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声とにぎる手

涼しくなった秋の夜に久しぶりにゆっくり本を手にした。
そこでふと思い出したのである。
たぶん本だったと思う、NHKのドキュメンタリーだったかも知れない。
音楽療法士である女性の話である。アメリカの大学で学び、経験・実績を積んできたその女性の実際体験した話を積み上げた内容だった。

人間の最後まで残る感覚は『聴覚』であるということを主軸に話が進められていた。

死に対する恐怖から我を失っていた当事者に音楽の力で自分を取り戻させ、最期には家族との魂のやり取りが出来て、永遠の別れという辛い事実を家族にも受け入れさせて旅立って行く、そんな感じの話しであったように思う。

今、ふと思ったのは私の母のことであった。不思議であるが、三姉妹の母達は三人揃って極度の難聴であった。いま、一人東京に残る伯母さんもほとんど聞こえていない。こんな人達はどうなるのであろうか。
医者も耳元で大きな声で母に話しかけていた。それが脳に届いていたかどうかは疑問である。私はなす術が無い、というよりもやる事が無く、最期は母の手を握っていた。
たぶん私の手だと分かってくれていたと思っている。時々力強く握り返してきた。聡明な母であったから、長く病床に横たわるような最期は望まなかったと思う。最近、母の知人達から私がまだ子どもの頃から「秀樹に一番苦労をかけてしまう」と母が言っていたと聞いた。ある意味私の人生を見通していた母である。その母が最後に何を考えていたのだろうかとずっと思っていた。認知症になっての長い期間、母とは話してみたい事がたくさんあった。

今考えたのは『聴覚』と同様に『触覚』も最後あたりまで残るんじゃないかという事であった。
寝てばかりになった時期からする事が無く、手を握っていると思いもかけない力で握り返してきた。それが何かを言っているんじゃないかと思っていた。時々認知症の母が我に帰るタイミングだったのではないかと思っている。音楽も好きな母であった。陽気な母であった。ほとんど聞こえない母に音楽を聞かせてやることも叶わず最期を迎えさせしまったが、母が本当に心配だったのは障害者としてこの世に送り出してしまった兄ではなく、私だったのかも知れない。私だけを最後の最後まで息子と認知していた。

胎児が母体で初めて耳にする母親の心音。そして、その聴覚が最後まで残ると説明していたと思う。
それと同様に胎児は母親の胎内の心地よさを全身の触覚で憶えているのではないだろうか。
手に取った本とはまったく関係の無いことを考えていた。


いい季節がやって来た、しばらくは寝る時間を削って秋の夜長を楽しみたい。

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