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よく泣くはなし

私は泣き虫かもしれません。
悲しくても、辛くても、母が死んでも父が死んでも涙を流しませんでした。
でも、あとで知った父母の所業で涙させられたことはありました。
悲しいから涙が出るというのがよくわからないのです。
嬉しかったり、感動したり、感極まって泣くのです。

高校時代、唯一親友と呼べる男がいました。
在学中、腎臓を悪くして長く学校を休みました。
お母さんは末期のガンでした。
お母さんは息子が心配でなりませんでした。
私の母が見舞いに行き、その時にたまたま死に水を取ってしまいました。

その前くらいから、よく家に来て飯を食い、酒を飲んで帰っていきました。
私がいなくても母がいつも相手をしていました。
未成年に平気で酒を飲ませる母でした。
そいつは浪人は出来ないと行きたかった大学をあきらめ、信州大学の理学部数学科に行きました。
まったく私の頭とは構造の違う男でした。

春休みにやって来てしこたま酒を飲んで帰って、夕方豊川の市街地に自転車で出かけてとばっちりの事故に遭って即死しました。
その日、私は魚市場で仕事中、母が午前中から一緒に酒を飲んでいました。
そこで命が尽きるのがそいつの生涯だったならば、どうして私も酒の席に居れなかったんだと腹が立ち、泣きました。
そいつの死んだお母さんから「息子をお願いします」と言われていたと、私の母からその時初めて聞きました。
そして再び泣きました。

感受性が強いとはよく言われます。
でも誰でも同じです。
そこで涙が出なかったら人間じゃない、ってタイミングで泣いてるだけです。
もう40年も前のこと、私がまだ二十歳だった時の話でした。

こんなことを急に思い出したのは、ののむらちあきさんの記事を読んだからです。
ののむらさんは北海道にある児童養護施設と少年院出身の青年サポート団体『NPO法人スマイルリング』の理事です。
スマイルリングのこと、そこの青年たちのこと、巣立った後にまだ続くその青年たちとのさらに続き行く交流を記事にされています。

スマイルリングの青年たちから母さん、お母さんと慕われるののむらさんの記事を読んで涙してください。


ののむらさんが新記事を投稿された日には、私は必ず昼間からどこかで泣いています。

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