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またねの嘘
別れに季節なんてないと思う。もしかしたら明日だって別れになるかもしれないじゃないか。別れの季節だけ、しみじみとするのも何か違う気がすると、何度も思ったことがある。
そんな私でも最近、別れの季節だなあと不覚にも思ってしまった。
中学入学から、高校卒業まで、私は私では無かった。
自我も意思も全くなくて、ただ静かに我慢をしていただけの別の人間だった。
でも、大金叩いて大学に行くのだから、後悔はしたくないと思って、大学入学と同時に初めて自我が芽ばえた。そうして私は今の私に生まれ変わった。
自我が芽生えると、大切なもの、居場所、人が一気に増えた。先輩、後輩、同期、趣味、仕事、上司、戦友、親友、好きな人、
まだまだきっと沢山ある、これ以上ある、大切なものは数え切れないほどある。
自分の意思で近づいて、自分の意思で知ったもの。自分で育てた気持ちだからこそ、思い入れは強かった。
思い入れのないと思っていた掛け持ちのサブのアルバイトでさえ、ジーンとしていた。
ドリッパーに入れられたお豆に、細くゆっくりとお湯を注ぎながら、ここでも色々あったなあと思い返してしまった。
パートさんにまたご飯いきましょうねと言いながら、心のどこかで、今度いつ会えるのだろうかと疑問に思った。
忙しい大人達は、自分のいる時間をも選択しなければならない。
いくら自分が選んでも、相手の時間に相応しくなければ交わることはないし、逆もまた然りなのだ。
なんて、もどかしい世界なんだろう。
会いたい人に会おうと思っても、もう簡単にはそれができなくなる。
私は会いたい人に果たして会ってもらえるのだろうかと思うと、寂しくなってしまった。
またねって言う日常が、日常ではなくなるのか。
もう簡単におはようは言えないのか。
そんな人が沢山いると尚更なのだ。
大好きだった3月が、少しだけ泣いてる気がした。
そしてまた愛おしくなった。
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