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「文化人類学と現"在"美術からみる『ポストヴィレッジ』そして『メタシティ』」(前編)

本基調講演では、現在美術家の宇川直宏さんと文化人類学者の奥野克巳さんがメタシティの思考基盤となりうる「ポストヴィレッジ」の概念を提言。

前編は、登壇者2人の自己紹介を通して、情報技術とともに変化していくコミュニティの概念、およびその中におけるコミュニケーション基盤としての「シェア」について、歴史と国境を横断しながら探っていく。

本記事は、2019年1月に開催した『METACITY CONFERENCE 2019』の講演内容を記事化したものです。その他登壇者の講演内容はこちらから。
・TEXT BY / EDITED BY: Shin Aoyama (VOLOCITEE)
・PRESENTED BY: Makuhari Messe

青木:では早速、始めていきたいと思います。ボルネオ島の狩猟採集民プナンと生活を共にしつつアニミズムを考えてきた文化人類学者の奥野克巳さん。文化庁メディア芸術祭審査委員やアルスエレクトロニカの審査員を務める傍ら、『DOMMUNE』という日本初のライブストリーミングスタジオ兼チャンネルを手がけていらっしゃる宇川さん。本セッションではこのお二人にお話いただきます。「未開拓民族」の行動や生活パターンを参照しながら、新しい都市の形や地域コミュニティ、部族、集落などを考え、メタシティの提示する「ありうる都市」とはどんなものかを発見できたらと思っています。

では、宇川さん、奥野さんステージへお上がりください。拍手でお出迎えください。

メタシティとポストヴィレッジ

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ブロニスワフ・マリノフスキ/トロブリアンド諸島での現地調査(1918年)
Uncredited, likely Billy Hancock, a pearl trader resident of the Trobriand Islands, who died before 1929 . - London School of Economics Library Collections .Picture of Bronislaw Malinowski with natives on Trobriand Islands.

宇川:よろしくお願いします。まず今回はメタシティというテーマでお誘いいただいたんですけど、そこで僕が奥野さんとお話したいと思った理由について、まず申し上げたいなと。奥野さんはボルネオの狩猟採集民のプナンと一緒に生活をされてらっしゃいまして、何年前でしたっけ。

奥野:まず2006年に1年、行きました。それから現在までで、大体のべ600日を超えるかな。

宇川:約2年間くらいですね。奥野さんはその体験を経て、アニミズムについて考えて来られた文化人類学者でいらっしゃいます。僕自身は『DOMMUNE』というライブストリーミングチャンネルを2010年からやっていまして、そこで「近代も現代も追いつけない速度をアート表現として扱う」という決意をこめて、現”在”美術家を開局のタイミングで名乗らせていただいています。つまりこのセッションは、文化人類学者と現在美術家がメタシティを解析していく、って趣旨ですね。僕のやってる『DOMMUNE』は、共同体を意味するCommuneのネクストステップという意味で、サイバースペースでのネットワークを経て、コミュニティはCからDへと移行するというコンセプトを込めて『DOMMUNE』っていうネーミングになっておりまして。そういう背景を背負いながら今回は、ファイナルメディアとしての共同体と狩猟採集民のプナンを軸にメタシティを考えることになるかと思います。しかし、僕らはメタシティって概念の前段階として提案したいテーマがまずありまして、それこそが僕が提案したポストヴィレッジなんですね。つまり、都市を考える前段階として集落を考えていこうって発想です。なので、ポストヴィレッジっていうテーマでここから90分、掘り下げていこうと思います。

ところで未開民族や未接触部族を参照しながら、ってさっきおっしゃってましたけど、「未開」って言葉は文化人類学の文脈では使ってはいけないんですよね。

奥野:その植民地的な色合いもあって「未開部族」みたいな言い方は、20世紀の後半にはほとんど使われなくなったんですよ。

宇川:昭和の時代、特に60年代の高度経済成長以降から73年のオイルショック頃までは「未開」って言葉が結構使われてましたね。例えば、日本テレビの『すばらしき世界旅行』って番組が「未開集落を探索する」みたいなセンセーショナルなお題で煽られたり。水曜スペシャルでもパプアニューギニアとかに探検に行く際に、未開の地で部族と接触することがショッキングにアピールされたりしてましたよね。またあの時代は少年誌のカラーグラビアが今のようにアイドル一色ではなく、若い世代は信じられないかもしれませんが、大伴昌司さんが開発したカラー大図解がバズりまくっていて、そこにも「未開人」という言葉が踊りまくっていて、怪人や、宇宙人と同じように幻想を纏った存在として扱われていました。今考えると狂気の時代でしたね(笑)。あとは、食人の風習がある地域に行って、彼らを映し出して交流する番組とか。ヤコペッティの「世界残酷物語」(61)に煽られて、秘境の奇習を人間の見世物的好奇心に訴えかけて消費しようという動きがありました。

しかし海外旅行が自由化されて、実際にその地に足を運べるようになってから、どんどんそういう番組がなくなりました。あったとしても、例えば『ウルルン滞在記』みたいにヒューマニティドラマ的な着地点を生み出すパターンに変わっていって、未開部族との接触をモンド映画の手法で下世話にアピールするものはなくなっていきましたよね。

世界に開かれたトライブとしての『DOMMUNE』

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DOMMUNE 旧OFFICIAL HP(2010-2019)

さて、ではここからは、お互い自己紹介的なプレゼンテーションをさせていただこうと思います。まず僕から。これは先ほどお話した『DOMMUNE』っていう僕が運営するライヴストリーミングメディアのサイトです。奥野さんも一度、ご出演いただきましたよね。

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旧DOMMUNE スタジオでリツイートする宇川直宏(2010)

『DOMMUNE』は渋谷区の恵比寿と広尾の中間の高級住宅街の地下にあるスタジオから平日毎日配信しておりまして。僕らは2010年の3月の開局以来9年間、ずっとここに籠城している状態なのですが、ここはキャパ30人くらいのスタジオで激狭なんですよね。ポストヴィレッジで例えるならば、村の集会場的な。斉藤清六の「村の時間の時間」的な(笑)ニューウェーブ・トライブ感むき出しのこの狭いスタジオに僕自身篭って、ここから世界に向けて毎日パフォーマンスを繰り広げていると。

つまり番組はもちろん自分のアート作品ですけど、それを配信する行為自体も自らを軟禁状態に追い込んだパフォーミングアーツとして成立するんじゃないか、とここから世界にアプローチしている訳なのですよ。ここで行われている実験や偶発的な事故も味方に付けながら、毎日生配信していく。僕はこれをライフログアートと呼んでいます。実存と本質をSNSで脱構築させるような表現手法です。つまりライブストリーミングチャンネルですから、この極小スタジオからでも全人類、77億人に向けて配信できるんですよね。キャパ77億のブラックキューブ(笑)。僕らが配信を始めた2010年はソーシャルメディアの夜明けとも呼ばれていて、SNSの浸透によって従来の放送や出版や広告の概念、フォーマットが破綻し始めた頃です。そんな時代における視覚コミュニケーションの可能性を、9年間毎日動画配信の実験を重ねることで研究しているわけです。ちょっと見てみましょう。

こちらはニーナ・クラヴィッツが来てパフォーマンスしてくれた時のですね。モスクワ出身、ベルリン在住の彼女とDOMMUNEは大変仲が良いのですが、つまり『DOMMUNE』は世界中に開けた港みたいなもので、アーティストが世界中から集まって各海域で採れた、フレッシュな食材(ヴァイナル)を生でさばいていく(DJMIXしていく)、それをソーシャルストリーミングを通じて、世界の各集落にお裾分けしていく、といった新しい贈与的なコミュニケーションの形を打ち出している。これが小規模な社会共同体「コミューン」のネクストステップとしての『DOMMUNE』っていう発想なんです。これは「21世紀においてコミュニタリアニズムはどうすれば有効に機能するのか」という問題提起でもあります。このキャパ30人のスタジオはこのように77億人が生活する世界の集落からオーディエンスがタイムラインに集まれる空間にもなってるわけですが、フロア自体は30人の濃厚な身体的なコミュニケーションの場なんですよ。一方で、その様子をラップトップからのぞき見るそれぞれのビューワーたちの環境があり、それぞれが体感した熱狂をタイムラインでつぶやき合って、視聴者どうしがコミュニケーションを果たす。もしくは、ビューワーと配信者であるわれわれもコミュニケーションを果たす。こういう電脳時空感覚(笑)で日々、むき出しの共時性を伴ったコミュニケーションをしているのです。つまり僕たちはコミューンっていう言葉をアップデートさせるために日々、実験配信を繰り返していると言っても過言ではないかもしれないですね。

ダンスフロアのリアリティ

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Human Be-In 1967 - Golden Gate Park - San Francisco CA

コミューンって言葉をたどっていくと、70年代のヒッピーイズムが浮かんできます。西海岸で67年ごろベトナム戦争反対を背景に起こったサイケデリック・ムーヴメントの裏側で、コミューンは有効に機能していたんですね。「銃を捨てて花を掲げよう」っていうヒューマン・ビーイン的な人間性回復のための平和運動を組織したり、ウッドストック的なカウンターとして、音楽が響く広場でライヴを行いダンスして交流したり。サマー・オブ・ラブはビートニクスの思想を継承しているので、この写真にもアレン・ギンズバーグらしき人が写ってますね。ティモシー・リアリーもサイケデリック・ムーヴメントに携わって、若者たちと一緒に運動をしていました。

でも、サイケデリック・ムーヴメントは70年代半ばくらいから勢いを失って、サマー・オブ・ラブに変わってニューエイジが台頭してきました。それに伴って、コミューンよりトラベラーが注目され、コミュニティって言葉もあまり使われなくなってしまって。でもソーシャルメディア以降、また改めてコミュニティって言葉が有効に機能し始めてますよね。そういう時代において僕は「ソーシャルメディアのコミュニケーションと同時に重要なのはやはり身体だ」って思うようになったんです。

例えば「オフ会」ってありますけど、現在の我々は何を手がかりとしてリアリティを体感しているのでしょうか。そんなオンラインとオフラインの間でリアリティが揺れ動く現代において、もう一度現実世界での身体的交流を考えよう、実世界を豊かにしていこう、っていう運動をライヴストリーミングを通じて逆説として行っているわけです。

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旧DOMMUNE スタジオで記念撮影する宇川直宏(2010)

現在、東京オリンピック・パラリンピックの2020年開催が決定したことで日本再生の機運が高まってます。そういう時代にダンスフロアにおける魂と身体の高揚は、連帯意識の共鳴を高める相互作用として重要になってくると思っています。かつて、サマー・オブ・ラブの時代に数万人が広場に集まって音楽の力で連帯したように。

これをポストヴィレッジの概念につなげて考えるならば、もともとダンスっていう表現自体がフィジカルな対話型身体言語として機能していたと考えられますよね。ダンスっていうのは、原始宗教儀式にも見られる言語を超えた礼拝だし、それ以前に本来、音楽自体が霊との交信を目的として神の前で演奏する儀式だったわけです。ここにはやはり魂の浄化作用がある。これを現代に読み替えると、クラブカルチャーにこそ現代のトライブ性が宿っていると確信しているわけです。

そんなダンスフロアの諸相を僕らは世界に配信してる訳ですけど、現代はライブストリーミング黎明期なのでまだまだサイバースペースはカオスなわけですよ。ここには、先述の西海岸でのサイケデリック・ムーヴメントの様子にも近いエネルギーが根付いていると思うのです。そしておそらく、テレビの黎明期もこんなカオティックな現場だったんじゃないかと。

ネオ街頭テレビとしてのSNS──ソーシャルメディアとストリートメディア──

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東京新橋駅の街頭テレビでプロレス中継を観戦する2万人の聴衆(1950年代)

これは昭和50年代の新橋です。日本では昭和53年にテレビ放送が開始されたんですけど、その時は番組もドラマもコマーシャルも生放送だったわけです。だからテレビ黎明期に立ち会った製作者の方々と僕らは、近しいカオスを共有できてるんじゃないかと思っています。

これは1955年7月、国鉄の新橋駅に集まった人たちの様子です。1万2000人の群衆が27インチのテレビ2台を見てる。ちっちゃすぎですよね(笑)。ハズキルーペでも双眼鏡でもブラウン管は見えないのでは? 27インチですよ。しかもこの当時は野外フェスなんて存在しなかったので、音声を拡張するPAシステムも浸透してなかったはずです。にも関わらず幕張メッセ並の動員ですよ。テレビっていう動く画が当時いかに魔術的な魅力を放っていたのかがこれでわかります。しかも暗闇の中で共有する映画ではなく、発光を伴い日の光の下で共有できる動画であるということが、当時の我々のご先祖に驚きをもって迎え入れられたことを示す写真だと見て取れます。

さて、この1万2000人で27インチのテレビを共有している状況っていうのは、昨日も今日も『DOMMUNE』で毎晩、国境を越えて繰り広げられてる光景と地続きで捉えられますよね。毎日のビューワーが1万以上あることを考えると、我々が誘発するコミュニケーションを可視化するとしたら多分こういう世界観なんじゃないかと。TwitterのタイムラインやYoutubeのチャットフィールドとかも可視化するとこの感じなのだと思いますね。これは新橋のテレビモニターに群がってる人々なんですよ。テレビっていうものはストリートを通じて人々と共有されたわけですけど、今の世界はサイバースペース横丁で毎晩こんな世界が繰り広げられていると思ってください。ある意味ニューロマンサーですね。

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渋谷街頭テレビジョン|渋谷シリンダーサイドエルビジョン
http://www.pointrag.com/vision.html

これは109のシリンダーサイドエルビジョンです。ここは今、通交量が平均30万人、休日は40万人が絶え間なく行き交っている。このサイネージははLEDで、縦3.8m、横4.99mって結構でかいサイズなんですけど、ここを40万人が絶え間なく行き来しているのに、ほとんどの人が見ていない。せいぜい目に入るくらいで、ぼうっとつっ立って1時間鑑賞することって殆どないですよね。もはやLEDモニターは50インチ3万円の時代で、その辺りにごろごろ存在していて、4K、8Kの時代、全く珍しいものではないし、テレビジョン放送っていうコミュニケーション自体も最早過去のものになってしまったと言っても異論はないと思います。。そうなれば、モニターの中でどんな記号が共有されているのか、そのことが問題になってくるわけなんですね。NETFLIXやHULUやAMAZONプライムなどのサブスクが浸透していて、つまりモニターに写っているのはTV放送ではなく既にネット配信だということです。

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街頭紙芝居に集まる子供達(1950年代)

僕はその原型は、さらに時代を遡って紙芝居にあるんじゃないかと思ってるんです。街頭メディアとしての紙芝居が、全てのプロトタイプになったと捉えられると思うんです。なぜかと言うと、パーソナルコンピュータ時代になってから映像ではなく「動画」っていわれるようになりました。動画ってのは「動く」「絵」なわけで、そう考えたら、ムービーファイルを映像ではなく動画って呼んでることは示唆的なんじゃないか。連続した絵と持続した音から成立するリアルタイムなメディアっていう意味において、何か紙芝居との共通点を見いだすことができるんじゃないか、って思っているのです。

僕は紙芝居の現場にほとんど立ち会えなかった世代なのです。モノクロテレビが浸透し、カラーテレビの放送が始まり広まった時代に生まれた。そこからTVが一方では小型化し、一方では大型化し、ホームビデオが台頭した時代にも立ち会った。だからこそ、個人が動画と音声をストリーミングできるテクノロジーの恩恵を平等に与えられた今、やはりお茶の間の進化という文脈だけではなく、紙芝居や黎明期の街頭テレビとかのストリートメディアを参考に視覚コミュニケーションのコンテクストを考えないといけないんじゃないか、と思うわけなんですよね。

キネトスコープ×シネマトグラフ

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「工場の出口」(1895年)ルイ・リュミエール兄弟による世界初の実写商業映画。 extrait du film sortie des usines Lumière à Monplaisir, Lyon (actuel hangar du 1er film à l'Institut Lumière.

そこで現在、果たして『DOMMUNE』というコミューンのネクストレイヤーを打ち出したわれわれは何を考えるべきなのか?。これは映像コンテンツとしてのドキュメンタリーのことだと捉えるべきなのですね。リュミエール兄弟がシネマトグラフを1894年に開発しましたが、この世界初の実写映画はどんな内容だったかというと、リュミエール兄弟の工場から労働者が歩いて出てくるだけの、ディープミニマルな映像なんですね(笑)。映像の歴史の原点っていうのはこの単調な人間の営み、言ってみればミニマル・ドキュメンタリーだった、と考えられる。そして僕たちが日々ライブストリーミングしてる動画、これもある種のドキュメンタリーなわけですよね。

厳密にはモンタージュが果たせないロングセット、時間軸をエディットできない生配信。これはリュミエール兄弟が作った映画の原点がドキュメンタリーだったことも含めて、あらためて、ドキュメントを前提としたソーシャルメディアにおける視覚コミュニケーションっていうものを、僕らは体現しないといけないんじゃないかと。肝に命じている訳です。

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キネトスコープ(1891年)トーマス・エジソンによって発明された映画上映装置

加えて映写機のパラダイムの変遷がありますよね。この原点は、ファンタスマゴリーっていう幻灯機を用いた怪奇譚ショー、幽霊話に乗せて絵を動かす見世物だと言えます。つまり映画の原点もまた動画だったのです。ファンタスマゴリーは幻灯機を動かすことで大勢の観客が驚きを持って同じ恐怖を共有するわけで、この映像体験を劇的に進化させることによって映画がつくられていくわけですね。しかし一方で、シネマトグラフより前の1891年にエジソンはキネトスコープを発明しているわけです。これは、暗闇の中で不特定多数の人と共有するいわゆる劇場型ではなくて、1人のぞき込むスタイルなんですね。この、のぞき穴から映像を1人で楽しむ感覚は、むしろ現代的な視覚コミュニケーションなんです。ラップトップやスマートフォンで僕たちのライブストリーミングを体感してくれてるビューワーの方々は多分、こういった視聴覚環境で連帯しているのではないか? 一方でタイムラインにおいては、シネマトグラフ的な劇場型の交流、つまり不特定多数の人と現在時間を共有できるような環境の中で配信が行われてるんだと思うのです。つまり1人でのぞき込むキネトスコープに対抗する形で見ず知らずの人と動く絵を共有するシネマトグラフが登場したわけですけど、その両方の素晴らしい視覚コミュニケーション領域を組み合わせた環境に僕たちはいる。ラップトップ/スマートフォンっていうキネトスコープ的な私性を前提としつつ、ソーシャルストリーミングっていうシネマトグラフ的な公共性を伴ってる、そんな現場。その中で、僕たちは日々DOMMUNEの配信をしてるんじゃないかと考えているのです。

こういった形でSNSにおける第二の現場であるビューワーそれぞれの視聴覚環境は、第一の現場である30人キャパのDOMMUNEスタジオを覗き込むことで成立し、国境を越えた第三の現場がTwitterのタイムラインやYoutubeのチャットフィールド上に浮かび上がるっていう野外フェス的、街頭テレビ的、あるいは紙芝居現場的な環境が両立してるんですね。

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FREEDOMMUNE 0<ZERO> A NEW ZERO 2012@幕張メッセ(2012)

これは僕らがやったリアルなフェスティバルで、いわば巨大なオフ会です(笑)。ビューワーたちを1万6千人この幕張メッセに無料でご招待し、東日本大震災復興支援イベントをやりました。Ash Ra Tempelのマニュエル・ゲッチングにも出てもらって、2012年と2013年に5ステージを使って行いました。しかし特筆すべきはこの現場に集まったビューワーの背後に、つまりこの日の第二の現場に72万以上のビューワーがいたことです。この僕らの試みこそが今世紀的なポストヴィレッジ的視覚コミュニケーションの正体です。

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FREEDOMMUNE 0<ZERO> A NEW ZERO 2012の5CHマルチ特殊配信ページ(2012)

2レイヤーに拡がる都市

ここまで、現代のSNS以降のテクノロジーを媒介にすることで、動画(映像)に宿ったアウラをタイムラインに乗せて加速させ、伝播させていけるのだというプロセスを、視覚コミュニケーションの歴史的変遷を引きながら語らせていただきました。つまり、何が言いたいかというとこの日本において僕らDOMMUNEこそが、「国境を越えた民放」を唯一オーガナイズしているのだということです。。この場合の民は、世界の民という意味です。じゃあ世界の民のために配信をする場合、その規模ってどう考えられるんだろうと。これは例えば、ダンスフロアというアンダーグラウンドマイノリティーのトライブたちが、SNSを通じて国境を越え、世界中のマイノリティー同士がつながってるイメージであると捉えられるんじゃないかと。

だからSNS以降、コンテンツ消費からコミュニケーション消費の時代に市場自体が移り変わっている現在において、世界のアンダーグラウンドマイノリティーのハブとして機能している我々DOMMUNEが、リアルな村とか部族とか集落とかの概念をこのタイミングで再考する、すなわち改めてリアルヴィレッジの豊かさを見極めることが大変重要なのではないかとかと思っています。

しかし、それ以前に今回のテーマであるメタシティの中には、ポストヴィレッジ的なコミュニケーションのあり方も既に含まれていると思っています。なぜなら、現在私たちは2つのレイヤーを同時に生きている。一つのレイヤーは社会性を帯びた現実空間としての都市です。そしてもう一つのレイヤーは、ソーシャルメディア上のコミュニティ、ヴィレッジだと考えられる。かつて定義された集落や部族は今、デジタルネットワークの中でクラスタやトライヴとして新しい形で存在しています。つまり、メタシティを考えるには、ポストヴィレッジをイメージしたコミュニケーションスタイルを前提とした方がよりDEEPに語れるのではないか、と。

実社会とソーシャルメディアの2レイヤーで我々は現代を生きている。これを掘り下げていくとしたら、実際ボルネオの狩猟部族プナンと共に生活をし、そのフィールドワークを実社会に還元されている奥野さんの体験や事例が有効になってくるんじゃないかと思って、こういったプレゼンをさせていただきました。長くなりましたが(笑)。では奥野さん、よろしくお願いします。

奥野:実にわくわくするお話でした。新しいメディアを通じてコミュニティが再編成されているわけですね。さっきの1955年の新橋駅でしたっけ。駅前で1万2000人が27インチのテレビを見ているという。びっくりするぐらい目がいいんですかね(笑)。

宇川:マサイ族並みの視力(8.0)がないと見られないでしょうね(笑)。しかし冗談ではなく、あの写真の時代以前はまだ劇場の暗闇の中のスクリーンでプロジェクションされた映画しか流通されていなかったので、。つまりブラウン管からの自発光をまだ見てないので、平均視力も今より良かったかもしれませんね。

奥野:あるいは、テレビができたということに対する熱狂でしょうね。箱から音が聞こえてくる、映像が流れてくること自体に対する驚きというか。だから実際見えてたどうかは、関係なかったのかもしれないですね。

生きるために食べる人びと

奥野:ところで、狩猟民っていうのはすごい目がいいんですよ。われわれには見えない100m先のイノシシなんかが彼らは見えるんですね。調査をしているとこういう驚くようなことがあるわけですが、そんなことを含めて私が何をやっているのか、自己紹介を兼ねてお話したいと思います。

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プナン(Penan)は東南アジア・ボルネオ島の熱帯に暮らす、狩猟を主生業とする人々。マレーシア・サラワク州を流れるブラガ川上流域の熱帯雨林に現在おおよそ500人のプナンが暮らしている。

私は文化人類学を長くやっていまして、とりわけ、プナンという狩猟民の研究をやっています。2000年くらいから始めてもう20年近く、彼らのところに滞在してきました。彼らはボルネオ島という、世界で3番目に面積が大きい島のマレーシア側に住んでいます。もともと私は、ボルネオ島中心部の農耕民社会におけるシャーマニズムと呪術の研究をしていたんですが、人間のさらに起源の在り方を知りたいなと思い、じゃあ次は狩猟民かなと。でも、最初は彼らの暮らしを調査する目的で入ったんですが、逆に彼らに教えられることが非常に多いんですよね。

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プナンには「ありがとう」も「ごめんなさい」という言葉もない。反省もしない、時間の概念もない、トイレもない、道(の概念)もない、方位(東西南北)もない...... 「ないこと」の王国なのだ。

去年出した『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』っていう本があって、まずはここからお話をしたいと思います。プナンには「ありがとう」とか「ごめんなさい」という言葉がないんですね。つまり、感謝や謝罪をしないわけです。それから、反省もしないし時間の観念もない。トイレもない。あるいは道や方角の概念もない。ないことの王国なんです。

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私たちは、職に就き、仕事に生きがいや目標を見出し、時々その中で挫折や失敗を経験する。そのことで、生きていくための、食べるためのお金を稼ぐ。プナンは生きるために食べる。空腹を満たすために、食べ物を探しに行く。森の中で獲物を探すことに一日のほとんどを費やす。食べ物を手に入れたら食べるだけ。食べ物を手に入れること以上に重要なことは他にない。生きることと食べることが切り離されていないという意味で、プナンは「生きるために食べる」人々。

最初はおおざっぱな話からいきましょう。現代の私たちの暮らしっていうのは、朝、目覚まし時計で起きて、食事をして、トイレに行って、会社に行く、というのが典型だと思います。でも彼らは朝起きるとまず、その日に食べるものがないんです。食べ物を探しに行くことが一日の始まりなんです。私たちは仕事に生きがいとか目標を見いだしたり、挫折あるいは失敗を経験して、その結果として生きていくためのお金を得るわけですよね。でも彼らは違うんですね。空腹を満たすために食べ物を探しに行く。だから獲物を手に入れられれば、あとはだらだらと過ごしています。その意味で彼らは「生きるために食べる」人々だと言えると思います。

人類は今から20万年ぐらい前に誕生したと言われていますが、そこから新石器革命──これは今から1万年くらい前ですね──までは全て、狩猟と採取に頼って生きてきました。そこから農耕と牧畜が生まれて、栽培をし、飼育をして、今のわれわれの暮らしがかたちづくられたわけです。

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彼らは吹き矢を使って狩猟をしたりします。上は大量のイノシシを仕留めたようすですね。こうして肉が豊富にあるときは下の写真のようにイヌと一緒に寝てたりします。

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このシワコブサイチョウも彼らの食料の一つです。彼らは鳴きまねをしておびき寄せ、狩猟する。これ以外にも、森の中にいる動物は人間以外ほとんど食べるんですね。

シェアと感謝──「ありがとう」と"jian kenep"──

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獲れなかったブルース
戻ってきたぜ、俺が死んだら残される子どもたちよ
すまない、獲物はぜんぜん獲れなかった
何も狩ることができなかった
嘘じゃない、嘘をついたら、父や母が死んじまう
ブタのでっかい鼻、かつてヒゲイノシシだったマレー人
トンカチの頭みたいなブタの鼻、でっかい目のシカ
夜に光るシカの目、ワニ、ブタ、サイチョウ、ニワトリが鳴いてやがる
あぁ~、獲物はぜんぜん獲れなかった
夜に光るシカの目、ワニ、ブタ、サイチョウ、ニワトリが鳴いてやがる・・・

これは狩猟に失敗した様子です。彼が歌ってるのは、捕れなかったことを告白するある種のブルースです。先ほど言いましたが、彼らには「ありがとう」がないんですね。「ありがとう」っていう言葉そのものもない。物をもらったり何かをしてもらった時に、相手に「ありがとう」っていう表現することそのものがない。何かあげても、何も言わない。だから一見、われわれからは著しく礼儀に欠ける人たちに感じられます。でもしばらく一緒にいると分かってくるんですね。それに相当する言葉がないとは言えないってことが。

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「ありがとう」に相当するのは、“jian kenep”(よい心がけ)という表現であるが、ほとんど用いられない。
それは「よい心がけ」であると、分け与えてくれた相手の精神を称える言いまわし。ものを与えた人が感謝されるのではなく、分け与える精神こそがほめられる。

それが、あまり使われないですが”jian kenep”って言葉で、「良い心掛け」という意味です。良い心掛けというのは、ありがとうとは違って、人に感謝してるんではなくて、分け与えてくれた相手の精神をたたえる言い回しなんですね。つまり、分け与える精神こそが褒められる。だから人に対する「感謝」ではなく、「良い心掛け」と言うんです。

これは、「物を分かち合うこと」を規範とする彼らの考えに根差したものなんですね。誰かに分け与える精神が讃えられ、いま分け与えることは、後で分けてもらえることにつながっている。これは文化人類学では「全体給付システム」と呼ばれていて、狩猟民の社会では非常に広く広がっていたとされます。

宇川:現代社会でも「純粋贈与」って言葉がありますよね。 返礼を期待せず贈与をして、それによって贈与のリレーが始まっていく、というような。「態度経済」とかもそこから生まれてくるんだと思いますが、そういった、純粋な贈与によって成り立ってるエネルギー循環のことなんでしょうか。

奥野:純粋贈与っていうのは、自然から贈与をされるということです。それを受け取った側は何を考えるのかというと、やはり返礼なんですね。つまり、神や目に見えない存在に対する返礼を行うわけです。供物をささげることによって、純粋贈与をアドホックじゃないものにする。つまり継続的に贈り物をもらえるようにする、ということが、農耕民の社会においては一般的でした。

一方で全体給付システム、ありがとうがないっていうことは、実はそう簡単に割り切れないんですよね。例えば、私がおみやげを持っていっても、彼らは誰かにねだられたらすぐにそれを分け与えます。私があげたウェストポーチを付けた人を、別のコミュニティで見たこともあります。そんなふうに物が循環するわけですね。贈り物は自ら抱え込むものではなく、それを欲しがる別の誰かに惜しみなく分け与えなければならない、っていう規範が作られてる。

シェアと欲望

そのことを体現をする最も重要な人物が「大きな男」、”lake jaau”と呼ばれるリーダーなんです。プナンの中ではリーダーこそが、最もみすぼらしい格好をしている。つまり、誰かにねだられたら常に、物を分け与えるような存在に尊敬が集まり、彼の言葉が人々を動かす原動力になりはじめるわけです。しかし彼が物をため込もうとすれば、人々は去っていく。彼はそんなアドホックなリーダーなんですね。

つまり何が言いたいかというと、彼らは非礼じゃなかったと。彼らには、個人的に物を所有せず、共同体でシェアすることでみんなで生き残ろう、という原理があった。そこでは物を分け与えることは当たり前で、感謝されるべきことではない。だから、ありがとうはないわけですね。むしろそうした、物を循環させる精神こそが褒め讃えられるべきだ、となるわけです。

さて、ここで考えなければいけないのは、じゃあ彼らに欲望はないのかってことです。私たち人間は様々な欲望を持ってるわけですから。プナンには欲がないのかというと、実はものすごくあります。例えば、幼児に私があめ玉をあげると、一人占めしようとする。ただそうすると、そばにいるお母さんがみんなに分け与えなさい、と言う。「欲を捨てよ」と言うわけですね。こうして欲望をコントロールすることで、みんなで分かち合う社会と規範をつくり上げてるんですね。

一方で私たちの社会では、この欲は認められます。子どもにあめ玉をあげて、それを独り占めすることを許してやる。つまり個人所有を認めるわけです。そうしたら次はおもちゃ、それから自転車、スマホ、自動車と次々に所有していく。つまり個人所有という考え方の芽生えは、欲を認める感覚によって成り立っているわけです。

これは財だけではなく、知識とか技能についても言えますね。私たちは知識を個人が所有していくものとして考える。だから、例えば医者になろうとすると、医学の知識を身に付ける。個人として知識を所有していって、優秀であれば医者になれる。そうでなければ脱落していく。そういう形で共存社会をつくっている。でもプナンはそうじゃないんですね。知識や技能をみんなで分かち合う社会があるんです。

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そんなプナンのコミュニティですが、私がびっくりしたのは、コミュニティという概念を人間だけが持つものとして考えてないってことですね。彼らの話を聞いていると、人間の話をしているのか、動物の話をしているのかが判然としないことがたくさんあります。例えば彼らはサルを食べます。ブタオザル、カニクイザル、テナガザル、リーフモンキーなどなど。でもそれは単なる食事ではなくて、ある種の交流、密接な関係性の構築なんです。そして、それを基盤として共同体をつくり出しているんだと思うんですね。

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登壇者プロフィール

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宇川 直宏|UKAWA NAOHIRO(DOMMUNE)
DOMMUNE/”現在美術家"。1968年生まれ。香川県/高松市出身。映像作家/グラフィックデザイナー/VJ/文筆家/大学教授/そして”現在美術家"など、幅広く極めて多岐に渡る活動を行う全方位的アーティスト。既成のファインアートと大衆文化の枠組みを抹消し、現在の日本にあって最も自由な表現活動を行っている”MEDIA THERAPIST”。日本に於けるVJのオリジネイター。2001年のニューヨークPS1 MOMA「BUZZ CLUB」、ロンドン・バービカン・アートギャラリーでの「JAM: Tokyo-London」での展示から、国内外の数多くの展覧会で作品を発表。2013~2015年度文化庁メディア芸術祭審査委員。2015年度アルスエレクトロニカ(リンツ・オーストリア)審査委員。高松メディアアート祭では、ディレクター/キュレーター/審査委員長のなんと三役を担当。1980年代末「ヤバイ」という日本語スラングを初めて肯定的な意味に変転させて使用し、著述を通じて世間一般にまで広めた人物でもある。また90年代初頭より文中においてエクスクラメーションマークの連打「!!!!!!!」を多用し、現代の日本語における「感嘆」や「強調」の表現を、SNS以前から独自的に拡張した。2010年3月、突如個人で立ち上げたライブストリーミングスタジオ兼チャンネル「DOMMUNE」は、開局と同時に記録的なビューアー数を叩き出し、国内外で話題を呼び続けている。宇川はDOMMUNEスタジオで日々産み出される番組の、撮影行為、配信行為、記録行為を、自らの"現在美術作品"と位置づける。また、これまで、数々の現代美術の国際展に参加し、ロンドン、ドルトムント、ストックホルム、パリ、ムンバイ、リンツ、福島、山口、大阪、香川、金沢、秋田、札幌、佐渡島...と、全世界にサテライトスタジオをつくり、偏在(いま、ここ)と、遍在(いつでも、どこでも)の意味を同時に探求し続けている。現在、宇川の職業欄は「DOMMUNE」。著書として『@DOMMUNE-FINAL MEDIAが伝授するライブストリーミングの超魔術!!!!!!!!』(河出書房新社)他。DVDに「MAD HAT LAUGHS!!!!!」(Ki/oon / SONY)他。ミュージシャンとしてはUKAWANIMATION! 名義「ZOUNDTRACK」(avex trax)他。2020年には瀬戸内国際芸術祭に参加し、15番目のサテライトスタジオ「DOMMUNE SETOUCHI」をビル一棟をフルリノベーションして開設!!!!!!! 世界中から注目される芸術祭のプロジェクトとして異彩を放ち、大きな話題をよんだ。2019年11月22日、渋谷PARCO9階のクリエイティヴスタジオに移転。そして2020年3月の開局10周年の第二章に向けて、5G以降の最前衛テクノロジーと共に未来を見据えたUPDATEを図り、ファイナルメディア『DOMMUNE』の進化形態『SUPER DOMMUNE』へと進化する!!!!!!
http://www.dommune.com/


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奥野 克巳|OKUNO KATSUMI
立教大学異文化コミュニケーション学部教授 1962年、滋賀県生まれ。バックパッカーとして、メキシコ先住民テペワノを単独訪問し、バングラデシュで上座部の仏僧になり、トルコ・クルディスタンを旅し、大卒後商社勤務を経て、インドネシアを一年間放浪後に文化人類学を専攻。主な著書に、『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(2018、亜紀書房) 、『「精霊の仕業」と「人の仕業」:ボルネオ島カリス社会における災い解釈と対処法』(2004、春風社)、『Lexicon 現代人類学』(2018、石倉敏明と共編著、以文社)、 『人と動物の人類学』(2012、山口未花子、近藤祉秋と共編著、春風社)、『セックスの人類学』(2009、椎野若菜、竹ノ下祐二と共編著)、訳書に、ティム・インゴルド著『人類学とは何か』(2020、共訳、亜紀書房)、レーン・ウィラースレフ著『ソウル・ハンターズ:シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』(2018、共訳、亜紀書房)、エドゥアルド・コーン『森は考える:人間的なるものを超えた人類学』(2016、共監訳、亜紀書房)など。


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青木 竜太|RYUTA AOKI
コンセプトデザイナー・社会彫刻家。ヴォロシティ株式会社 代表取締役社長、株式会社オルタナティヴ・マシン 共同創業者、株式会社無茶苦茶 共同創業者。その他「Art Hack Day」、「The TEA-ROOM」、「ALIFE Lab.」、「METACITY」などの共同設立者兼ディレクターも兼任。主にアートサイエンス分野でプロジェクトや展覧会のプロデュース、アート作品の制作を行う。価値創造を支える目に見えない構造の設計を得意とする。
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