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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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2021年9月の記事一覧

朝のフレンチトースト

早朝からフレンチトーストを焼き、コーヒーを飲み机に向かう。 伯母へ私の近況を手紙で認める。 九十才を過ぎ、五人の兄妹のなか最後に残る伯母の気持ちは如何なるものかと考える。 誰かが最後に残る、その理屈は理解出来る。 普通は年齢の順に逝くものと、心は当たり前に準備されているのではないだろうか。 しかし、そんな当たり前に思えることが、なかなかそういかない。 二年前に伯母は長女を亡くしている。 持病があったにしてもあまりに急な出来事だった。 『幸せな老後』なんて言葉を

秋のあめ

久しぶりの雨らしい雨が乾いた空気でいがいがしていた私の喉を潤してくれる。 この時期、電車の中で咳をするだけでも気をつかってしまう。 電車の中で以前のように咳やクシャミをする人間が減ったような気がするのは私だけだろうか。 サラリーマン時代の雨の終電での帰りは寂しいものであった。 このニューコロナで利用客の通勤スタイルが変わり、終電の時間を繰り上げるのは理解出来るが困る人もいるんだろうなぁ、と思う。 学生時代いろんなアルバイトをした。 終電で築地に向かい、朝まで青果の卸会社で

声とにぎる手

涼しくなった秋の夜に久しぶりにゆっくり本を手にした。 そこでふと思い出したのである。 たぶん本だったと思う、NHKのドキュメンタリーだったかも知れない。 音楽療法士である女性の話である。アメリカの大学で学び、経験・実績を積んできたその女性の実際体験した話を積み上げた内容だった。 人間の最後まで残る感覚は『聴覚』であるということを主軸に話が進められていた。 死に対する恐怖から我を失っていた当事者に音楽の力で自分を取り戻させ、最期には家族との魂のやり取りが出来て、永遠の別れと

ひるのいこい

秋の空気のなか昼寝をしていた。  正確には昼前だから朝寝かも知れない。 NHKのラジオをよく聴く。 つけっ放しだったラジオから『ひるのいこい』のテーマ曲が流れて目が覚めた。 なんともいい曲ではないか。 農耕民族であったことを思い出させるような優しい曲ではないか。 そして、このテーマ曲が古関裕而の作曲と少し前に知った。 NHKの朝ドラ『エール』に出た妻の古関金子が同郷の豊橋市の出身であることを知ってから、身近に感じる古関裕而である。 ザ・ピーナッツが歌った『モスラ

猫のひげ

不思議である。 わが家のばあちゃんネコ、ミケ猫ブウニャンのひげは一本だけ波打っているのである。 秋バージョンではない。抜けても抜けても年中波打っている。 たくさんの猫を見てきたが、初めてである。特殊な能力を備えているわけでもなさそうである。普通のひげである。 ごくごく普通のミケ猫は15年ほど前に愛知の実家で生を授かった。 母猫は不幸にも交通事故で他界している、それからしばらくして兄弟の茶トラ白の『トラ』とともに大阪に引き取った。 高齢の両親の他界と施設入所で飼い主がいなくな

生きる上で考えねばならぬはなし

しばらく人と会うのを避けていた。 引きこもるわけではないのだが、誰にでもそんな時ってのはあるんじゃないかと思う。 思い起こせばもう九年も前、ちょうどこの頃である。 親父が最期を病床で闘っていた。 母は認知症のケアが上手くなく人格が変わってしまっていた。 兄は兄で悪い意味で環境と同化してしまい専門医でなければ手の付けれない状態になっていた。 それまで五年以上毎月二回の泊まりがけでの実家への突撃、掃除と料理、身辺整理に費やした時間は私の時間を削った。 疑問も持たず、家族だから

せきぞう、さんで思い出した『里の秋』

黙っていても秋は深まりいく、静かな秋の午後である。 いつもこの時期思い出すのが童謡の『里の秋』である。 今の小学生の音楽の教科書を目にしたことがないから分からないが、こんな童謡はいつまでも残しておいてもらいたいものである。 『静かな静かな里の秋』、で始まるあの童謡である。 子どもの頃、両親、兄と過ごした豊川市のアパートから自転車で少し走ると穂ノ原という地名、広い農地が広がりその先には赤塚山があった。 終戦直前の空襲によって二千五百人以上の犠牲者が出た豊川海軍工廠の跡

ソニータイマー

母がグループホームで使っていたラジオが作動しなくなってしまった。 電池を交換したら電源が入らなくなってしまった。 ネットでラジオを聞くこともあるが、ラジオが音源である音楽やニュースが好きだ。 グループホームで母が持っていたラジオは八年も前に家にあったのを、私が運び込んだ。 認知症になる前の母のために父が購入したモノであった。 母は眠れぬ夜をNHK『ラジオ深夜便』を聴いて過ごしていた。 父は国家資格の一番難しい資格を持つ電気技師だった。 いろんなこだわりや経験があったのだろ

秋祭りの糊のきいたハッピのおもいで

古来豊年万作を祝い、神に感謝するのであろう秋祭り、ただ浮かれ楽しい秋祭りを享受する子どもたちにとってそんな理由はどうでもよいことだろう。 しかし、私は子供の頃秋祭りの日に母の用意するハッピに神聖なものを感じていた。 年に一度だけ兄と私の枕もとに用意されるハッピは糊がよくきいていた。 我が家で洗濯物の中で糊がきいているのはこのハッピだけだった。 職業婦人である母にこの洗濯での糊付けの一手間は余分で面倒なことだったのではないのかと今考えてしまう。 しかしながら、よくよく

日常と非日常のはざまに

午前中、自宅での仕事を終えて自転車で近鉄八尾駅近くまで行った。 用事を済ませてコーヒーを飲みたかったが、どうもそういう雰囲気ではない。 本屋にだけ寄って『暮しの手帖』を久しぶりに手にした。 母が定期購読していた、子どもの頃から眺めていた雑誌だ。 硬い文章は斜め読み、いつも眺めて時間を楽しんだ。 塀の向こうにいた作家、安部譲二が服役中に購読していたのがなんとなくわかる。 そこにあるのは『普通の日常と非日常』なのである。 目まぐるしく変わる世の中を生きるなか、こんな

ある少年との出会いとわかれ

今日の記事は、私がこの note で文章を書き始めたばかりの今年の二月に投稿したものです。 何人かの方には読んでいただいたこの記事に出てくる少年との出会いを、季節の移ろい行くこの時期に思い出します。 これから金木犀の花が香り、私たちの脳のどこかから寂しさや悲しさ、郷愁を引きずり出してきます。 彼と出会ったのはそんな時期でした。 そして、別れは冬に入ったばかりの頃。 本当に短い期間の彼との付き合いが忘れることが出来ず、この時期に必ず思い出しています。 濡れた落葉を踏みしめなが

女ごころと秋のそら

タイトルにこんなふうに書いてみたものの、秋の空のごとくコロコロ変わりゆく心模様は女でも男でも同じことと思う。 しかし最近、現在の年齢が関係するのかも知れないがいろんな事がある。 その都度、心を平静に保つのが大変である。 合気道の稽古も同じである。 自分が思った通りに相手が動いてくれることばかりではない。 約束事の中の稽古ではあるが、そうならない場合もある。 そんな時に動揺することなく、そんな事もあるだろうと次の手を打たなければならない。 人が生きることと同じであ

よく泣くはなし

私は泣き虫かもしれません。 悲しくても、辛くても、母が死んでも父が死んでも涙を流しませんでした。 でも、あとで知った父母の所業で涙させられたことはありました。 悲しいから涙が出るというのがよくわからないのです。 嬉しかったり、感動したり、感極まって泣くのです。 高校時代、唯一親友と呼べる男がいました。 在学中、腎臓を悪くして長く学校を休みました。 お母さんは末期のガンでした。 お母さんは息子が心配でなりませんでした。 私の母が見舞いに行き、その時にたまたま死に水を取ってしま

肌で感じる秋のおとずれ

昨日の休み、自転車に乗り、用事を片付けに近鉄八尾駅前まで走った。 今年もこの時期が来たのである。 肌で秋の訪れを感じる時期である。 またこの時期がやって来たのだ。 初めて経験、意識したのは中学三年の時だったと思う。 だるく退屈な夏休みは終わりに近づいていた。 今より朝夕は涼しく、季節にメリハリがあった。 『暑さ寒さも彼岸まで』がまだ死語となる前のことであった。 それでも午後のどんよりした耐えがたい暑さはあった。 夕刻に近い午後、自宅より豊橋駅前にある精文館書店に向かって自