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自分が欠落している#自分を満たす

何処までも満たされない気持ち

人生を満足いくものにしたくって、目の前のことに、どんな時でも一生懸命に頑張ってきました。苦手なことにも頑張って取り組んできました。思うような結果は出ていないにしても、それなりに成果も得てきたつもりでした。将来、楽がしたいわけでもありませんが、それなりにお金を稼ぎたいという願望もありました。

しかし、ふと思うことがあります。

どうして、僕はこんなにも頑張っているのだろうって。そこまで頑張る必要は本当にあるのだろうか?このまま、頑張っていっても、僕は人生を満足することができるのだろうかと不安になってしまったのです。

時々、どうしようもなく無気力になってしまうことがありました。上手く表現できませんが、切なくなってしまうのです。こんなことしたって、なんになるの?急に馬鹿らしく思ってしまうのです。

いったい僕は、どうすれば満たされるのだろう?この問題を解決しない限り、どこまでも自分を満たせないことは、前を向いて生きるエネルギーを、大きく損失してしまうものになってしまいます。

自分が欠落しているから

それなりに生活基準を上げたいし、不自由ない生活を送りたいという考えは持ってはいるのですが。いったい僕のどこに無気力になってしまう原因があるのでしょうか?

その当時の自分を俯瞰してみることが出来て、少し見えてきたことがあります。それは、僕の価値観に対しての目線に、自分が欠落していたからでした。

僕の言う、生活基準を上げたいという、生活の基準は、何を持っての基準なのか。不自由ない生活とは、何をもって、不自由といっているのか。それは、他人と比べることでしか、自分をはかることができないからです。

つまり、自分の価値を「何がしたい」というものではなく、「何をすべき」という、他人の価値観に頼りしぎてしまっているからです。

分かりやすく例えると、音楽の道に進みたいのに、一流企業に勤める方が良いからといって、一流企業に勤めてしまった。その会社で、どんなに頑張っても、どこか満たされないのは、本来自分のやりたかった音楽の道に進まなかったからというものです。

こうして、文字を通して、冷静に目にすると分かりやすいですが、実際は、自分のこころのモヤモヤやイライラといった、感情から読み取らなくてはいけないから、難しいものです。

生きる喜びについて考えてみる

幸せを感じるのは、自分自身なのですから、自分の基準で自分の人生をはかるものです。それを、他人の基準ではかろうとするから、いつまでも満たされない負のスパイラルに陥ってしまいます。

自分はこれが幸せだっていうことが、分からないものだから、目の前にある快楽に飛びついてしまう。だから、過去の僕のように、目の前のことをただただ、懸命に頑張ってしまう。それが、自分の幸せに結びついているかさえ分からなくなってしまっていたのです。それは、とても辛いことです。だって、自分はどんなに頑張っても、報われることはないと、思い込んでしまうのですから。

だから、自分の願望をどう探して、どう捉えていくがが大事になってきます。幸せは主観的であるはずです。

そのことを踏まえた上で、生きる喜びを考えたときに、自分自身が幸せであることを目指すことが、とても重要になってくるのです。

自分自信が幸せなこととは、自分だけが喜ぶことをして、自分だけが好きなことをして、感じられるでしょうか。それはないと思います。自分も、目の前にいる大切な人も喜ぶこと。それが、広がり周りの人が喜びになる。そして、その喜びが社会に繋がっていくことこそ、自分幸せだと言えないでしょうか。

僕が過去に選んできたことは、これはビジネスになりそう。これはお金になりそう。この仕事はやりがいを感じそうで選んできました。そうした観点から、自分のやってみたいに繋げていたのです。それらの選択は、どれも自分の喜びが欠落していたのでした。

そして、純粋に自分がしたいことは何かを考えてみた時に、自分の想いや学びを文章にして届けたいだったのです。正直、今の僕の仕事を考えたら、それは、なんの意味もなさないものです。

簡単に言えば、施設で食事を作る仕事なのですから、僕がどんなに文章を書こうと、会社自体は何の得にもならないからです。でも、これは、僕自身が好きで幸せを感じるものだと純粋に思えたからなんです。

だから、これでいいんです。周りがどんなに無意味だと言われようとも、時間の無駄だと言われようとも、僕の喜びがここにあって、それが、たくさんの人の喜びになると、僕が信じられているのですから。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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