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自分だけにより、自分のためだけに戦う「ヒーロー」が悪役として活きる物語の流れと、「支え合い」で改める可能性


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注意

これらの重要な情報を明かします。特に、『二重螺旋の悪魔』にご注意ください。

漫画

『マギ』
『クレヨンしんちゃん』
『新クレヨンしんちゃん』
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボール超』
『銀魂』
『左ききのエレン』(少年ジャンププラス)

テレビアニメ

『マギ』
『銀魂』
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボールZ』
『ドラゴンボールGT』
『ドラゴンボール超』

アニメ映画

『劇場版 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル』

テレビドラマ

『ドクターX』
『サイコな2人』

特撮テレビドラマ

『ウルトラマンティガ』
『ウルトラマンジード』
『ウルトラマンR/B』

小説

『二重螺旋の悪魔』
『ソリトンの悪魔』
『心臓狩り』
『カムナビ』(梅原克文)
『迷走皇帝』

はじめに

 人間の人格を評価して批判するに当たり、「誰かの役に立っているか」、「苦しい中で耐えているか」の2軸を重視することがあります。
 理想は「苦しみに耐えて、なおかつ役に立つ」ことなのでしょうが、物語の悪役には、「耐えてはいるが誰の役にも立たない」人物がいます。そして皮肉なことに、主人公は「役に立ってはいるが、苦しみが少なくなるように恵まれている」こともあります。
 だからこそ対をなす物語が成立することもあるかもしれません。

2022年9月1日閲覧

 「人間はみな自分のxしか考えておらず、xは遺伝子、法律、貨幣、文化である」と私は記しましたが、法律や貨幣や遺伝子の繋がりが不安定になると、「自分のため」と扱われやすいかもしれません。その孤立は、「ヒーロー」と「悪役」を繋げるところがあります。

「わがままな王様」と「本物のヒーロー」を名乗る敵

 まず、『クレヨンしんちゃん』劇場版『嵐を呼ぶジャングル』では、「日本の架空のヒーローを演じる俳優」と「日本社会では有り得ないヒーローを気取る悪役」の戦いがあります。
 原作でもしんのすけが憧れるヒーローの「アクション仮面」の劇場版として、本作では何故かしんのすけと知り合いである主演俳優(変身する人物とスーツアクターの両方を兼ねているようです)の郷が、海外に客船で劇場版を鑑賞するイベントをしていたときのことです。
 突然猿の集団が現れ、大人を無人島に誘拐して子供だけ船に取り残されました。郷も拘束されました。
 その猿を率いる人間「パラダイスキング」は、あるとき「のんびり暮らしたい」からと無人島に移住し、凶暴な猿と過酷な戦いを行い、勝利して従わせて「王」になりました。
 しかし、猿の労働力に限界を感じて人間の奴隷を欲しがり、大人を誘拐し、子供を従わせるために「アクション仮面を超えるヒーロー」になろうとしていたのです。
 自ら「王様はわがままで、傲慢で、退屈している」と断定し、子供を威圧して大人を猿に従わせました。
 しかし、それに呆れているようなアクション仮面=郷がわずかに動揺したのは、「半端じゃない猿共との戦いに勝った俺こそがヒーローだ。子供相手のお前とはわけが違う」という言葉でした。そのとき無言で殴りかかったアクション仮面に「本当のことを言われて怒ったか?」と彼は笑っていますが、それは確かに、「片面は本当」です。
 パラダイスキングは、「自分1人の力」で確かに猿に勝っています。アクション仮面=郷は様々な武道を学んでいるそうですが、それはルールに守られていると指摘されており、なおかつ様々な教えを受けている分恵まれてもいます。その意味で、パラダイスキングは「アクション仮面より耐えて」はいます。
 しかし、彼は猿や人間を従わせるだけで、誰の役にも立っていません。ただ、猿が指導者を必要とする習性を持っていた可能性はあります。
 リンカーンの言葉を借りれば、パラダイスキングは「1人による1人のためだけのヒーロー」であり、アクション仮面は「大勢により支えられた、大勢のためのヒーロー」です。それぞれ辛いところと楽なところがあります。
 

「たった1人で頑張った」「悪そのもの」

 これに似ているのが、『ドラゴンボール』の魔人ブウです。
 善悪のはっきりしたことの多い『ドラゴンボール』で、魔人ブウは悪の魔導師に作られた生命体として、殺戮や破壊を楽しむだけの存在でした。
 しかし、あらかじめその「危険さ」を知っていた界王神などを信用する主人公の孫悟空達に攻撃されて、「お前なんか、嫌いだ」、「あいつ、良い子みたいで嫌いだもん」などのように戦っていましたが、自分に抵抗しない相手には気を許す傾向もありました。
 元々自分を生み出した魔導師達に従いながらも嫌がっており、魔導師を殺したあとも命令の殺戮は続け、気を許した1人であるミスター・サタンの怯えながらの「嫌な奴の言うことは聞かなくて良い」という説得にたやすく応じました。
 かつて人造人間17号達が、別に被害を出して自分達を操ろうとする生みの親のドクター・ゲロ以外を殺さずに、殺そうとするトランクス達に抵抗するだけで殺しはしなかったのを、「地球の神」とその「悪の分身」であるピッコロは倒すべきか議論しました。
 そして、その両者が同化した存在であるピッコロは、魔人ブウが突然殺戮も破壊も中断したのに、迷いました。
 しかし別の相手の乱入による分裂や暴走の末に、長い戦いにもつれ込みました。
 途中で、サタンをかばう善の心を持つ「ミスター・ブウ」と「純粋な悪そのもの」の魔人ブウに分裂し、前者の協力も経て、悟空が後者にとどめを刺しました。
 悟空はそのとき、後者に「お前はすごいよ。たった1人で、よくこんなに頑張った」と評価しています。正確には分裂したり他の技を真似たり他者を吸収したりと、悟空も「きたねえ」と憤る行いをしていますが、おそらく悟空が言いたかったのは、「お前は仲間に恵まれなかったから辛かったのに耐えていた」という意味です。
 魔人ブウの「純粋な悪そのもの」は、サタンとも対立し、味方はどこにもいませんでした。一方善の心に芽生えて分裂した方の魔人ブウは、サタンと助け合うところもありました。つまり、実力ではともかく、強さで補えない知恵などの辛さを、仲間に助けてもらっていたのです。
 その意味で、悟空に倒された方の魔人ブウは、確かに「純粋な悪そのもの」でありつつ、誰にも助けてもらえなかった孤独に耐えていたのを、悟空にはどこか立派に思えたのかもしれません。
 やはり、魔人ブウも「1人による1人のためだけのヒーロー」だったかもしれません。

「幼児性のあるリーダー」

 「わがままで傲慢で退屈している」王様のような存在は、『二重螺旋の悪魔』にもいます。
 ここで人間と対立する「悪魔」を陰で操っていた「黒幕」は、元々複数の「生命体」が同化した存在であり、それは争いを失くすためだったのですが、その副作用で平穏なものの「退屈」で寿命が来そうになり、その刺激のために生命を操る「ゲーム」を行っていました。
 その戦闘用形態や「自分の間違いを認めるのに慣れていない」や、一人称が名前と同じことも含めて、その「黒幕」は幼児性があります。
 「リーダーの立場の人間は時折幼児性がある」とこの主人公は話し、おそらくそれは自虐でもあり、この作者の梅原克文さんの別名義の『迷走皇帝』にもそれを連想させる主人公や悪役がいます。
 パラダイスキングも、ある意味でこの「黒幕」のような退屈でわがままで傲慢な「王様」なのかもしれません。
 『カムナビ』にも、恵まれない中で孤独かつ過酷な経歴をたどり、その果てに自分が持つ体質におごりたかぶる「女王」のような悪役がいます。また、『心臓狩り』にも近いところがあります。
 『ソリトンの悪魔』では、元々穏やかだった特殊な「生命体」が、人間の無知な介入で凶暴化して、仲間の「生命体」の説得も聞かずに暴走し、その感情に触れた主人公は周りを見境なく攻撃しようとする、暴走の連鎖が起きています。
 主人公と悪役が対をなす例だと言えます。

「替えのきかない有能」な「ラスボス」

 『左ききのエレン』少年ジャンププラス版では、広告などの芸術や会社員としての仕事で、「一番になれない」と認める主人公の朝倉と、トップになり得るかもしれないと認められる佐久間の対立が重要になります。
 朝倉は上司に「会社員に必要なのは、替えのきく無能を自分と同じレベルにまで引き上げられる替えのきく有能であり、替えのきかないお前は上司や先輩に向いていない」と言われています。
 一方佐久間は、誰よりも努力していると認められるカメラマンですが、そのために周りに負荷をかけるのをいとわないところがあり、自分を認めない人間が悪いと威圧するところもあります。
 ただし、「あんたら会社員は無駄な人数で頭を下げるだけで、そこで汗だくになっているテレビマンの何倍もらっているんだ」と、唯我独尊とも言い切れない周りへの評価はしています。
 私の判断する限り、佐久間は『ドクターX』の大門や『ウルトラマンティガ』のイルマのような、周りにない優秀さはあるけれども、それを分かりやすく伝える能力のない「替えのきかない有能」です。
 佐久間は、「俺がこの漫画(せかい)のラスボスなのかもな」とも言っています。
 「ラスボスと主人公だけが、物理法則を無視出来る」とも話しています。

悟空とベジータと佐久間

 佐久間は『少年ジャンプ』の漫画を引き合いに出すことがあり、それはそれで周りを不快にさせることもあるようです。幾つかの比較から、『ティガ』のイルマに近い人物を私は、『ドラゴンボール』のベジータだと判断します。
 ベジータは、周りにない判断の能力を持ちますが、それのない、気円斬の威力を理解出来ないナッパや心臓病を防げなかった悟空を「馬鹿め」と言うなど、自分にだけ分かることを周りに分かりやすく教えるのが難しい「替えのきかない有能」だったと言えます。
 隊長のイルマも、主人公の隊員が変身するウルトラマンティガに関わる能力を生まれつき持つらしいのですが、それを持たない人間に、自分が「勘」で分かることを「分かりませんか、この異様な空気」と言い放つなどの「替えのきかない有能」なところがあります。
 そして、悟空も、魔人ブウとの戦いで、それまでろくに一般人に自分達の事情を伝えて来なかったにもかかわらず、突然ベジータの提案で協力を頼み、「元気を分けてくれ」と頼んだものの、知り合い以外のほとんどから分けてもらえませんでした。
 しかし、ベジータがそう指示して信じてもらえないのを、原作では北の界王が「下手な頼み方」、『DBZ』ではピッコロが「無理もない」と話しています。
 ベジータも悟空も、周りに分からないことの分かる優秀さを持ちつつも、それを伝える能力が乏しい「替えのきかない有能」だったと言えます。
 そして佐久間も、過去のカメラ業界の偉人に「オラに元気を分けてくれ」と願掛けのような言葉を話していますが、その芸術家としての精神を周りに理解してもらえないところがあるのは、「仲間からしか元気を分けてもらえない」時点の悟空にとどまるところがあります。
 そのように、ヒーローとしての「周りに支えられることにより、周りのために尽くす」ことが出来ない、「自分だけで支え、自分の役にしか立たない」「ヒーロー」が、物語の「悪役」や「ラスボス」になるのかもしれません。

「ヒーロー」に生まれ変わった「ラスボス」

 ちなみに、魔人ブウは『ドラゴンボール超』では、分裂や回復などの便利な能力を、「休眠」という設定で物語の展開に応じて封じられているところもありますが、それと分岐した作品の『ドラゴンボールGT』では、自分に出来ることと出来ないことを重視した、優秀な支え合いをするところもあります。
 本来敵に使っていた吸収でサタンを守ったり、強過ぎる敵にはサタンの孫のパンを引き止めて撤退したり、自分の分身の生まれ変わりであるウーブを助けに行くときにサタンに別れを告げたり、サタンを「ヒーロー」にするためにわざと負けたりと、周りに役立ち、なおかつ出来ないことは周り、特に悟空やウーブに助けてもらう役割に徹しています。他にも活躍出来そうな場面はあったかもしれませんが。
 『DBGT』の魔人ブウこそ、ラスボスのあとに用意された、「ヒーローを見習う」姿勢の見本かもしれません。

「支え合えない主人公」

 『天国と地獄 サイコな2人』は、孤立する女性刑事が、自分の手柄のためか事件解決のためか曖昧になって空回りする捜査で奔走するところがありますが、それは「周りに支えられていない」ことと「周りの役に立たない」ことの両者が、彼女と周りの辛さをこじらせるためでもあります。
 『ウルトラマンジード』の朝倉リクも、自分を人間だと思い込んでいた、闇のウルトラマンベリアルの「息子」であり、自分の地球以外で暮らす手段のない、防衛チームにも入らない、自力で生活費を稼がなくてはならないなどの過酷なところがあります。そのため、ウルトラマンゼロに嫉妬するところもあります。
 『ウルトラマンR/B』では、一般人の兄弟2人が突然ウルトラマンの能力だけを授かり、自分の街を守るために戦い、どこにも逃げられず、なおかつ生活費も別に稼がなくてはならないために「自分達による自分達のためだけのヒーロー」になりかけるところがありました。

「孤独なヒーロー」を求める集団

 ただ、パラダイスキングに話題を戻しますと、猿に限らず、生物の群れは指導者を欲しがるところがあるようです。
 だからこそ、パラダイスキングを追放したあと、猿達が反撃するのも人間が追撃するのも止めようとしたしんのすけは、最後にパラダイスキングの髪型を真似て指導したのでしょう。
 カール・ポパーは『開かれた社会とその敵』で、人間社会は政治体制で、自発的に支配者を求めると記しています。『マギ』でも、私が知る限りファンタジーで珍しい共和制を敷こうとする、自分の王位そのものを廃止しようとする王子のアリババに、外国人が「結局は民衆も支配を求めています」と話しています。
 『二重螺旋の悪魔』の「黒幕」も、元々は人間のような社会を築いていたのが、「自分達の平和」のために同化して、「自分達」を「自分」に変えてしまったことで、孤独な「ヒーロー」から「ラスボス」になったとも言えます。それは、「彼ら」が単一の指導を欲していたのでしょう。
 『銀魂』で、ある体質により孤独なまま周りと対立し続けた虚が、魔人ブウのように穏やかな分身を生み出し、彼は子供を助けるつもりが「拾われたのか分からない」、「与えられたのは私の方だった」と話しています。
 「自分だけによる自分のためだけのヒーロー」の傲慢さとある種の忍耐を、少しでも周りのために変換する「何か」が必要なのかもしれません。

まとめ

 物語の「ラスボス」の特徴として、主人公が「周りの助けによる、周りの役に立つヒーロー」なのが、ラスボスは「周りに助けてもらえない、周りの役に立たないヒーロー」として対をなすのかもしれません。しかし、ミスター・ブウのように、ラスボスが「真のヒーロー」に改められる選択肢も皆無とは思えません。

参考にした物語

漫画

大高忍,2009-2017,『マギ』,小学館
臼井儀人,1992-2010(発行期間),『クレヨンしんちゃん』,双葉社(出版社)
臼井儀人&UYスタジオ,2012-(発行期間,未完),『新クレヨンしんちゃん』,双葉社(出版社)
鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
鳥山明(原作),とよたろう(作画),2016-(発行期間,未完),『ドラゴンボール超』,集英社(出版社)
空知英秋,2004-2019(発行期間),『銀魂』,集英社(出版社)
かっぴー(原作),nifuni(漫画),2017-(未完),『左ききのエレン』,集英社

テレビアニメ
大高忍(原作),舛成孝二(監督),吉野弘幸ほか(脚本),2012-2014,『マギ』,TBS系列
藤田陽一ほか(監督),下山健人ほか(脚本),空知英秋(原作),2006-2018(放映期間),『銀魂』,テレビ東京系列(放映局)
大野勉ほか(作画監督),冨岡淳広ほか(脚本),畑野森生ほか(シリーズディレクター),鳥山明(原作),2015-2018,『ドラゴンボール超』,フジテレビ系列(放映局)
清水賢治(フジテレビプロデューサー),松井亜弥ほか(脚本),西尾大介(シリーズディレクター),小山高生(シリーズ構成),鳥山明(原作),1989-1996,『ドラゴンボールZ』,フジテレビ系列(放映局)
金田耕司ほか(プロデューサー),葛西治(シリーズディレクター),宮原直樹ほか(総作画監督),松井亜弥ほか(脚本),鳥山明(原作),1996 -1997(放映期間),『ドラゴンボールGT』,フジテレビ系列(放映局)
内山正幸ほか(作画監督),上田芳裕ほか(演出),井上敏樹ほか(脚本),西尾大介ほか(シリーズディレクター),1986-1989,『ドラゴンボール』,フジテレビ系列

アニメ映画

臼井儀人(原作),原恵一(監督,脚本),2000,『劇場版 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル』,東宝

テレビドラマ

田村直己ほか(監督),中園ミホほか(脚本),2012,『ドクターX』,テレビ朝日系列
中島啓介(プロデュース),平川雄一朗ほか(演出),森下佳子(脚本),2021,『天国と地獄~サイコな2人~』,TBS系列

特撮テレビドラマ

村石宏實ほか(監督),長谷川圭一(脚本),1996 -1997,『ウルトラマンティガ』,TBS系列(放映局)
坂本浩一ほか(監督),安達寛高ほか(脚本) ,2017,『ウルトラマンジード』,テレビ東京系列(放映局)
武居正能ほか(監督),中野貴雄ほか(脚本),2018,『ウルトラマンR/B』,テレビ東京系列(放映局)

小説

梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(上)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(下)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 上』,朝日ソノラマ
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 下』,朝日ソノラマ
梅原克文,2010,『ソリトンの悪魔』,双葉文庫
梅原克文,1999,『カムナビ』,角川書店
梅原克哉,1990,『迷走皇帝』,エニックス文庫
梅原克文,2011,『心臓狩り』,角川ホラー文庫

参考文献

カール・R.ポパー(著),内田詔夫,小河原誠(訳),1980,『開かれた社会とその敵 第1部 プラトンの呪文』,未来社

 

 

  
 


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