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長く読まれる物語には、書き手自身の日常が強く滲み出ている。

アメブロで書いている記事をいつかまとめて本にしたいなと思っていて、でもアメブロで書いてる記事って、読みやすさを重視して短文で書いてるから、もっと本らしく長文に書き直してみようと思って……そうしてnoteを再び書き始めた。

書いてみると、数本で退屈してくる。

一度アメブロで書いている記事を、もう一度書いているだけだから面白くないのだろうか? ……いや、違う気がする。もうちょっとテーマを絞ったほうがいい、っていうことなんだと思う。

ふうん、テーマね。そういえば、私がアメブロを書いていて、いちばん人気だったテーマって何だっけ? アクセス解析をのぞいて振り返ってみたら、それは「性とパートナーシップについて」だったよ。

げっ、と思った。それはずっと、書くのを避けてきたことだったから。それでも、書きたいという欲求のあるテーマだったんだ。だからこそ私は、「小説」というかたちで恋愛について書き続けてきた。「私、本当はそんなこと思ってないですよ。小説の登場人物が考えたフィクションですからねー」そういう言い訳が欲しかったんだ。

覚悟を決めて、降参する。ついに本音で、性とパートナーシップについて書くときがきたんだ。

しかしここでひとつ、問題がある。

性とパートナーシップについて、特にパートナーシップについて書くのであれば、相手のこともある程度さらさなくてはならない。特に現在のダンナであるジロウについては、「え? そんなことまで?」と読む人が思うくらい、書いてしまうだろう、私は。

うーん、でもそういえば、出会ったばかりの10年前は、Twitterでせきららに書いてたか。今さらかもしれないけれど、「そんなわけで、いろんなことが公開になっちゃうかもしれないけど、よろしいか?」とジロウに聞いてみる。「いいよー。おれ、目立ちたがりだから」だそうだ。

🌟

「自分の実生活をネタにする小説家にはならないように」と諭してくれたのは、高校時代の恩師だった。だけどさ、長く人の心に残る小説って、やっぱり書き手自身が強く滲み出ているものだと思うんだよ。鴎外も、漱石も、太宰も。もしかすると、紫式部も。

向田邦子は、よく家族に怒られてたみたいだね。「また私たちのことをネタにして!」って。そうしないとネタが尽きるから? そうじゃないと私は思うんだよ。自分自身や、身近な人間の内面が、彼女にとっては描き出すべき世界だったのではないか。そんな彼女が紡ぎ出した小説には、「人間」があふれ出している。

だからさ、言い訳みたいだけど、私も私自身のことを書くよ。親しい、もしくは親しかった人たちのことを書くよ。だからごめん。むかし私が愛した男たち。できる限り個人が特定できないようにして書くから、それで許して。

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