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秋のあめ

久しぶりの雨らしい雨が乾いた空気でいがいがしていた私の喉を潤してくれる。
この時期、電車の中で咳をするだけでも気をつかってしまう。
電車の中で以前のように咳やクシャミをする人間が減ったような気がするのは私だけだろうか。

サラリーマン時代の雨の終電での帰りは寂しいものであった。
このニューコロナで利用客の通勤スタイルが変わり、終電の時間を繰り上げるのは理解出来るが困る人もいるんだろうなぁ、と思う。

学生時代いろんなアルバイトをした。
終電で築地に向かい、朝まで青果の卸会社で働いた事がある。
帰宅するサラリーマンと逆方向の空いた電車は寂しかった。
ジャージ姿の私以外、ポツポツと作業服姿のソーシャルワーカーらしき人たちもいた。
サラリーマン時代の朝の通勤前の5分は大きかった。
ギリギリまで家でゆっくりしたいだろうが終電が早くなることで早く家を出なけらばならない人も出てくるだろう。
5分、10分でも生活を変える事をいられるのかも知れない。
楽しみにしてきたドラマが最後まで観れなくなるかも知れない。
毎晩駅前ですれ違った気になるあの女性ひとと会えなくなるかも知れない。
それよりも夜の出勤はただでさえ気が重いものである。

鉄道会社の赤字幅は減るのだろうが、世の中の数字には現れない損失が増えるのかも知れない。
目的に合わせて力技でそれまでの当たり前を変えるのは大義名分があれば簡単な事であろう。
決して反対するわけではない。
でも優しさや思いやりを持った力技が何事においても大切だと思う。

世の中の流れを変えるということは思いもよらぬ代償いたみが付いて回るものなのではないかとふと思ったのである。

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