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ある少年との出会いとわかれ

今日の記事は、私がこの note で文章を書き始めたばかりの今年の二月に投稿したものです。
何人かの方には読んでいただいたこの記事に出てくる少年との出会いを、季節の移ろい行くこの時期に思い出します。
これから金木犀の花が香り、私たちの脳のどこかから寂しさや悲しさ、郷愁を引きずり出してきます。
彼と出会ったのはそんな時期でした。
そして、別れは冬に入ったばかりの頃。
本当に短い期間の彼との付き合いが忘れることが出来ず、この時期に必ず思い出しています。



濡れた落葉を踏みしめながら歩いた記憶がある。スニーカーに徐々に水が染み込み足は冷たくなっていく。積み重なった落葉の下にはたくさんの虫や小動物が遠い春を待ってもう眠っているかも知れない。
そんなことを考えながら私は彼の背中を追っていた。

彼との出会いはその頃住んでいた奈良のニュータウンの図書館だった。 平日に休みを取った私は、静かな図書館で本が読める事を期待して朝一番に出かけた。 久しぶりに行った図書館はきれいに掃除されて気持ちが良かった。

背中に陽の射す椅子に腰掛け、その頃好きだった河合隼雄を眺めていた。 その頃は心理学の本のコーナーは人気が無くて人が少なかった。 そこへやって来たのが彼だった。 熱心に河合隼雄のコーナーを眺めている。 探している本が見当たらないようだった。

私はひょっとしてと思い、『君探してるのこれじゃないの?』と少し離れた彼に腰掛けたまま本を差し出した。 『あっ、』としか言わないがそれで気持ちは通じた。
立ち上がり手を差し出すと『いいんですか。』はにかみながら受け取ってくれた。

どう見ても中学生だ。 平日の図書館にいるのは私には違和感があったのだが、彼にはまったくそんな素振りは無かった。 なんとなく興味を持ち、『今日は学校休みなの?』と聞くと一瞬固まっていたが『不登校なんだ。』と小声で言う。

不登校は家にいるもんだ、くらいの知識しか持ち合わせてなかった私が『なんでここにいるの?』と聞くと、そんな質問が初めてじゃなかったようで『おじさんが言うのは引きこもりだろ。引きこもりじゃなく不登校だよ。』

それが縁で彼との交際は始まった。 ほんの三、四回ほど図書館で会うだけだったが。 話をしだすと学校嫌いではなく、先生が嫌いなのであった。
繊細な彼との会話は河合隼雄の著作を読んでるようでもあった。

そして初冬のある日、私の前を彼は歩いていた。 少し離れた裏山の山道を不登校の彼の後を追い、私は落葉を踏みしめながら歩いていた。 自宅からこんなに近くに樹々が鬱蒼と茂る林があることに驚いた。

彼がいつも一人で来ていた場所だと言った。 
その中のポツンとある陽だまりでいつも河合隼雄を読んでいたと言う。
そして、今日が最後の日だとも。

義務教育の中学は通学せずとも卒業証書は郵送してくれると言った。 高校に行くことに決めたからしばらく勉強をするんだと、またはにかみながら言った。

最後の日に私を誘ってくれたことは彼にとってどんな意味があったのかは分からない。 でも、その頃人生の岐路に立たされていた私に彼は勇気を与えてくれた。

ほどなく転居した私はそれから彼とは会っていない。 立派な社会人に成長しているに違いない。 秋から冬に移りゆく気持ちの落ち込むこの時期に街路樹の落葉を踏むだけで、不登校の彼の後を追い落葉を踏みしめたあの日の記憶が甦り、今また私に勇気を与えてくれる。


この時、昭和ではなく世は平成に入っていた。
今思い出すとかすかに『昭和の匂い』を残す少年だったと思う。
子供も大人も様々な経験をして成長し続ける。
すべての経験は糧になる、糧にしなければならないと六十年生きてきてそう思う。

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