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言語を学び、言葉を尽くす
昨年シカゴ郊外へ引っ越して以来、週に2日ほどESLへ通っている。ESL=English Second Language(英語が母国語ではなく第二外国語の意)、移民のために英語を教えてくれる場所。
大学に付随しているクラス、図書館でやっているクラス、有料や無料さまざまなタイプがあり、料金も期間も授業内容もすべて異なる。
渡米当初は今よりもっと英語ができなかったので、しばらく近所のESLへ通っていた時期があった。その後、日系企業の米国法人で働いたり、出産育児で忙しかったり、つまりは時間が捻出できずに遠ざかっていた。
数年ぶりに通い始めたのは、英語力を高めたい理由もあったけれど、何より知り合いが欲しかったからだ。この土地で、家族以外にもう一つ居場所が欲しかった。
車で5分もかからない図書館で無料のESLが運営されているのはラッキーだったと思う。週に2回、私は朝の支度を終えたら小さな教室へ出向く。
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クラスメイトの出身地は、メキシコ、ブラジル、韓国、モンゴル、イラクなど多国籍。
授業の冒頭では、アメリカのニュース番組を10分ほど観る。先生がいくつかトピックを取り上げてくれて、重要箇所や分かりづらい単語を解説。その後、それぞれ思うことがあれば喋り始める。
最近はやっぱり例の情勢について取り扱う日が多く、クラスメイトの中には、当該国出身の人もいる。イラクから来た女性は、侵攻を受けている国で暮らす人の気持ちがわかる、と言った。イラク戦争を経験した彼女は、攻撃対象こそならなかったものの、インフラ停止や食糧危機を乗り越えたらしい。
核攻撃を受けた国として、日本は知られている。そう話を振られ、祖父母から聞いた当時の話、小学校の遠足で長崎を訪れたこと、頭には色々な思いが交錯しつつも、うまく表現できない。
今の英語力では10分の1も伝えられないのだ。ニュアンス、ディテール、どのぐらい届いたのか。確かめる術もなく、途中で諦めてしまう場合も多くある。
自分の思いや考え、感情を的確に表現できるようになりたい。
これは文章にも英語にも共通している気持ちだ。どちらも向上させたいが、日本語ばかり読み書きしていると英語力はみるみる下がり、逆もまた然り、日本語を書かなくなったら感覚が抜け落ちそうで何だか怖い。
いつだって配分問題に揺れている。仕事と子育て、寄稿と黒子、書くと読む、書くと書く、日本語と英語、etc。手にしたいものはたくさんで、身体と時間が足りずに、未達成ばかりが積まれていく。
振り切らねばならない、と思う。英語を上達させたいなら日本語で文章を書く時間分も投資したほうがいいんじゃないか。もし逆を望むなら英語は現状のままで納得するべきなのでは。
欲張りすぎると、人間本来の営みを疎かにしがちだ。たとえば睡眠とか。一時間削れば一時間生まれるが、寝不足は集中力に欠けるため、結果として良いのか悪いのかわからない。そんな悩みをずっと抱えつつも、あっというまに月日は流れる。
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ふたたび曜日がくれば、ESLの扉を開く。
私が暮らすイリノイ州は、2月いっぱいで公共施設のマスク着用義務が解除された。まだ感染リスクはあるため、先生以外はみんな着けたままだが、先週は初めて外して少し雑談をした。
すると、クラスメイトの一人が私の顔を見ながら「I like your face without a mask!」と言ってくれた。にっこりとした表情で。
ちょっと言葉足らずだと思ったのか、マスクをつけていないともっといいね、という気持ちを伝えたかったのだと補足してくれた。そういえば、通い始めて半年以上ずっと着用厳守だったので、顔全体を見る機会がほとんどなかったのである。
うん、伝わる。とっても伝わったよ。
私たちは、言葉を交わしながら、心を通わせている。言葉の奥には人の心がある。もちろん、より正確に通わせるために言語を学んでいるのだけれど、足りないと感じる段階であっても、知っている言葉を尽くして伝えることはできる。
実のところ、会話を面白くするのは知識や教養、人柄の部分が大きい。何に対してどう思うか、ちゃんと感じ取って初めて言葉や文章にできるのだ。ニュース映像を見ていても、英語で表現できないというより、意見を持てない自分にがっかりすることも多い。
私がいま日本語で文章を書くのは、心の微細な動きを見つめるため、といった理由だ。そう思うと、この時間に対して英語力を高める足枷と言ってしまうのは、もったいない気がする。
結局、思考や感情のアウトプットに英語力が追いつかないもどかしさは、変わらないどころか増すかもしれないし、歴史や文化をもっと吸収したい欲だって出るのだが。
かんたんに手放さず、やっぱりどちらも続けたい。同時にやる効果もきっとある。難しく考え過ぎて楽しさを忘れるのは、私の悪い癖だ。
文章を書くことも、英語を学ぶことも、ゴールはなく果てしない探究が求められる。ずっと続けたいからこそ、無理のないペース配分で。少しずつ表現を増やしていけるといいな。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。