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METACITY CONFERENCE 2019 ガイド

METACITY

METACITYマガジンに先駆けて

2019年1月に行われた「METACITY CONFERENCE 2019」では「City as __」のテーマのもと、国内外のアーティスト、研究者、デザイナー、技術者、企業、行政関係者などを招聘し、様々な角度から「ありうる都市」の姿が議論されました。そこでの計11本の議論と講演をまとめたものが、「METACITY CONFERENCE 2019」マガジンです。

本稿は、METACITYが連載するnoteマガジン「METACITY CONFERENCE 2019」をより一層楽しんでいただくためのガイドとして制作しました。

TEXT BY / EDITED BY: Shin Aoyama (VOLOCITEE)

分断の時代に都市は「ありうる」のか?

現在、新型コロナウイルスの全世界的な蔓延が、都市の在り方を急速に変化させています。ニューヨークタイムズの記事「Can Cities Survive Coronavirus?」は、都市における密集性自体が創造性を支え、相互扶助を成り立たせていたことを指摘しました。これを解体するパンデミックは、都市という一つの生命システムをも死に至らしめていると言えるかもしれません。一方この記事に対し、都市批評プラットフォーム「Failed Architecture」は、「The City and The City and Coronavirus」を発表し、都市を平等なレイヤー上のコミュニティとみなす視点を批判しました。ホワイトワーカーが都市の解体を嘆いている間にも、現実空間で働くことを余儀なくされている労働者の前には依然として都市が存在しているのです。そしてこれはおそらく、最も残酷な形での「ありうる都市」の成立でしょう。

あるいは、イギリスの調査機関CUSPが掲載した「What will the world be like after coronavirus? Four possible futures」では、コロナ禍以後の「ありうる都市」の姿が四象限で示されています。

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経済か人命か? 密集か離散か? 日々のニュースでも取りざたされているこれら喫緊の選択が、未来の政治体系さえも左右するならば、私たちが「ありうる都市」を素描して見せることは逆説的に、逼迫した現在の選択肢を広げることに繋がるかもしれません。

同時に、コロナ禍以後の都市を再編しようとする実践的なアプローチも広がっています。公衆衛生対策グループ、建築家、エンジニア、デザイナーといったさまざまな職能が、感染症に配慮しつつ都市ににぎわいを取り戻すためのデザインガイドラインを作成しています

しかし、こうした「開かれた街路」が真の意味で都市生活者に利益をもたらすのかを疑問視する向きもあります。都市情報メディアCITYLABに掲載された論考「‘Safe Streets’ Are Not Safe for Black Lives」では、歩行者や自転車のためのオープンスペースとして車道を再編成する昨今の動きが、公共空間におけるプライベートスペースとしての自動車から黒人を追い出し、差別や監視、不当な抑圧の危険に曝す懸念について指摘されました。コロナ禍と並走するように白熱化するBlack Lives Matterの視点において、一見平等で平和に思えたオープンスペースが、人種差別意識に基づく監視のアーキテクチャとして機能しうるのであれば、一体わたしたちはどのようにして都市を再び使いこなすべきなのでしょうか?

ところで、Black Lives Matterに関連した抗議活動では、ある種の象徴的意味を持って自転車が使われています。持続可能社会におけるクリーンな、あるいはコロナ禍における安全な都市の移動手段として注目を集めてきた自転車を、自由の象徴として抗議活動の中に転用していく。こうした既存の都市の読み替えと転用を通じた抗議の最たる事例が、シアトルに現れたCHAZ(キャピトルヒル自治区)でしょう。カウンターカルチャーおよびそこにおけるコミューンを想起させるこの(自称)自治区は、単なる歴史の反復なのでしょうか?それとも、新しいしなやかな都市の統治の在り方を示す先触れなのでしょうか?

現在、世界的なパンデミックによって物理的に分断されたわれわれはさらに、人種や経済といったさまざまなレイヤーにおいて分断されようとしています。都市が人の暮らしに付随して発生するなんらかのネットワーク構造であるとするならば、この分断の時代にどのようにして都市は「ありうる」のでしょうか?

セッション紹介

ここからは、全11のセッションそれぞれがいかなる視点で都市を捉え直したのか、そしてそれはコロナ禍の現在においていかなる示唆を持ちうるのかをご紹介していきましょう。

・ 「文化人類学と現"在"美術からみる『ポストヴィレッジ』そして『メタシティ』」

現”在”美術家の宇川直宏さんと文化人類学者の奥野克巳さんによる基調講演では、「ポストヴィレッジ」をテーマに、宇川さんが主催するライブストリーム「DOMMUNE」での実践と、奥野さんによる狩猟採集民プナンのフィールドワークの知見を通じて、リアルとデジタルが重なり合う時代のコミュニティの在り方について探っていきます。

プナンにおいては人間以外の動植物や精霊もまた、コミュニティの一員として扱われます。こうした多自然主義の考え方は、ウイルスという不可視の隣人を意識せざるを得なくなった今後の社会を認識し直す上で、有効な視点になりうるでしょう。


・ 「ニューエコノミー/ネクストジェネレーション」

WIRED日本語版編集長、松島倫明さんによる基調講演は、WIREDが創刊当時から掲げていたテーマ「闘うオプティミズム」を軸に、未来に向けた想像/創造力を示す書籍を紹介していきます。

カンファレンス当時、WIREDは「デジタル・ウェルビーイング」と題して、テクノロジーの加速の中でいかに本質的な充足を選び取れるのかを問いました。「いかに生活の質を保つか」という問いは自粛下の現在、別の形で現れてきています。未来を形づくるイノベーションが現在のウェルビーイングの上にしか到来しないのであれば、私たちはコロナ禍以後の世界を描き出すためのアティチュードをこそ、考えるべきかもなのかもしれません。


・ 「千葉市憂愁(チバ・シティ・ブルーズ)」

現千葉市長である熊谷俊人さんと、WIRED日本語版編集長の松島さんによるセッションでは、幕張新都心の「ありうる姿」について、アート・テクノロジー・カルチャー・ワークスタイルといった視点から検討が行われました。

この中で、アートや自然を楽しむための街のゆとりと、そのアートを生み出すだけのエネルギーに満ちた街の密度を両立させるにはどうすべきかが議論されました。これはまさに、凝縮と離散をコントロールしながら都市を成立させるにはどうしたらいいのか? という、私たちが直面している問いのヒントを示しているように思えます。


・ 「都市の生死とは?」

墓地デザイナーの関野らんさん、キュレーターの高橋洋介さん、バイオアーティストの長谷川愛さんの対談と通じて、進化するテクノロジーや都市制度が私たちの死生観をどのように変えているのかを考えていきます。

議論の中で、都市の発展に伴って人の死は郊外へと追いやられてきたと指摘されましたが、新型コロナウイルスの蔓延はそれをさらに加速させていると言えるでしょう。住宅地に隣接した医療施設の建設反対運動や、物理的な接触を排除した葬儀のように。さらには、人工呼吸器の不足による不可避な「命の選別」、あるいは自粛を破った者から感染していくという構図そのものが、極めて生政治的な様相を感じさせます。物理的な死から隔離される一方で、概念としての死が身近になったこの社会において、私たちはどのような死生観を持ちうるのでしょうか?


・ 「ウェザードリブン・シティ」

ウェブサイエンティストの岡瑞起さんと株式会社ウェザーニューズの石橋知博さんの対談からは、人々が生み出す膨大なデータ群が教育やマーケティング、都市の地価決定にまで展開される可能性が見えてきました。

「インフルエンザの伝播が可視化されることで、交通手段の選択が変わるかもしれない」というセッション内の指摘は、もはや現実のものとなりました。これを推し進めれば、年齢や持病によってリスクが数値化され、行動範囲や交流相手が制限される世界さえ想像できます。このセッションには、そんなウイルスドリブン・シティをより望ましい形にするために、どんな知見が活かせるのかが詰まっています。


・ 「メディアアート x 建築の可能性」

メディアアーティストOuchhhのお二人による作品の紹介を通じて、日々更新され続けるテクノロジーや生成され続けるデータ群は、いかにしてアートへと接続可能なのか、そこには一体どのような新しい意味が生じているのかを見ていきます。

現在、物理的なパンデミック以上に、錯綜する情報によって混乱が助長される「インフォデミック」が問題視されています。そんな中でOuchhhの作品は、日々生成され続けるデータに対して意識的になるためのきっかけを私たちに提供していると同時に、情報を通じて人々を「振り付ける」際に必要なリテラシーを問いかけています。


・ 「ペチャクチャ・シティ」

続いて建築家のマーク・ダイサムさんは、都市におけるコンテンツの重要性を指摘し、それを建築というハードの中にどう定着させられるのかを説明していきます。同時にプレゼンテーションフォーマット「ペチャクチャ・ナイト」の開発と発展の歴史を紹介し、誰もが都市の中にコンテンツをつくり出していける「ありうる都市」の姿を素描します。

世界1000以上の都市に広がるペチャクチャ・ナイトからは、離散を余儀なくされるコロナ以後の世界で交流するために必要なフレームワークとは何か?という示唆を得られるかもしれません。


・ 「シティ・アズ・キャンバス」

アートコレクティヴのSIDE COREによる作品紹介からは、ストリートアートが持つ都市に対する介入のボキャブラリーが、個人の表現と都市の公共性を両立させるためのヒントになりうることが示唆されました。

5月6日に発表されたバンクシーの新作は、医療従事者をスーパーヒーローに見立てたグラフィティでした。密閉空間である美術館が自粛によって危機に瀕し、文化・芸術の切り捨てが騒がれる現状は、ストリートアートに新たな意味づけをもたらしているように思えます。彼らの先例から、文化・芸術が単なる1コンテンツではなく、都市と不可分に結びついたしなやかな世界の可能性を探索してみましょう。

・ 「アート系スタートアップの出現と都市文化に与える影響」

ON THE TRIP代表の成瀬勇輝さん、都市研究家の鈴木綜真さん、MORTION GALLERY代表の大高健志さんは、いずれも都市に新しい価値づけを試みるスタートアップを運営していらっしゃいます。こうしたビジネスを通じた形での都市に対する新しい表現方法から、市民一人ひとりがまちづくりに影響力を持つには? という問いが展開されていきます。

ほんの数人から爆発的に感染が広がっていった現状は、市民一人ひとりが都市に対して影響力を持ちうることを極めて皮肉な形で示しました。都市に埋もれていた価値を見つけ、文化へとつなげていくというアプローチは、既存の文化・芸術システムが長期間の閉鎖によって衰弱している現在において、より積極的な意味を持ち始めています。もはやうしろめたいものへと変わってしまった都市空間から、再び誇りを見つけ出すための手がかりとなるはずです。


・ 「ポストコミュニティ」

アーティストの和田永さんと僧侶の松本紹圭さんの対談からは、音楽や宗教といったこれまでコミュニティの紐帯を担ってきたシステムが、これからの都市を考える上でいかなる視点をもたらしてくれるのかが見えてきました。

かつての固定的なコミュニティの軛を超えた、「必要や出会いに応じて生成/解体を行うアドホックなコミュニティの可能性」についての議論はまさに、過密による衛生問題と都市がいかに折り合いをつけていくのか、という課題の出発点を示しています。同時に音楽や掃除といった非言語交流は、家族という極小単位のコミュニティに閉じ込もらなければならなくなった私たちが、情報の効率的な伝達に特化したオンラインコミュニケーションツール(通話、チャット、メール)を流用して人間関係を繫ぎ止めることの限界とオルタナティヴを示してくれるかもしれません。

・ 「超都市」

最終セッションは建築家の豊田啓介さんと茶人の松村宗亮さんによる対談です。情報空間と実空間を結びつけるコンピューテーショナル建築の知見と、精神世界を表現し続けてきた茶の湯の知見が掛け合わされた先に、超都市(メタシティ)の輪郭は見えるのでしょうか?

自粛によって現実環境が縮小した現在、デジタル空間だけではなく、個々人の精神的な空間把握の価値が増大しています。CITYLABは「Your Maps of Life Under Lockdown」で、ロックダウン下の都市において人々がどのように生活空間を捉えているのかを調査しました。奇しくも現実の都市が凍結されたことで、人の数だけの新しい都市が生まれているのです。本セッションの議論には、物理・情報・精神の3レイヤーに広がった都市が再び出会う日を描き出すためのヒントが詰まっているはずです。

VECTOR of METACITY

「都市|City」という言葉は、パリの中心に位置するシテ島に由来するとされています。このセーヌ川の中洲への人の密集が伝染病の勃発を招いた結果、オスマンによるパリ改造が実施され、近代都市が誕生しました。現在の私たちが住まう都市の原型自体が、公衆衛生危機によって確立されたものに他ならないのです。

現在、こうして成立し発展してきた都市も、もはや進化の袋小路へと入り、物理的・制度的な変革の可能性は閉ざされ、硬直化しています。ところで、生物の進化を助けてきたものもまた、ウイルスだと言われています。ウイルスは遺伝子のベクター(媒介者)の役割を持っており、ウイルスが感染する際にその遺伝子の一部が宿主に取り込まれることで、生物は絶えざる発展を遂げてきたのです。では、硬直化した都市という生命システムが新型コロナウイルスの流感を乗り越えた後には、いかなる遺伝子のかけらが残されるのでしょうか?

本カンファレンスは、アーティスト・研究者・デザイナー・技術者・企業・行政関係者といった方々を招聘することで、都市にさまざまな分野の論理を援用しうる可能性を示そうとしました。これは、都市を種々雑多なウイルスに感染させる試みだったと言えるかもしれません。都市をハックする、都市のソフトウェアを書き換える、といったアプローチから「ありうる都市」を考えてみる時に、私たちがウイルスから受けるべき示唆は多くあるはずです。ぜひ興味のある記事を読んでいただき、ウイルス(vector)が指し示す「ありうる都市」の進路(vector)に思いを馳せていただければ幸いです。

NEXT:初回「文化人類学と現"在"美術からみる『ポストヴィレッジ』そして『メタシティ』」はこちらから


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