ウルトラシリーズや『ジャンプ』や『ターミネーター』の長期間続く作品の「自省」について
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注意
特撮テレビドラマ
『ウルトラマンティガ』
『ウルトラマンダイナ』
『ウルトラマンガイア』
『ウルトラマンコスモス』
『ウルトラマンネクサス』
『ウルトラマンマックス』
『ウルトラマンメビウス』
『大怪獣バトル』
『大怪獣バトルNEO』
『ウルトラゼロファイト 新たなる力』
『ウルトラゼロファイト 輝きのゼロ』
『ウルトラマンギンガ』
『ウルトラマンギンガS』
『ウルトラマンX』
『ウルトラマンオーブ』
『ウルトラマンジード』
『ウルトラマンR/B』
『ウルトラマンタイガ』
『ウルトラマンZ』
『ウルトラマントリガー』
特撮映画
『ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE』
『ULTRAMAN』(2004)
『ウルトラ銀河伝説』
『ベリアル銀河帝国』
『ウルトラマンサーガ』
『ウルトラマンジード つなぐぜ!願い‼︎』
特撮オリジナルビデオ
『ダークロプスゼロ』
『キラー・ザ・ビートスター』
漫画
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボール超』
『NARUTO』
『BORUTO』
『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』
『るろうに剣心 特筆版』
『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-北海道編』
『鋼の錬金術師』
『地球へ...』
テレビアニメ
『ドラゴンボールZ』
『ドラゴンボールGT』
『ドラゴンボール超』
『NARUTO』
『NARUTO 疾風伝』
『宇宙戦艦ヤマト2202』
映画
『ターミネーター』
『ターミネーター2』
『ターミネーター3』
『ターミネーター4』
『ターミネーター・ジェニシス』
『ターミネーター・ニュー・フェイト』
小説
『ターミネーター3』
『幼年期の終わり』
これらの重要な情報を明かします。
はじめに
様々な物語を観察する中で私は、それぞれの作品が続くごとに方針を変えて、それまでの作品へのアンチテーゼというべき自省の精神を示していると考えたことがあります。
ただしここでは、私がそれまでの作品に意見として「偏っている」、「見落とされている」と感じたものがのちの作品で是正されていると判断したのがほとんどであり、劇中で「過去作のこれが足りなかった」と明言されているとは限りませんので、ご注意ください。
ここでは、ウルトラシリーズ、『ドラゴンボール』、『るろうに剣心』、『NARUTO』、『ターミネーター』について考察します。
まず、平成ウルトラシリーズからはじめます。
『ウルトラマンティガ』の「人の心の弱さ」
『ウルトラマンティガ』では、人間社会の戦争が克服されたところに怪獣が現れますが、人間による突然変異で暴れる怪獣もおり、本来調査組織だったのが武装したGUTSの隊長のイルマは「戦ってばかりでは駄目」、「怪獣は人間の心の弱さが生み出すのではないか」と主張しています。「人間が武器を捨てれば神様も怪獣を出すのをやめる」と話した人間もいます。
『ウルトラマンダイナ』の「人間に関係のない怪獣」と「宇宙への進出」
しかし、続編の『ウルトラマンダイナ』では、『ティガ』で進んでいた技術で宇宙に進出する人間を、目障りだとみなして攻撃して来る高圧的な宇宙人も多々います。また、微妙なところですが、人間に生み出されたクローン怪獣同士も争っており、その怪獣の中には、元々凶暴だったネオザルスもいたため、一概に人間に全ての責任を負わせられないところがありました。
『ウルトラマンガイア』の「地球怪獣との団結」
『ウルトラマンガイア』から『ウルトラマンマックス』までは世界観の一新が続きます。
『ダイナ』では、人間が宇宙や地底や海底に進出する「ネオフロンティア」が、やがて敵であるグランスフィアのように、惑星の環境や個々の人間の尊厳を損なう可能性も示唆されました。これはインタビュー集『地球はウルトラマンの星』によると、アーサー・C・クラークの「人間中心主義」の影響であり、私の知る限り、『幼年期の終わり』を連想します。
『ガイア』では、ウルトラマンから宇宙の要素がなくなり、地球のエネルギーによって人間の科学者が変化した存在となります。『ティガ』や『ダイナ』で否定的だった、科学技術でウルトラマンの能力を司るのにも肯定的です。そして、地球のウルトラマンとして、地球怪獣となら人間と仲立ちをし、共通の敵である知的存在に立ち向かいます。
これは、『ダイナ』で地球から人類が離れたこと、ウルトラマンの能力を人間の精神に集中させたことへの反論とも取れます。
『ウルトラマンコスモス』の「地球怪獣同士の争い」や「宇宙怪獣との繋がり」
しかし、「地球は一つの生命体である」という現実のガイア理論は、本来地球怪獣同士の争いもみられるウルトラシリーズでは合わないところもあります。
そこで、『ウルトラマンコスモス』では、怪獣を保護する方針を訴えつつ、地球怪獣のゴルメデとリドリアスが争う部分も示しました。これはウイルスのカオスヘッダーや人間が関わった部分もありますが、自然に怪獣同士が争う可能性もあり、共通の敵を見つけるだけでは解決しないものもあるのです。主人公のムサシは「両方救わなければいけない。どっちが良いとか、悪いとかじゃないんだ」と言っています。
なお、宇宙から定期的に地球に来て出産するザランガの描写から、「地球と宇宙の生態系が繋がっている」可能性も考えられます。『ガイア』では考えにくい設定です。
『ウルトラマンネクサス』の「生物との避けられない対立」
しかし、怪獣の保護において、生物として利害が対立する、捕食の問題などを避けられません。
そこで『ウルトラマンネクサス』では、人間を捕食するスペースビーストとそれを操る闇の巨人のみを敵として、他の怪獣が登場しない独特の世界観で、徹底して戦います。
また、怪獣の善意を示すときに、身内の子供をかばう描写などもありますが、ビーストは細胞単位で増殖あるいは再生し、情報も伝達して攻撃するらしいため、子供どころか細胞すら生存を許されないと序盤から示されています。
ビーストは人間の恐怖も吸収していると終盤で判明し、前日談の2004年の実写映画『ULTRAMAN』では、「殺しを楽しんでいる」個体がいました。
『ウルトラマンマックス』の「環境を破壊される怪獣」
しかし、ビーストは環境を破壊するとしか言えない生命であり、それだけでは振り切り過ぎているとも言えます。
怪獣が環境破壊の被害を訴えるのも重要だとして、『ウルトラマンマックス』が作られたとも言えます。
また、この劇中で怪獣は環境の調節作用だともされますが、高温の怪獣のグランゴンに続けて低温の怪獣のラゴラスが現れて、怪獣もまた調節される可能性が指摘されました。ですがその両者の戦いは大規模な二次災害を人間にもたらし、「毒をもって毒を制する」とは言えないところがあります。
さらに、初期で宇宙人のケサムが、地上の人類が争いや破壊ばかりするから同じことだとして、地球を爆破しようとしましたが、ケサムの死後、終盤では地上人類のオゾン層破壊で苦しむ地底人のデロスが地上文明を攻撃しました。
『マックス』はメトロン星人の回など、各話の繋がりが曖昧ですが、仮にケサムとデロスの回の記憶が引き継がれているとします。
このとき、「そんなに私達に滅んでほしいのか」とヒロインのミズキが憤りました。それは、「地上人類の破壊を批判する存在がばらばらに現れては去っているが、デロスから見ればケサムも破壊者だし、ケサムから見ればデロスは地上の破壊をデロス自身に害が及ぶまで止めなかった傍観者だ。何故地上人だけ板挟みになるのだ」という怒りだったのかもしれません。
人間の文明を批判するときに、ウルトラシリーズは一話完結の要素が強いため、批判する存在同士の対立が露呈しにくく、物語に一貫性を持たせにくいのを振り返ったのかもしれません。
『ウルトラマンメビウス』の「環境を破壊する怪獣」
昭和ウルトラシリーズの続編『ウルトラマンメビウス』では、怪獣を言葉の通じない敵とみなすのがほとんどであり、その意味では冷酷とも言えます。しかし、地球怪獣のバードンのコピーが毒で環境を破壊すると人間が主張したり、ボガールが怪獣を捕食したり、100キロメートル単位の爆発を起こしかけたりと、怪獣が際限なく破壊や暴力をもたらす危険性を指摘しており、『マックス』に対するアンチテーゼとも言えます。
『大怪獣バトル』の「怪獣のところに侵入する人間」
『大怪獣バトル』シリーズでは、『メビウス』から目標になっていた地球人類による宇宙への進出が主軸となり、輸送部隊のZAPと共に、地球人の主人公のレイが怪獣を操ることで戦います。
しかし、『NEO』では宇宙で遭遇した宇宙怪獣ベムスターに、人類になりゆきで協力するペダン星人が強力な武装で、相手が逃げるのも構わず攻撃しました。
元々戦闘を目的としないZAPのハルナはそれを糾弾し、「相手は怪獣だ」という反論も受け入れませんでした。
これは、『メビウス』の延長線にある物語だからこそ、『メビウス』の常識を覆したとも言えます。
基本的に主人公達が地球で日常的に暮らしている『メビウス』までのウルトラシリーズと異なり、人間が本来の場所から離れて宇宙に来ている『大怪獣バトル』では、人間の方がベムスターに対する侵入者になっているのです(今作ではブルトンによる時空の乱れから、怪獣のいる場所が混乱しており、ベムスターもその場所への侵入者である可能性はありますが、先にいたのは確実です)。
地球怪獣と和解する余地のあるウルトラシリーズでも、『ガイア』などでは宇宙怪獣とそうするのが難しいところがありましたが、怪獣全体と和解しにくかった『メビウス』の続編でありながら、そこで目指した宇宙への進出を描いた『大怪獣バトル』では、「今は自分達の方が侵入者だから、相手が宇宙怪獣でも、逃げるならば手出ししない」という方針になっているとも言えます。
『ウルトラマンゼロ』の「生身の怪獣」
『大怪獣バトル』の劇場版『ウルトラ銀河伝説』から登場するウルトラマンゼロは、一見粗削りな戦いをしているように見えて、実のところ、生身の怪獣をほとんど殺していません。
『ウルトラ銀河伝説』、『ダークロプスゼロ』、『ベリアル銀河帝国』、『キラー・ザ・ビートスター』、『ウルトラマンサーガ』と『ウルトラゼロファイト』では、蘇った怪獣とロボットを除けば、バット星人とウルトラマンベリアル、ヒッポリト星人程度しか抹殺していません。全体の数に比べれば、少ないと言えます。
生身の怪獣とは、むしろ協力関係を持っています。これは『メビウス』では人工のマケット怪獣ぐらいとしか見られなかったものです。
『ウルトラマンギンガ』の「人間の負の感情」
これ以降は、世界観を一新しつつその境界をキャラクターが超えますが、召喚される怪獣が多く、抹殺したとは言い切れなくなります。
『ウルトラマンギンガ』では、地球を舞台にすることで、日常を重視した描写が増えています。さらに、『サーガ』で人間の負の感情が敵のエネルギー源になったという描写が短かったのに対して、『ギンガ』では人間関係から似た描写を掘り下げています。
また、敵や怪獣の能力を主人公のヒカルの側が使うことも増えました。
怪獣やウルトラマンの能力に、人間も対抗しやすくなっています。
『ウルトラマンギンガS』の「地球怪獣の仲間」
『ウルトラマンギンガS』では、『ギンガ』で防衛組織がなかったことや、怪獣をあくまで外部のアイテムだとみなしたことを振り返ったのか、防衛チーム「UPG」や、地球の命「ビクトリウム」と関わる自然の怪獣との協力関係を得ました。これは『ガイア』に似ています。
『ウルトラマンX』の「信頼や技術」
しかし『ギンガS』は、ウルトラマンビクトリーの能力やウルトラマンギンガのアイテムなどから、人間の見る範囲では、敵や味方が主人公達の怪獣を操る能力などで頻繁に外見が入れ替わったり融合したりしており、「怪獣が味方になったりウルトラマン同士が争ったりする」という前例の少ない現象に対応が足りないところがありました。
『ガイア』や『コスモス』や『メビウス』にあったそのような議論が『ギンガS』では足りず、ウルトラマンを疑った上官の神山をヒカル達が一方的に悪く扱うのが問題だと、私は考えています。
つまるところ、敵と味方の外見が入れ替わる状況では、ウルトラマンが敵になる可能性を人間には否定出来ないのです。
また、防衛組織の兵器が、ウルトラマンに近い能力やエネルギーを用いているのを悪く扱うのも、主人公達が同じ能力を使う問題点を軽視しているとも言えます。
『ウルトラマンX』では、『ギンガS』のこれらの点をほどいて解決に向けています。
今作のウルトラマンエックスは、まず怪獣から人間をかばい信頼関係を得た上で、人間の科学技術を仲介して怪獣の能力を受け取っており、信頼の問題を解決しました。
さらに怪獣の能力を主人公でさえ暴走させ、対象のゴモラの気持ちを「理解しているつもりで出来ていなかった」と判明したことで、怪獣の能力を使うことの難しさを直視しました。
また、ウルトラマンが怪獣の能力で暴走したのが、あくまで人間の渡した技術と宇宙人の策略を原因としており、ウルトラマン自身を危険視する展開にはなっていません。
ウルトラマンの能力を複製した人間達の技術であるウルトライザーを、こちらでは肯定しています。
人間の科学技術を、ウルトラマンの能力と共に前向きに捉えています。
『ウルトラマンオーブ』の「主人公の暴走」
『ウルトラマンオーブ』では、人間の科学技術はほとんど無力ですが、ウルトラマン自身の能力の暴走から始めることで、力の危険性を、あくまで使う側の目線で考慮しています。ウルトラマンの能力と、人間の科学技術を、共に否定的に捉えています。
『ウルトラマンジード』の「嫉妬する主人公」
また、『オーブ』では、主人公のガイはオーブとして、かつての仲間のジャグラーに嫉妬される側でした。
『ウルトラマンジード』では、闇のウルトラマンのウルトラマンベリアルの遺伝子を引き継ぐウルトラマンジード=朝倉リクが、ある意味でウルトラマンゼロに嫉妬しており、他の人物のモアやケイやベリアルの嫉妬も描かれており、嫉妬する側の目線を重視して、客演するジャグラーにも救いを与えました。
『ウルトラマンR/B』の「ヒーローになる目的」
しかし、元々劇中劇のヒーローに憧れるリクは、『ジード』テレビ本編の最後に「ウルトラマンとしてみんなのヒーローになった」とまとめられましたが、これへのアンチテーゼが『ウルトラマンR/B』にあります。
『R/B』で劇中最初に戦いを起こした愛染マコト=チェレーザは、自ら怪獣を呼び出して、ウルトラマンオーブダークに変身して倒す自作自演によって「ヒーロー」になりました。
しかし、「敵がいなければヒーローは必要ない」、「ヒーローになるために敵を生み出すのでは本末転倒だ」と言えばそれまでであり、リクへのアンチテーゼになっているところがあります。
リクはベリアルの遺伝子から生み出された偽ウルトラマンとも言える存在であり、偽ウルトラマンがヒーローになったことへの皮肉とも言えます。
『ウルトラマンタイガ』の「絆による暴走」
『R/B』では、本来人間として防衛組織に所属せず無力な人間が「家族の絆」でウルトラマンとして強くなりましたが、「絆」への批判が『ウルトラマンタイガ』にあります。
『タイガ』はタイガ、タイタス、フーマの3人のウルトラマンと、地球人のヒロユキの合体により戦いますが、敵であるウルトラマントレギアの罠である怪獣の能力を使い続け、タイガ個人の鬱積した感情により暴走しました。それを「君と僕との絆を思い出してくれ」とヒロユキは呼びかけました。
しかし、タイガの感情はともかく、怪獣の能力を暴走させたのは、絆で解決するとも言い切れません。使われていないキングゲスラはともかく、使われる怪獣には、ヒロユキが気遣いを見せていませんでした。
そのため、トレギアは「二言目には絆、絆、うるさいんだよ」と言い捨てました。
感情があるからこその暴走や、敵対した怪獣の能力を使うことは、「絆」では解決し切れないところがあります。
『ウルトラマンZ』の「人間の強さ」
『ウルトラマンZ』では、『R/B』や『タイガ』で戦力がなかった防衛組織が現れ、巨大ロボット「特空機」によりウルトラマンを援護したり、主人公のハルキが単独で敵を倒したりします。人間の無力な部分を解決したとも言えます。
『ウルトラマントリガー』の「怪獣同士の争いや能力を巡る議論」
けれども、『Z』では、『ギンガS』のように、敵と味方が外見で入れ替わることがあります。「トゲトゲ星人」(『オーブ』のジャグラー)や「作業服の男」(カブラギ)やトライキングが敵か味方か曖昧なときもあるにもかかわらず、対応が遅れています。それを高圧的に映る上司のユウキマイがジャグラーに関してハルキ達を批判したのは、宇宙人への差別や偏見とは言い切れません。
また、敵の能力を奪うことが、キングジョーやベリアルメダルやベリアロクに関してかなり強引になり、ハルキ達も横暴なところがあると言えます。
これらについて、『ウルトラマントリガー』は、宇宙人のイグニスや闇の巨人のダーゴン、トリガーダークなどの敵か味方か曖昧な存在への対応を、防衛組織GUTS-SELECTでも事情を深く知るトリガー=ケンゴやユナやアキトが独立して行い、なるべく角が立たないように立ち回っています。
また、『Z』ではユウキマイばかりがウルトラマンの能力を暴走させて憎まれ役のようになっていましたが、『トリガー』では、ケンゴがウルトラマントリガーに変身するのと同型のGUTS-SELECTのアイテムを応用して、ハルキがウルトラマンゼットに変身するときに、彼でさえ誤作動させています。
他にも、トリガーに変身するためのアイテムで敵の能力を使い、暴走させるリスクを、他の部署や上司の失敗ではなく、主人公側のものとして直視しています。
主人公といえどもウルトラマンの能力の暴走の危険性があるという、『X』や『オーブ』、『タイガ』のような公平さがあります。
怪獣に関しては、『Z』のハルキは気遣いを見せることも途中からあり、『トリガー』のケンゴは「笑顔」を重視するために、そうならない怪獣を軽視しているところがありました。
しかし、『Z』ではレッドキングとギガスなど、過去作から考えて、同時に現れれば争ってもおかしくない怪獣がハルキ達にばらばらに倒されたことで、怪獣同士の争いが指摘されませんでした。『トリガー』の方がむしろ、「怪獣同士が争うこともある」とバニラとアボラスに関して深く捉えた部分もあります。
このように、ウルトラシリーズは前作へのアンチテーゼを繰り返す自省がなされています。
『ドラゴンボール』原作及び『ドラゴンボールZ』の「人間を守る神々」
『ドラゴンボール』では、原作及びアニメ『ドラゴンボールZ』まで、神々に認められた孫悟空などの宇宙人や地球人が、地球や宇宙を守るために戦い、「地球の神」の生み出したドラゴンボールを活用します。
『ドラゴンボールGT』の「人間を守れない神々」
しかし、『ドラゴンボールGT』では、ドラゴンボールの乱用のリスクが指摘され、原作で孫悟空も敵を招いていることが問題視されていたためか、悟空とドラゴンボールが「どこか」へ去ることで終わりました。「神に頼らない」という選択肢です。
『ドラゴンボール超』の「人間を守らない神々」
また、『GT』とは異なる時系列で『Z』の途中を描くとみられる『ドラゴンボール超』では、それまでの神々と異なり人命を軽視する破壊神や全王などの神が悟空達を振り回します。一見理不尽ですが、神々に認められた存在があの世で特別扱いされることや、強くなり過ぎた戦士をいさめるなどの「必要な部分」が示唆されます。
『GT』と『超』は、それぞれ「神に甘えるな」を別の意味で主張していると言えます。
『るろうに剣心』と『北海道編』のナショナリズム
『るろうに剣心』は、明治において、政府の理不尽や見境のない犯罪者から弱者を守るために元維新志士の剣心が戦います。
しかし、明治の日本を描き、「欧米列強」という用語が使われるものの、中国人はともかく、直接的に西洋人がほとんど登場しませんでした。
それは、西洋人が日本に入れば強者にもマイノリティにもなる可能性があり、弱者か強者か曖昧な存在を元々描きにくかったためだと私は考えています。明治ではまだ通用しやすいでしょうが、執筆当時や現在では直接使いにくいのが「欧米列強」の概念だと言えます。
たとえば、権力者の中で私利私欲にとらわれなかったと扱われている大久保利通の目指した「国民国家(ネイションステイト)」は、国民の平等や自由を保つ利点はあっても、ネイションから始まるナショナリズムが外国人を排斥するリスクがあります。それに気付きにくく、国内の弱者を守ることに集中していたのが、『るろうに剣心』の盲点でした。
ナショナリズムは、国民の多様性を受け入れる余地はあっても、国民以外は代わりに疎外するリスクがあります。
『北海道編』では、西洋人と日本人の間に生まれた少年が登場し、彼が強者か弱者か微妙なところがあります。また、北海道の人間は「日本国民の平等」から微妙な扱いを受けた可能性もあります。原作に潜在していたナショナリズムに疑問を呈しているとも言えます。
『特筆版』でも、西洋から来た敵に、西洋で槍術の廃れるのに苦しんでいるという弱者か強者か曖昧な設定を付けられる予定があったそうです。
ただし、『リベラルとは何か』(中公新書)では、弱者扱いされることを屈辱だと捉える人間もいるという議論が政治学にありました。敵の剣士が自分を弱者だと認めにくい部分があれば、物語を複雑にさせたかもしれません。
『NARUTO』と『BORUTO』のパターナリズムや科学技術
『NARUTO』では、大名の依頼で戦う忍者が、大名の無力、無知なところを「馬鹿」だと評価して言いくるめるところがあります。
大名に老年男性の多い中、若者や女性も少なくない忍者が「善意による支配」を行う、パターナリズムを働かせるのは逆説的ではあります。
しかし、大名の血縁とは別に、忍者も戦闘能力や政治的権限や情報などの、物語に貢献する実力に繋がる血縁が重視されます。
それは現実のパターナリズムにも繋がるものです。「特殊な血縁を持つ人間が、善意で世界や社会を統括する」と言えます。
忍者の実力が血縁から生じるために避けにくいのですが、『BORUTO』では、独特のところがあります。
この作品では、科学忍具という機械を開発するカタスケが、忍者の強さの関係を覆そうとします。
彼のナルトやその息子のボルトへの反感は、血縁で決まるパターナリズムへの反対とも取れ、彼が負傷した動物を義足で救うなどは、むしろ生まれつきの差異を科学技術で埋める、血縁によるパターナリズムへの対策とも取れます。
また、大名も人質にされた息子を見捨てるか自発的に悩んだり、その息子が勇敢に立ち向かったりと、単なる「守られるべき馬鹿」とは扱われなくなっています。
しかし、その科学忍具が、むしろ生身より強い義手などで実力差を埋めるどころか覆してしまったり、大名が良くも悪くも強くなったりしてしまうリスクもあります。
『鋼の錬金術師』や『地球へ...』原作、『宇宙戦艦ヤマト2202』では、義手や義足によってむしろ強くなることもあり、あるいはわざわざ義手にしようとする人間さえいました。
『ターミネーター2』からの分岐
『ターミネーター』シリーズでは、『ターミネーター2』の「大事なものは女が生み出した。男が生み出したのは死と破壊だけ」という言葉への「そうとは限らない」という反論があります。
この言葉は、人類の作り出した機械「スカイネット」による未来の核戦争を知ったサラ・コナーが母親として、そのスカイネットに関わる男性のダイソンに話したものです。
その場で息子のジョンは「今そんなことを言っている場合じゃないだろう」と収めていますが、これへの反論がのちの作品であるのです。
『ターミネーター3』のサラの主張に当てはまらない敵
まず、『ターミネーター3』では女性型のターミネーター「T-X」が敵として現れました。
「ターミネーターの性別は外見だけだ」という反論も有り得ますが、『2』の味方の男性型の「101型」が父親らしくなったように、「その車、素敵」など、T-Xが女性らしさを模倣して人間に近付きつつ残忍に戦う可能性も残ります。
なお、『3』小説版によると、『2』の味方の101型はT-800で、『3』で同じ外見の味方はT-850だそうです。
この小説版でT-Xは「任務に必要な範囲でなければ自分の容姿には無関心」だと解説されていましたが、どこまで必要なのかは、推測と意見の領域として曖昧になります。また、「アメリカ特有の経済階級」で相手の行動を推測する部分もありました。それが人間の価値観に近付くかもしれません。
『3』でサラは命を落としているため、T-Xのような、「残忍な女性型ターミネーター」には遭遇しませんでした。
また、自己破壊出来ないというターミネーターのプログラムが『2』から明かされていますが、『3』では「人間は自滅出来るのか」という議論があります。
『ターミネーター4』の「人間と機械の境目」
『ターミネーター4』では、壊滅した未来(『3』の完全な続編かは分かりませんが)で、機械が人間の組織をまとうのではなく、人間そのものが機械に改造されるという事態になり、ジョンはそれを警戒するか迷いました。
また、これは微妙なところですが、『4』では機械に改造された人間が、人間を守るつもりで水中の小型ロボットを破壊し、「そいつはお前の仲間だ」というジョンの言葉を拒絶しました。
仮にこの小型ロボットが「自己破壊出来ない」ならば、機械軍全体にとって、死に物狂いで抵抗したのがどう扱われるかは悩ましいと言えます。万が一この「捨て駒にされた」と言える小型ロボットが人間に捕獲されれば、スカイネットから離反する新たな機械になったかもしれません。
『ターミネーター・ジェニシス』の「主人公の立場」
『ターミネーター・ジェニシス』では、別の世界観でのジョン自身が、ある意味で『4』で警戒した人間と似た立場になりました。
さらに、今作でのスカイネットの側の機械は「お前達はそればかりだ。理解出来ない者は殺す」、「人間は平和が大事だって言うけど、それは嘘だ」と、珍しく人間への攻撃の正当性を言葉で主張しました。
『ターミネーター・ニュー・フェイト』の「理解出来ない存在への恐怖」
しかし、『2』の続編であり、『3』から分岐した『ターミネーター・ニュー・フェイト』では、スカイネットにも理解出来ない存在が現れました。
また、機械による戦争を、家族を中心とした少人数の人間が比較的小規模な武器で防ぐのが『ターミネーター』シリーズの基本でしたが、『ニュー・フェイト』では、それを2つの善意で否定する存在がいます。
1つ目は、「人類が団結して機械に立ち向かうために、機械の強大な能力を志願者が身に付けるべきだ」という善意です。その機械の能力が悪用される危険性は、周りの協力が必要な弱点により抑えられている面もありますが、指導者への信頼で保たれる不安定なところがあります。
なお、その弱点や人類の団結を信じるのは、ウルトラマンにも似ています。
2つ目は、「機械に関係なく人類は争う確率が高いので、個人が備えてそれぞれ守りたい存在のために武装すべきだ」という善意です。それはテキサス、というよりアメリカの「自己責任」に近い概念であり、「そうして武装するから周りも対抗してリスクを増やす」という論理を軽視しています。
『3』で「人類は自らを守るための核兵器で身を滅ぼす」という指摘がありましたが、それに反論しているとも言えます。
また、『3』と異なり生存しているサラは、ある女性の正体を誤認しており、そこに「女性と戦い」の関係についての先入観がありました。そこには、先述した『2』での台詞に関連した、「女は産む人間であり、男は戦う人間」という推測が混ざっています。
『ニュー・フェイト』は、『ターミネーター』の基本的な展開に独特の疑問を呈しています。
また、『ジェニシス』ではタイムトラベルの事情を知った警察官や、敵に利用されるはずの管理システムで、年齢の異なる別人のDNAと指紋が一致した客観的事実に注目する警察官もおり、主人公達以外も無理解とは限らなくなっています。
『ニュー・フェイト』では、重症になった未来人を、事情があると多少察した周りが正式な手続きなしに助けたり、かつて『2』で周りをあまり信頼しなかったサラが、ターミネーターを倒すために武装を求めて協力者に頼ったりしています。
『ターミネーター』シリーズの、『ドラゴンボール』に近い「周りが無理解なままである」予定調和を『ジェニシス』や『ニュー・フェイト』では少しずつ崩しています。
今後の予想
ウルトラシリーズでの『トリガー』の次作は、主人公のケンゴの怪獣に無関心な部分への取り組みがなされるのではないか、と推測しています。また、劇場版『エピソードZ』では、ケンゴの守りたい「笑顔」について何らかの主張もあるようですし。
『ドラゴンボール超』は、劇場版『スーパーヒーロー』で、悟空とベジータとブウを悪人だとみなす地球人が現れる可能性が予告から推測されます。それを解決するとき、「地球の一般人は無理解なので、悟空達に指導されるべきだ」という概念を崩すかもしれません。
『ターミネーター』シリーズでは、『ニュー・フェイト』の序盤で、犯罪を行い逃げた存在が指紋の付いた可能性のある証拠を残しており、続編が作られれば、これが『ジェニシス』のように、周りが状況を理解するきっかけになるのではないか、と予測しています。
まとめ
ウルトラシリーズ、『ドラゴンボール』、『るろうに剣心』、『NARUTO』、『ターミネーター』シリーズは、それぞれで過去作の問題点を振り返り多様な視点を手にしているようです。
私はここで挙げたどのシリーズにも、完成形はないと考えています。それが変化の余地をもたらすのではないでしょうか。
参考にした物語
特撮テレビドラマ
村石宏實ほか(監督),長谷川圭一(脚本),1996 -1997,『ウルトラマンティガ』,TBS系列(放映局)
村石宏實ほか(監督),川上英幸ほか(脚本),1997 -1998(放映期間),『ウルトラマンダイナ』,TBS系列(放映局)
根本実樹ほか(監督),武上純希ほか(脚本),1998 -1999(放映期間),『ウルトラマンガイア』,TBS系列(放映局)
大西信介ほか(監督),根元実樹ほか(脚本) ,2001 -2002(放映期間),『ウルトラマンコスモス』,TBS系列(放映局)
小中和哉ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2004 -2005,『ウルトラマンネクサス』,TBS系列(放映局)
村上秀晃ほか(監督),金子次郎ほか(脚本),2005-2006,『ウルトラマンマックス』,TBS系列(放映局)
村石宏實ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2006 -2007 (放映期間),『ウルトラマンメビウス』,TBS系列(放映局)
菊池雄一ほか(監督),荒木憲一ほか(脚本),2007 -2008(放映期間),『大怪獣バトル』,BS11系列(放映局)
菊池雄一ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2008 -2009(放映期間),『大怪獣バトル Never Ending Odyssey』,BS11系列(放映局)
おかひでき(監督),小林雄次(脚本),『ウルトラゼロファイト 第1部 新たなる力』,テレビ東京系列(放映局)
アベユーイチ(監督),足木淳一郎(脚本),『ウルトラゼロファイト 第2部 輝きのゼロ』,テレビ東京系列(放映局)
アベユーイチほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2013 (放映期間),『ウルトラマンギンガ』,テレビ東京系列(放映局)
坂本浩一ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2014 (放映期間),『ウルトラマンギンガS』,テレビ東京系列(放映局)
田口清隆ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2015 (放映期間),『ウルトラマンエックス』,テレビ東京系列(放映局)
田口清隆ほか(監督),中野貴雄ほか(脚本) ,2016 (放映期間),『ウルトラマンオーブ』,テレビ東京系列(放映局)
坂本浩一ほか(監督),安達寛高ほか(脚本) ,2017,『ウルトラマンジード』,テレビ東京系列(放映局)
武居正能ほか(監督),中野貴雄ほか(脚本),2018,『ウルトラマンR/B』,テレビ東京系列(放映局)
市野龍一ほか(監督),林壮太郎ほか(脚本),2019,『ウルトラマンタイガ』,テレビ東京系列(放映局)
田口清隆ほか(監督),吹原幸太ほか(脚本),2020,『ウルトラマンZ』,テレビ東京系列(放映局)
坂本浩一ほか(監督),ハヤシナオキほか(脚本),2021-2022,『ウルトラマントリガー』,テレビ東京系列(放映局)
特撮映画
北浦嗣巳(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2003,『ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE』,松竹(配給)
小中和哉(監督),長谷川圭一(脚本),2004,『ULTRAMAN』,松竹(配給)
坂本浩一(監督),小林雄次ほか(脚本),2009(公開),『大怪獣バトル THE MOVIE ウルトラ銀河伝説』,ワーナー・ブラザース(配給)
アベユーイチ(監督・脚本),2010,『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦! ベリアル銀河帝国』,松竹(配給)
おかひでき(監督),長谷川圭一(脚本),2012,『ウルトラマンサーガ』,松竹(配給)
坂本浩一(監督),根元歳三(脚本),2018,『劇場版 ウルトラマンジード つなぐぜ!願い‼︎』,松竹メディア事業部(配給)
特撮オリジナルビデオ
おかひでき(監督),荒木憲一(脚本),2010(発売期間),『ウルトラマンゼロ外伝 ウルトラマンゼロvsダークロプスゼロ』,バンダイナムコアーツ(発売元)
アベユーイチ(監督),荒木憲一(脚本),2011(発売期間),『ウルトラマンゼロ外伝 キラー・ザ・ビートスター』,バンダイナムコアーツ(発売元)
漫画
鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
鳥山明(原作),とよたろう(作画),2016-(発行期間,未完),『ドラゴンボール超』,集英社(出版社)
岸本斉史,1999-2015,(発行期間),『NARUTO』,集英社(出版社)
岸本斉史(原作・監修),池本幹雄(漫画),小太刀右京(脚本),2016-(発行期間,未完),『BORUTO-ボルト- -NARUTO NEXT GENERATIONS-』,集英社(出版社)
和月伸宏,1994-1999(出版社),『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』,集英社(出版)
和月伸宏,2012-2013,『るろうに剣心 特筆版』,集英社(出版)
和月伸宏,2018-(発行期間,未完),『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-北海道編』,集英社(出版)
荒川弘(作),2002年-2010年(発行),『鋼の錬金術師』,スクウェア・エニックス(出版社)
竹宮惠子,2007,『地球へ...』,スクウェア・エニックス(小学館)
テレビアニメ
内山正幸ほか(作画監督),上田芳裕ほか(演出),井上敏樹ほか(脚本),西尾大介ほか(シリーズディレクター),1986-1989,『ドラゴンボール』,フジテレビ系列
清水賢治(フジテレビプロデューサー),松井亜弥ほか(脚本),西尾大介(シリーズディレクター),小山高生(シリーズ構成),鳥山明(原作),1989-1996,『ドラゴンボールZ』,フジテレビ系列(放映局)
金田耕司ほか(プロデューサー),葛西治(シリーズディレクター),宮原直樹ほか(総作画監督),松井亜弥ほか(脚本),鳥山明(原作),1996 -1997(放映期間),『ドラゴンボールGT』,フジテレビ系列(放映局)
大野勉ほか(作画監督),冨岡淳広ほか(脚本),畑野森生ほか(シリーズディレクター),鳥山明(原作),2015-2018,『ドラゴンボール超』,フジテレビ系列(放映局)
伊達勇登(監督),大和屋暁ほか(脚本),岸本斉史(原作),2002-2007(放映期間),『NARUTO 』,テレビ東京系列(放映局)
伊達勇登ほか(監督),吉田伸ほか(脚本),岸本斉史(原作),2007-2017(放映期間),『NARUTO 疾風伝』,テレビ東京系列(放映局)
羽原信義(監督),福井晴敏ほか(脚本),2017,『宇宙戦艦ヤマト2202』,テレビ東京系列
映画
ジェームズ・キャメロン(監督),ジェームズ・キャメロンほか(脚本),1984,『ターミネーター』,オライオン・ピクチャーズ(配給)
ジェームズ・キャメロン(監督),ジェームズ・キャメロンほか(脚本),1991,『ターミネーター2』,トライスター・ピクチャーズ(配給)
ジョナサン・モストゥ(監督),ジョン・ブランカートほか(脚本),2003,『ターミネーター3』,ワーナー・ブラーズ(配給)
マックG(監督),ジョン・ブランケットほか(脚本),2009,『ターミネーター4』,ソニー・ピクチャーズエンタテイメント(配給)
アラン・テイラー(監督),レータ・グロリディスほか(脚本),2015,『ターミネーター新起動/ジェニシス』,パラマウント映画(配給)
ティム・ミラー(監督),デヴィット・S・ゴイヤーほか(脚本),2019,『ターミネーター・ニュー・フェイト』,パラマウント・ピクチャーズ
小説
デヴィッド・ハグバーグ(著),富永和子(訳),2003,『ターミネーター3』,角川書店
クラーク,2007,『幼年期の終わり』,光文社古典新訳文庫
参考文献
切通理作,2000,『地球はウルトラマンの星』,ソニー・マガジンズ
田中拓道,2020,『リベラルとは何か』,中公新書
『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』予告part2
https://m.youtube.com/watch?v=kH5g9Zh-bkE
2022年3月9日閲覧
『ウルトラマントリガー エピソードZ』予告
https://m.youtube.com/watch?v=wKkpTIqeBAo
2022年3月9日閲覧