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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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これまでの記事で書き落としたことのまとめ,2023年1月25日


https://note.com/meta13c/n/n7575b6c0826b
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注意

これらの物語の重要な情報を明かします。

特撮テレビドラマ

『ウルトラマンネクサス』
『ウルトラマンギンガS』
『ウルトラマンX』
『ウルトラマンオーブ』
『ウルトラマンジード』
『ウルトラマンR/B』
『ウルトラマンタイガ』

特撮映画

『ウルトラマンゼロ THE MOVIEベリアル銀河帝国』
『ウルトラマンギンガS ウルトラ10勇士』

実写映画

『ターミネーター4』

テレビドラマ

『ルーズヴェルト・ゲーム』

漫画

『NARUTO』
『ドラゴンボール』
『るろうに剣心』

テレビアニメ

『NARUTO』
『NARUTO 疾風伝』
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボールZ』

小説

『迷走皇帝』
『二重螺旋の悪魔』
『ソリトンの悪魔』
『カムナビ』(梅原克文)
『サイファイ・ムーン』
『マン・トラップ』
『心臓狩り』
『テュポーンの楽園』

はじめに

 今回は、これまでの記事で書き落としたことのまとめですが、かなり長く、まとまりのない文章になるようです。

梅原克文作品同士を結び付けて考える

 これまで、梅原克文さんの小説を幾つかの視点から考察しましたが、今回はそれらの小説同士の繋がりを検証します。
 『迷走皇帝』で「僕は気弱だった」と周りの評価に反する感情を吐露した主人公がいます。
 一方、『二重螺旋の悪魔』の序盤では、「おれの見た目はハードボイルドらしいが、実際は臆病なエゴイストだ」と主人公が語っています。
 『ソリトンの悪魔』では、海底の極限状況で、「僕はエゴイストだと思っていたんですけどね」と上司に話す人間がいます。

 『二重螺旋の悪魔』で強大な能力を手に入れる寸前の主人公は、「もっと光を」というゲーテのものらしい「臨終の言葉」を話していますが、『カムナビ』では、その言葉はある意味で自分だけでなく人類や地球全体の破滅のきっかけとも言えます。

 『迷走皇帝』と『二重螺旋の悪魔』では、イスラームを含む一神教の思想と、思い上がる存在の暴力が鍵になります。
 『二重螺旋の悪魔』では、題名通りDNAが鍵になりますが、『ソリトンの悪魔』では、構成物質の根本的に人間と異なる生命体が、人間の体質や行動を推測するのを「DNAから生命の性質を考えるようなもの」だという解説がありました。
 『ソリトンの悪魔』での音や水に関する技術の解説は『カムナビ』にもあり、時代背景から、『ソリトンの悪魔』の前日談が『カムナビ』なのではないか、とも考えました。『カムナビ』の超常現象は公表されておらず、『ソリトンの悪魔』の展開に影響を及ぼすのが難しいためです。
 また、『ソリトンの悪魔』では、構成物質の関係から、それを全て排除しないと不死身かもしれない敵が登場しますが、『カムナビ』では皮肉なことに、その排除を簡単に行える、なおかつ加減のきかないため人類ごと巻き込む超常的な存在がいます。
 『ソリトンの悪魔』では、ある程度の誠意を極限状況でも貫き、異質な生命と理解し合えましたが、『カムナビ』では元々無理のある状態です。
 『カムナビ』や『二重螺旋の悪魔』や『サイファイ・ムーン』には、宇宙からのウイルスという共通点があります。
 『心臓狩り』は、『二重螺旋の悪魔』の謎を別方向から捉え、ある程度穏やかにしたものの、収拾が難しくなっています。
 また、『二重螺旋の悪魔』では恐竜を滅ぼした小惑星の起源を独自の設定にしており、『サイファイ・ムーン』では月の起源に似たような気配を感じさせます。
 『カムナビ』では東洋思想における特殊な「ちから」が重視されますが、『サイファイ・ムーン』では漢方薬の特殊な部分が、ある社会現象に関わります。
 『カムナビ』では赤外線、『サイファイ・ムーン』では紫外線が重要になります。
 『二重螺旋の悪魔』と『サイファイ・ムーン』では、「幽霊」の独自の解釈があります。
 『マン・トラップ』では、宇宙から生態系や植物に関わる特殊性がありますが、その残酷さのやや薄いところが、『テュポーンの楽園』にもあります。
 『心臓狩り』でも、東洋の「気」を含めた抽象的な概念の正体に迫り、それは『カムナビ』にも通じます。
 『マン・トラップ』では、女性に惹かれて危険に挑む男性の失敗が描かれますが、『心臓狩り』では似たような状況で、ある意味で「仲間」を信用したことでまだ穏やかな結末になっています。
 『テュポーンの楽園』では、人間の破滅を避けるための「楽園」がありますが、それには麻薬のような作用があり、『二重螺旋の悪魔』では麻薬に依存したような状態から「退屈」による破滅を避けようとする、新しい苦しみや罪が重要になります。

記憶消去の不可知論

2023年1月25日閲覧

 
 
 『ウルトラマンネクサス』や『ウルトラマンギンガS』劇場版や『ウルトラマンゼロ ベリアル銀河帝国』では、人物の記憶を消したり変えたりする能力が登場しますが、これは不可知論に陥る危険性のある設定です。
 記憶を変えられていると言われれば、人間は何も反論出来ません。
 その意味で、『ネクサス』は記憶を変えられるのがメモリーポリスという組織と終盤の黒幕だけで、目的自体ははっきりしていたので、まだ混乱が少ないところがありました。
 また、『ベリアル銀河帝国』では、ジャンバードが記憶を消せるものの、内部の人間が限度のようなので、「実はこの人物も消されていた」といった逆転の展開は特にありませんでした。というより、ジャンバードは敵が強過ぎて、生物の敵がベリアルと幹部2人ぐらいしかおらず、最初は恐れて逃げ回っていたので、記憶消去で周りや視聴者を振り回せる存在にはなり得ませんでした。
 しかし、『ギンガS』劇場版『ウルトラ10勇士』のエタルガーは、高い移動などの能力も持ち、自分が従っているように見せかけたアレーナの記憶を書き換えたものの、それを初対面のムサシに指摘されても、アレーナは困るところです。
 今まで当たり前のように思っていた記憶が「偽物」と言われたところで、「ならば何故私の記憶だけそのように周りくどく消すのか?そういうあなたの記憶こそ変えられていないと言い切れるのか?」とも言えます。
 つまるところ、記憶消去という設定は便利過ぎて、「疑い出せばきりのない」状況になります。
 これはこの記事で挙げました。

 たとえば、「消した痕跡だけは消せない」といった設定があれば別なのですが。『ルーズヴェルト・ゲーム』では、データ消去で似たような展開がありました。
 アレーナが変えられた記憶を思い出す度に特定の頭痛などの症状があり、その原因がアレーナ本人にとって不審なものだといった、「消せない痕跡」が、論理的な証明には必要になります。
 これは論理的にはかなり難しいところですが。

『NARUTO』と3種類のナショナリズム

 『ターミネーター4』や『るろうに剣心』について、英語の通じる人間や日本国民を助けたいナショナリズムがあると私は記しました。それは、英語や国籍さえ共通していれば、他の血縁や職業などの差異を受け入れると言えます。単一性と多様性があります。

 その意味で、ジャンプ漫画として、『NARUTO』や『ドラゴンボール』にもナショナリズムがあると私はあとから考えました。

 『NARUTO』では、忍者の戦いの中で、任務より仲間を優先する傾向が主人公のナルトの師匠のカカシにあり、それはその仲間のオビトからのものでした。
 仲間を大切にするのは、ナルトの属する木ノ葉隠れの里の忍者の「火の意思」とも表現されますが、ある意味でこれが逆説的なナショナリズムを生むと考えます。
 私は人間社会を、法律、貨幣、遺伝子、文化に区切って考えていますが、任務、つまり依頼人からの仕事より仲間を優先する「火の意思」というのは、ある種の「文化」と言えます。
 そして、その「文化」さえ共有していれば、他の差異は受け入れるというのが、ナルトやカカシにあります。
 貧しく、任務の報酬を偽った波の国を「義」として助けたカカシや、大名などの金銭などにあまり動かされない主張をするナルト達は、貨幣より文化を優先して、それが政治的な影響を及ぼす意味で、法律と文化が、貨幣より優先されていると言えます。
 また、木ノ葉隠れで、うちは一族などは身内の結束が強く、遺伝子、血縁による「誇り」の意識が強いと言えます。
 さらに、「里のため」にうちは一族を疑って迫害したりその能力を奪ったりする木ノ葉のダンゾウも、ナルト達と対立します。
 私の推測では、ナショナリズムの邦訳の国家主義がダンゾウ、民族主義がうちは一族、国民主義がナルト達に当たると考えます。
 法律を決める国家に当たる里という組織を優先して、その暴力を遺伝子の血縁や貨幣の仕事や文化抜きに一元的に重視するのがダンゾウの「国家主義」だと考えました。
 また、自分達の遺伝子、一族ばかり重視するのを「善意」として押し通すうちは一族は、「民族主義」だと考えました。
 そして、「火の意思」という文化さえ共有すれば、一族の垣根を越えて、ときには敵が仲間を大事にするのも認めることのあるナルト達は、文化的な境界線と政治的な境界線を一致させる「国民主義」のナショナリズムがあると考えました。「仲間を大切にする文化」が、「敵もそうしている」というところで認め合う政治的行動に通じると言えます。

『ドラゴンボール』の「ナメック語ナショナリズム」

2023年1月25日閲覧

 ナショナリズムでは、政治的な境界線と文化的な境界線を一致させると言われますが、文化の定義の1つが「言語」だと言えます。
 ヨーロッパでのナショナリズムは、聖書をそれまでのラテン語などの「聖なる言語」から、ドイツ語などの一般的な言語に訳して活版印刷で出版したのが重要だとされます。
 つまり、キリスト教と何らかの国民に広まりやすい言語という文化の発達が、政治に影響を及ぼすのがナショナリズムだと言えます。
 その意味で、『ドラゴンボール』では、ほとんど言語の壁がないのですが、珍しい例として、ドラゴンボールを作り出したナメック星人が専門的に用いるナメック語が重要だと考えます。
 ナメック語はナメック星人の中でも、神聖な扱いのドラゴンボールを使う一部の状況で用いるもので、現実では、聖書のためのラテン語、仏典のためのサンスクリット語のようなものかもしれません。
 それを、善良な者ばかりのナメック星人から、「カタッツの子」が「地球の神」となって地球の付き人のミスター・ポポを通じて、科学技術の高いが俗なところのあるブルマにナメック語が伝わって、それで宇宙船を動かせるようになり、ナメック星を含めて宇宙を大きく変えるようになりました。
 これは、「ナメック語という文化さえ学べば他の差異を受け入れる」という単一性と多様性を持つ、ある種のナショナリズムだと考えました。
 何らかの文化を一般社会に通じさせる翻訳などの作業と高い科学技術によって、政治や法律に影響を及ぼす力になるのが、ヨーロッパのナショナリズムと、『ドラゴンボール』の世界の変化に通じるかもしれません。

『ギンガS』と、『X』から『タイガ』まで

2023年1月25日閲覧

 ウルトラシリーズでは、前の作品に反する主張をところどころでしていると考えていますが、『ウルトラマンギンガS』は、のちの新世代(ニュージェネレーション)ヒーローズシリーズで、それぞれ自己批評のように反する論理が見て取れます。

 『ギンガS』では防衛チームの兵器が弱いところがあり、巨大怪獣に対してウルトラマンの援護すら難しい状況でしたが、強過ぎるビクトリウムキャノンを上層部が製造して、暴走して敵に奪われました。
 これについて隊長の陳野は、上官の神山に、「兵器に希望など託すのが間違いです」と言っていますが、『ウルトラマンX』では、「強力な兵器なしでどうやって戦うんだよ」という台詞があります。
 『ギンガS』で、自分達のエネルギーを地上人の兵器に利用された地底人のショウ=ウルトラマンビクトリーは中止させようと戦いを挑み、捕らえられて別の地上人に助けられましたが、ウルトラマンギンガの必死の戦いに、「この力は、傷付け合うためではなく、かけがえのない仲間を守るためにある」と結論付けました。
 しかし、基本的に敵が一方的に襲って来るウルトラシリーズの世界観で、降伏するか和解するかしない限り、「敵を傷付けなければ味方を守れない」と言えます。実際に、『ギンガS』では、「地球を守りたければ敵のエクセラーに降伏しろ」と言ったロボットがおり、誰も降伏など考えていません。
 その意味で『ウルトラマンオーブ』では、ウルトラマンオーブが人間を巻き込んで戦ったことで防衛チームが攻撃対象にして、その1人の渋川は「何かを守るってことは、何かを傷付ける覚悟を持つってことなんだよ」と主張して、ショウの台詞への反論になったとも言えます。「オーブも同じ気持ちなのかも」と言われてもいますが。
 『ギンガS』で神山が「ウルトラマンはいつ脅威になってもおかしくない」と疑ったのを、ウルトラマンギンガに変身するヒカルが「取り消せよ!あいつがどんな気持ちで戦ってるか、知りもしないくせに!」と憤りました。
 しかし『ウルトラマンジード』では、それまで侵略者の多い宇宙人の種族が集まり、明らかに侵略などを行うウルトラマンベリアルから宇宙を守る組織を結成している中で、ウルトラマンゼロはかつて父親のウルトラセブンと戦ったシャドー星人の同種のゼナを疑っています。
 地球人であり、組織の後輩であるモアは「ゼナ先輩のことを知りもしないで」とゼロを批判しましたが、「それならお前はあいつの何を知っている?」と返されて、反論出来ませんでした。
 モアはゼナの目の前で、侵略をやめたピット星人を見て「宇宙人って悪い人ばかりじゃないんですね」と言う、どこまで宇宙人のことを知っているか曖昧なところがあります。その中で、「知りもしないくせに疑うな」というのは無理があり、『ギンガS』にもそれがあります。
 また、「何を知っている?」という反論なので、知っていれば具体的に答えられます。ゼロは明確に反論の余地を相手に与えているのです。ヒカルは「知らないなら疑うな」と、反論の余地を奪っています。
 「知らないから疑うのだろう」という順当な視点が、ヒカルには欠けており、ゼロにはあります。実際に、ヒカルも敵対した怪獣のガンQを、別の人間が変身して敵でないときにも「知らないから疑う」としか言えない行動で攻撃しました。

 ウルトラシリーズで、人間がウルトラマンに近い能力を使うのは批判されることが多いのですが、それは主人公に近いことをしても「偽物」だから余計に否定されやすいのかもしれません。
 その意味で、正式なウルトラマンから、経緯の不明なまま能力を与えられた地球人が戦う『R/B』では、その正式なウルトラマンの妹に「偽者」と呼ばれて能力を認められなかったときに、その本物の妹の方が冷徹なところもあり、「偽物上等だ!」、「別に本物になんかなりたくねえ」と反論しました。
 『ジード』のジードも偽ウルトラマンだと言えますが、偽物だから悪いのか、本物だから許されるのか、そもそも本物だから正しい保証はあるのか、という疑問を扱っているとも言えます。
 『ギンガS』では、その意思の確認出来ない怪獣や宇宙人の人形の能力を使うヒカルやショウが、「仲間だ」と主張していますが、協力する意思を確認出来ない存在は「感謝する」ならともかく「仲間」とは呼べないのではないか、と私は考えています。『X』では確認出来ますが。
 『ウルトラマンタイガ』では、やはり怪獣の能力を使うウルトラマンタイガが、ウルトラマン同士や人間の「絆」を重視していますが、敵に用意された怪獣の能力を使い過ぎて暴走しました。人間は暴走するタイガに「思い出してくれ!絆を」と呼びかけましたが、暴走させたトレギアは「二言目には絆、絆、うるさいんだよ」と言っています。
 『タイガ』でも怪獣の意思を確認出来ず、全て元々は暴れていた加害者とはいえ、倒されてからは主人公に利用される被害者なので、主人公とその明確な仲間との「絆」は、怪獣にとってはいくら言っても「加害者同士の絆」にしかならず空回りしているとは言えます。
 『ギンガS』で、怪獣の意思を確認出来ないままその能力を使ったことへの批評が、『タイガ』にあるとも言えます。

まとめ

 今回は内容がまとまりませんでしたが、以前から書きたかったことをこの機会に主張出来たと考えます。

参考にした物語

特撮テレビドラマ

小中和哉ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2004 -2005,『ウルトラマンネクサス』,TBS系列(放映局)
アベユーイチほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2013 (放映期間),『ウルトラマンギンガ』,テレビ東京系列(放映局)
坂本浩一ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2014 (放映期間),『ウルトラマンギンガS』,テレビ東京系列(放映局)
田口清隆ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2015 (放映期間),『ウルトラマンエックス』,テレビ東京系列(放映局)
田口清隆ほか(監督),中野貴雄ほか(脚本) ,2016 (放映期間),『ウルトラマンオーブ』,テレビ東京系列(放映局)
坂本浩一ほか(監督),安達寛高ほか(脚本) ,2017,『ウルトラマンジード』,テレビ東京系列(放映局)
武居正能ほか(監督),中野貴雄ほか(脚本),2018,『ウルトラマンR/B』,テレビ東京系列(放映局)
市野龍一ほか(監督),林壮太郎ほか(脚本),2019,『ウルトラマンタイガ』,テレビ東京系列(放映局)

特撮映画

アベユーイチ(監督・脚本),2010,『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦! ベリアル銀河帝国』,松竹(配給)
坂本浩一(監督),小林雄次ほか(脚本), 2015,『劇場版 ウルトラマンギンガS 決戦!ウルトラ10勇士!!』,松竹メディア事業部(配給)

テレビドラマ

伊與田英徳ほか(プロデューサー),福澤克雄ほか(演出),八津弘幸ほか(脚本),2014,『ルーズヴェルト・ゲーム』,TBS系列

漫画

鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
和月伸宏,1994-1999(出版社),『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』,集英社(出版)
岸本斉史,1999-2015,(発行期間),『NARUTO』,集英社(出版社)

テレビアニメ

伊達勇登(監督),大和屋暁ほか(脚本),岸本斉史(原作),2002-2007(放映期間),『NARUTO』,テレビ東京系列(放映局)
伊達勇登ほか(監督),吉田伸ほか(脚本),岸本斉史(原作),2007-2017(放映期間),『NARUTO疾風伝』,テレビ東京系列(放映局)
内山正幸ほか(作画監督),上田芳裕ほか(演出),井上敏樹ほか(脚本),西尾大介ほか(シリーズディレクター),1986-1989,『ドラゴンボール』,フジテレビ系列
清水賢治(フジテレビプロデューサー),松井亜弥ほか(脚本),西尾大介(シリーズディレクター),小山高生(シリーズ構成),鳥山明(原作),1989-1996,『ドラゴンボールZ』,フジテレビ系列(放映局)

実写映画

マックG(監督),ジョン・ブランケットほか(脚本),2009,『ターミネーター4』,ソニー・ピクチャーズエンタテイメント(配給)

小説

梅原克哉,1990,『迷走皇帝』,エニックス文庫
梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(上)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(下)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 上』,朝日ソノラマ
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 下』,朝日ソノラマ
梅原克文,2010,『ソリトンの悪魔』,双葉文庫
梅原克文,1999,『カムナビ』,角川書店
梅原克文,2001,『サイファイ・ムーン』,集英社
大多和伴彦/編,服部まゆみほか(著),2000,『憑き者』,東京アスキー(梅原克文,『マン・トラップ』)
梅原克文,2011,『心臓狩り』,角川ホラー文庫
梅原克文,2018,『テュポーンの楽園』,KADOKAWA

参考文献

春香クリスティーン,2015,『ナショナリズムをとことん考えてみたら』,PHP新書
鈴木貞美,2009,『自由の壁』,集英社新書
萱野稔人,2011,『ナショナリズムは悪なのか 新・現代思想講義』,NHK出版新書
大澤真幸(編),2009,『ナショナリズム論・入門』,有斐閣アルマ
アーネスト・ゲルナー/著,加藤節/監訳,2000,『民族とナショナリズム』,岩波書店
大澤真幸,島田雅彦,中島岳志,ヤマザキマリ,2020,『別冊NHK100分de名著 ナショナリズム』,NHK出版


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