無題13

壁の向こう側へ

「これは明らかにおかしい」

まずその違和感に気付いたのは、TVのチャンネル数の異常なまでの少なさからだった。

高校の卒業が近づいてくると、不思議なそわそわ感に包まれる。
すべての生徒が、『大学』『専門学校』『就職』という3択を迫られる。
サザエさんのじゃんけんくらい迷う3択だ。

『大学』を選択すると、華やかなキャンパスライフとともに、しばらくの選択猶予が与えられる。

が。

同じように、大学も後半になると『大学院』『就職』という2択がやってくる。
「どちらも選ばなかったら?」と聞くと、
肩に手を置き、「(カイジ)」とざわざわするほど小さな声で教えられる。

高校生なんていうのは、まだ、どんな職業があるかさえわからない子達がほとんどだ。
それまで、あまりに必然のように『貯金しなさい』という呪いのような暗示をかけられ、お金を使う機会の少なかった者たちにとって、お金が発生する仕組みや、価値の創出をイメージできるわけがない状態で社会という荒野に解き放たれることになる。

その中で、『就職』という選択を強いられるわけだ。
だから、『大学』を選択する者の中には『大学に行ってこれをしたい!』と強い目的を持っているものもいるが、本音を言うと、なんとなく、選択が数年伸びるからという理由で大学に行く者も少なくない。

「これは明らかにおかしい」

私がそう感じたのは、世界は無限に広がっているようにも感じるのに、選択肢があまりに少なく制限されていることだった。
それはNHKを除くと、5チャンネルしかないTVのキー局の数を見ると、明らかに不自然だし、そこになにかの繋がりを感じざるを得なかった。

もっと選択肢があるはずだ。

どれだけ広く壮大な景色が広がっていようとも、
視界が悪かったら見えない。
どれだけ満点の星空が拡がっていようとも、
目が悪かったら見えない。

それと同じように、どれだけ可能性や選ぶ道があったとしても、視界が狭かったり、視点が低いと見えない。

人生の大きな決断を迫られている高校生や大学生には、おそらく、自分の可能性は見えない。なぜなら、教えてる親や教師も見えていないからだ。

そんな若者たちの視界をクッキリとさせるために
やるべきことはたった一つだ。

『学生と社会は、もはや分断されていない』と自覚することだ。

インターネットという文化が生まれるまで、学生と社会は確実に分断されていた。しかし、もはや学生は社会に触れることが多く、社会を動かすのに、学生も参加していく。

それを可能にしたのがインターネットだ。

でも、そんな時代にもかかわらず、学生と社会が分断されていると感じ、高校を卒業する時や大学を卒業する時に、社会という荒野に放たれる気分になるのは、いままで教えてきた人が、そういう時代しか知らないからだ。

しかしもはや、学生と社会は分断されていない。

それを自覚しながら生きることだ。
学生でありながら活躍している人は、そういう思考を必ず持っているし、学生起業なんかをする人も同じく、そう言う思考を必ず持っているから。

インターネットの大きな功績の一つが、
壁を壊すこと、そして、壁の向こう側と繋ぐことだ。

地球の裏側であっても、まるですぐ近くにいるかのように話すことができる。
言語はまるっきりわからなくても、綺麗な写真を撮る海外の写真家と繋がることも出来る。
田舎に住んでいようと、海外のものを買うことができる。

インターネットは、
国境を越え、言語を越え、種族を越え、多くの壁を取り払った。

それと同じように、学生と社会の壁はない。
もちろん、主婦と社会の壁もない。

それを自覚しながら生きると、選択肢は一気に増えていく。

壁がなくなった時は、『社会』を学ぶのと同じくらい。いや、それ以上に『時代』を学ぶことが大切になってくる。
若者たちにとっては得意分野なんじゃないだろうか?

「社会に変わってほしい」と願うよりも
「社会が何とかしてくれる」と願うよりも
壁なんかないと自覚し、時代を学んだ方が何倍も可能性も選択肢も増えていく。

だってそうだろ?

勝手に壁を作り、時代を学ばない大人が
「社会に変わってほしい」「社会が何とかしてくれる」と本気で思ってたりするじゃないか。

そうなるよりも、壁を取っ払い、時代を学ぼう。

不自然なほどに、狭められた選択肢に疑問を持とう。

そして、どの道を選ぶかを追い求めるよりも
選んだ道を正解にしていこう。

— めしょん —

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