(魂)の発生だと書かれています。

この世の中ができたのは言葉からだ、とここには記載されているのです。

太初に道(ことば)あり、道(ことば)は神と共にあり
道(ことば)すなわち神なり。
この道(ことば)は太初(はじめ)に神と共に在りき。
萬物これに由りて造らる
造られたるものに一つとしてこれに由で造られしはなし

キリスト教の一節


ブラックホールの音

最近、NASAがブラックホールの音をyoutubeで掲載しました。
ブラックホールというのは、音を出していたということも知らなかったと思いますが、実際は音を発していたのです。


宇宙に音が存在していたことの証明になりました。ブラックホールが人類誕生の秘密を握っている、ということは科学会での常識ですが、神秘学や言霊学の観点から人類の誕生が紐解かれていたことは、すごいことだと思うのです。


私たちの地球は、宇宙の中に忽然と現れてある日突然人間が発生したのですが、この音が微細なエネルギーを発し、人間の原子や細胞に働きかけて人間の姿を作ったとしたら、物理的なエネルギーではなく、それはもはや神、とわたしは思うのです。



これから出てくる神の名前

世の立替立て直しの神の名前

昨今、様々な人たちが終末論をいいます。キリスト教でも仏教でもこの世の中のこれからを案じる人たちがたくさんいます。

そして、この終末論で出てくるであろうとされているのが、キリスト教で言うゴッドであり、ミロクの世を作る弥勒菩薩であり、立替立て直しの神と言われている国常立尊

そして、この宇宙を作ったとされるビックバンである、大元の大神が


天之御中主神

この神は、ビックバンを起こした。国常立尊はブラックホールの管理者。
神の源泉が、目に見える形でブラックホールとして存在している

この神が歴史上から姿を消した時間に、様々なことがあったそうです。それは、もはや人間が過去を振り返って想像してみても想像だにできない話ですが、実際にこの宇宙の仕組みと書物で書かれていたことが科学で証明され始めていることを考えていくと、いよいよ私たちはその神というものを信じ、そして、同時に現実をよりよく生きる努力が必要になってくるとわかります。

現実と見えない世界は表裏一体だからで
神無くしては、自然の道理が繋がらない

ヒッグス粒子は「標準理論」の唯一未発見の粒子だ。物理学の理論とは、宇宙で起きている物理現象を数式で表したもの。標準理論は、多くの現象をうまく説明できる理論で、「ヒッグス機構」と呼ばれる「粒子に質量を与える仕掛け」を入れると計算が合い、成立する。ヒッグス機構は、ヒッグス粒子を産み出す可能性を持つ「場」が私たちの周りに満ち満ちており、プールに入ると水の抵抗で動きにくくなるように、ヒッグス場の中の物質は動きにくくなる=質量を持つ、という考え方だ。


ところが、このヒッグス場は、今私たちの周りも取り囲んでいるにも関わらず、まったく関知されることは無い。例えば、日頃私たちは空気を気にして生活はしていない。風が吹いてきた時に初めて身の回りに空気があることを意識するように、ヒッグスも当たり前すぎて誰も気付かない存在なのだ

ヒッグス粒子が発見されることで、初めてそこに存在することがわかる。

割愛

ヒッグス粒子発見のすごさとは,その固有の性質と思われていた質量が、何らかの「仕掛け」によって産み出されていることが証明されようとしている、ということなのだ

ヒッグス粒子:何がそんなにすごいのか


科学だけ、理解だけしていくと『神を信じる』と科学が矛盾するかもしれませんが、瞑想を深めていくと宇宙に繋がりますのは、人間の肉体も元々は宇宙の原子がきっかけであるからと思います。


科学が神と一つになる、ということがどのようなことかと言えば、人間の叡智ではこの宇宙の仕組みを解明するには脳みそのCPUが足りなさすぎることが挙げられます。ですから、科学が解明されていけばいくほど、人間の知能以上の存在を必ず見ることになると思うのです。


キリスト教もイスラム教もヒンズー教も仏教も神道も本来は同じところに向かって永遠と教義をしていた。それは、創造主という大源の神です。

そこから派生した様々な神が、それぞれの風俗に合った意識を根強くさせ、今に至りますが、原本は自分の魂を磨け、人にやさしくしろ、物事を平等に見よ、神を愛せよ、と言う教えがそこにあったはずです。

しかし、いつの間にか私たちは自分の都合のいいように物事を解釈し、自然を破壊しても、人間の心がいくら荒んでも、そのリアルな現実を見て見ぬふりをすることしかできなくなっています。


人類みな兄弟

様々な宗教や哲学書物を読んで感じたことは

【宗教はひとつにつながる】
【この終末を予見していた智慧者がこの時代を救うために説いてきた】
【人を大事にすることと自分を大事にすることを忘れてはいけない】
【いつか人類は神と一体化する】
【だから神をまず理解しろ】


を見越していた預言書ばかりだったと思いました。科学というものに溺れすぎれば人間の欲深さと智慧の浅さから地球のバランスを乱し、人心を乱す。

自分にある程度の信仰や真理がなければ本質を理解しようともしない。いずれ、神を信じろと言わなくても、信じざるを得ない事態が必ず起き、人間の力がどれだけ弱いかを思い知らされる、だから、気を付けろ、という啓蒙書だと私は各々の宗教史を読んでいくと痛切に感じています。


宗教信仰者でさえも【神依存】である現在は、現実と見えない世界の限りなく続く表裏一体の世界で祈るばかりです。


しかし、本来は努力も必要で魂を向上し続けないといけませんが、ただ祈ってるだけでは、神を大事にしていたとしても終末予言の通りに人類は9分9厘死にます。

ですから、いずれはっきりと神の存在が自分自身で理解できるくらいまで、気が付いた人からどんどん自分を変えていかなくてはいけない、そういう時であると思いますし、科学が神に近づいたとしても、いづれ人間はその科学と神の力でねじ伏せられる。

畏怖する気持ちだけはわすれてはいけないのだ、と考えています。


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