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矛盾の狭間を軽やかに生きるためには『生命科学的思考』

死ぬという使命を負う、唯一無二の私たち

私たちが生まれて死ぬという行為は、生物学的に遺伝子的な連続性を確保するため。

私たちの非効率な感情は、死ぬか生きるかこの2つの感情に似てる。この真反対の2つの出来事しか見えていないと、喜びが悲しみの2つの感情しか生まれない。
しかし、視野をもっと広げてみてみよう。私たちが生きて死ぬのは、これまで引き継がれ、これからも続く種の繁栄の途中の出来事なのだ。時間的視野を取り込むことで物の見方や感じ方が大きく変わる。

人は一人ひとり、異なる遺伝配列を持つため、誰もが少数派です。そこには特性こそあれど、人の尊厳としての優劣はなく、皆素晴らしいのである。私たちは生まれてから死ぬまでずっと多様性なのだ。

生命の原理に抗い、自由に生きるための意識

私たちはプログラムされた遺伝情報に従い命を全うする。しかし、意思あるものだけがそれに抗うことができる。私たちが未来を描きそれに向かって行動を起こす意思こそが、生命には向かう行為となる。

命は有限。その中でどのように時間の感覚を認知するか、私たちは選ぶことができる。私たちは、自分の変化と対象となる変化の比較により時間を意識する。
ガリレオは時間の概念がなかった時、4つの時間概念を示した。

①自転などの自然変化②社会環境の変化③行動変化④誕生や成長や老いなどの生命変化

スマホで時間を潰す2時間と、美しい風景を見て過ごす2時間では、どちらのあっという間が充実しているかは言わずもがな。
自分が時間に対してどれだけ変化しているかで時間の概念を捉えると、
『まだ若いのに』
『いい歳して』
『石の上にも三年』
こんな言葉はナンセンス。さらにテクノロジーが発達し、時空を越えることができる現代、変化すら感じにくくなっている。

私たちがたくさん学び、知恵をつけ、社会的なものの見方を身につける。しかし、それはあくまでも人が作り出したもので、時と共に朽ちてしまい、一生私たちを助けてくれるとは限らない。
私たちが人生を抗うエネルギーは、パッションであり主観なのだ。

私たちは、一度きりの人生をどう生きる

私たちは覚悟を決めて生きる必要がある。決めて生きるのと、決めずに生きるのとでは集中力が違う。
もし決める覚悟が持てない場合は、思い切ってカオスに身を置く覚悟をもち、決められるその日を待つこともできる。安心していい、どうせ人は努力せずにはいられない生き物なのだ。

予測不能な未来に生き抜くための経営

人のゲノム配列は、0.1%の違いがある。つまりほとんど同じなのだ。同じ意思を持つメンバーを集め、0.1%特性や能力を活かして組織を運営することができれば、これからの予測不能な未来を柔軟に生きられる。
また、生命を生きる年数だけで見ていると生きるか死ぬかに怯えて判断が鈍る。しかし、長い営みの中の一つと捉えることで、短期・中期・長期の組み合わせた戦略を取ることができる。

生命としての人類を生きる

テクノロジーを全体像としてどうあるべきなのか定めた上でシステム全体の一部として考えることが大切。
これからゲノムの編集ができる未来も来るかもしれないが、編集をしたことによる弊害も起きるし、解決もある。
その矛盾の狭間で私たちが生きていることを理解することで、モノの見方は感情と理をうまく行き来できる。

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