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数字は何のためにある

何かを目指す上で

この世界は数字で溢れています。子供の頃から、通信簿の評価は、僕は5段階評価でしたし、テストも点数で順位も張り出されていました。自分を表現するときも、年齢や年収。更には、実績もフォロワー数といったことも、自分のことを全く知らない人達に対して、自己アピールする時は、数字を用意るものです。

更にいうと、何かを目指す時も、数字を利用します。○○で1位を取る。売り上げをいくら目指す。体重を○○まで落とす。こういった風に数字にすることが多いのものです。

自分にとって、数字にすることで、目標や目的を分かりやすいものにし、明確に目標を定めることが出来るからです。

これらのことを考えてみると、数字にすることで、自分にとっても、他人にとっても、何かを伝えるという点において、優しさになり得るものだと思えたのでした。

数字に囚われてしまう

数字を上手に使うことで、自分の目標も明確になり、未来もイメージしやすくなるのですが、いつの間にか、自分をおとしめるものになってしまうこともあります。諸刃の剣のような、危うさを持っているのです。

僕は、一度SNSを全て辞めていた時期がありました。それは、TwitterやFacebookが、どんどん普及し始めていた頃でした。僕が勤めていた飲食店でも、SNS戦略として、各店舗と各個人が、フォロワー数を集め、そこに広告や自身やお店のアピールをして、集客を目指すというものでした。会社の事務室には、社員やお店の名前が書きだされ、どれだけ、フォロワー数を伸ばせたのか、そこからどれだけ集客したのか、数値化したものが、張り出されていました。そこで、最下位の成績をだすと、やる気がないものだとみなされてしまったり、そもそも、人間的価値がないとまで言われたものでした。

会社としては、社員のやる気に繋げるものだったのかもしれませんが、そのやり方と言葉の選び方が雑なもので、社員の中を悪くさせるものに繋がってしまったのです。常に比較されているという、プレッシャーは、時に人に誤った判断をさせるものです。

僕自身も、自分を良く見せる為に、たくさん嘘をつきました。きらびやかな料理をアップしてアピールするも、実際に頼めば、何の感動もない料理ばかりを提供していました。満席をアピールし、購買意欲を掻き立てるも、実際にお店はガラガラでした。

こうしたことは、どんどん、自分を嫌いにさせるものでした。しかし、数字によって他人と比較に囚われていたことで、それを止めることが出きませんでした。

自己嫌悪を何度も繰り返すようになって、しまいには、これっぽちも自分に価値を感じることが出来なくなってしまいました。それに、周りをみれば、自分を超えるフォロワー数はごまんといるのです。ですので、どんどん自分を貶めることは容易に出来るものだったのです。

SNSは、こういった比較社会において、代表的に言われていますが、この世界を見渡せば、数字による比較はあちらこちらに溢れているし、自分を見つめ直せば、数字に囚われていることが、容易に理解できてしまうのです。

数字は何のために

では、僕らはこのあやうさを持つ数字の世界の中で、どのように数字と接していけばいいのでしょう。

そもそも、数字は何の為にあるものなのか。それは、自分に対しても、他人に対しても分かりやすく明確にするためにあります。つまり、他人目線の為にあるものなのです。

良い商品や良い発信をもっとみんなに知って欲しい。自分という人間を知ってもらいたい。こういうことが出来るのだから、あなたの役にたてるのではないか。そういった、伝えるという他人目線を考えた時に数字が必要なものになるのです。

自分の優越感や自分を満足させるものでは、決してないということなのです。自分を満たすのは、僕は数値化できない部分にこそあるのではないかと思います。

陰ながら努力していることや、愛情を持てている部分。決して、他人の目には見えないものかもしれないけど、何よりも強く自分の心に残るものだからです。

それに、そこを自分の中であたためることができれば、自然に数字もついてくるものだと思えます。

数字を意識することと自分を満たすことは、違うものなんだ。そう、自分の中できちんと理解し分けられることが出来れば、数字に囚われることは、随分減らすことが出来て、人生を歩みやすくなるのではないかと考えています。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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