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記憶の断捨離

実家がリフォームするとのことで、実家にいたころから置きっぱなしの荷物を整理してー、と母にいわれて、荷物の整理。

CD、手紙、写真など。10年前くらいにいちど幼稚園~高校までのモノの整理をしていて、その残りをチェックした。

CDはもういつでもデータを引っ張り出して聴ける時代だし、手紙、写真はもう「その時」の自分じゃない自分がみたところで、懐かしいというより痛みとかぼんやりした曖昧な気分とか不安だった日々とか、そういうものを思い出すことのほうが多い。そんなことを思い出す自分につかれることのほうが、多い。

でも幼少期の自分の写真がなぜか姪っ子の赤子のころの写真の顔とそっくりに見えたり、珍しく妹とはしゃいでいる写真が出てきたり、写真に写るときの「決まった顔」ばかりするようになった自分がいたり。そんなものを思いのほかじっと眺めている自分がいた。
手紙。言葉というものが、どれだけ相手に伝わるものなのか。私から発生する言葉が。すべてを理解されることはないとわかっているのに必死に伝えようとしていたあの頃の自分に、また息が詰まる。胸がくるしくなる気がした。

記憶の断捨離。あえてここに残した手紙や写真や音楽は、なぜここに残っているのやろう。私にとってあるいは第一次整理作業をおこなった当時の私はなぜ、これらをのこしたのだろう。

実家から自分の部屋に帰り、今度は障子の張り替えをしている。実家から持ち帰ったいくつかのCDを、久しぶりにノートPCで再生した。スピーカーをつけて。曇って小雨の降る少し冷たい昼下がりに、粛々と障子の張り替えをしながら、ぼんやりと各々の時代の自分のことを思い出そうとしていた。どれも霞がかかって、うまく記憶が立ち上がってこない。言葉に頼っていたあの頃、音楽を追いかけていたあの頃、聴いたり書いたり描いたりの日々を過ごしていたあの頃のことだ。

Pat Methenyのアルバムで”The Bright Side Life"ってのがあったよなあ…。と思っていたのだが、ネットで検索してみたら"Brighte Size Life"だった。ブライト・サイド。明るいほう。勝手な記憶違いをしていた私は、ブライトサイドって私においてのどの側面をいうのだろう。そんなことを時折思い描いたりこのあたりのことが、そうなんかなぁなどと思い描いたり立ち止まって目を細めて、その詳細をとらえようとしていたのに。Brighte Size Lifeだともう、言葉の意味というより思いつきで出てきたタイトルという感じがする。ときどき、ぽろっと出てきた言葉が妙にぱちっとはまるときがあり、そんな感じで決めたタイトルなのではないかなあと勝手に想像している。

その時出てきた言葉がひとりでに前に歩きだして、自分をなんとなく導いてくれたり、痛みとか薄暗さとか絶望感とかを少し、音の響き、呪文みたいな効果を発揮して、やんわりといなしてくれたり、気づいたら自分に起こったしんどいことや不思議な事に対しても、腑に落ちていたりする。そんなところでいまここ、の自分にふっと戻ってくる。

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