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僕には自己肯定感は必要ない

自己肯定感という言葉

最初にお伝えしたいのですが、決して自己肯定感が大事だということを否定するものではありません。自己肯定感が高いほうが、確かに人生は上手くいくものであるし、どんな自分も愛せるのです。そのほうが素晴らしい人生になるのは間違いありません。僕自身も、自己肯定感を高めるために、様々な本を読んだり、ちょっと高額なセミナーにも参加したことがあります。それくらい大事なことだと考えてきました。

自己肯定感とは、調べた通りの言葉を並べると、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉です。でも、これってとても分かりにくいと感じていました。それって、どいう意味なのか、いまいち掴めないでいる僕がいました。

僕自身はこんな風に捉えています。自分の良い部分も悪い部分も含めた全ての部分を認めることが出来て、肯定的に捉えることができる。自分にたっぷりと愛情を注げる感覚になれること。これが正しいものかどうかは分かりませんが、こう解釈したことで、ようやく腑に落ちたのでした。

自己肯定感がなさ過ぎて

しかしながら、素晴らしいと思うワークをしてみても、どんなに努力しても、自分のダメな部分を肯定することが出来ませんでした。ワークをすればするほど苦しくなっていくのでした。

どんなに肯定的な言葉を並べても、どんなに自分を受け入れようとしても、どうしても出来なかったのです。苦手なことを必死になって克服しようと、あたふたしている感覚。泳げないのに海の中で、ひとりで泳ぐ練習をしているようなもので、俯瞰してみると、ただバタバタと溺れているようにしか見えませんでした。

意識の中には、自分で意識できる部分と、無意識の部分があると言われています。詳しくは、いずれお話しさせていただくとして、自分の意識できる部分を顕在意識、無意識の部分を潜在意識と言われているそうです。この割合は、顕在意識の部分が3~5%に対して、潜在意識の部分が95%だと言われているのです。ですので、僕が必死にしていたのは、この3~5%の部分の潜在意識を変えようと努力していたので、根本的に変えることは出来なかったのです。

子供の頃から、大人たちに否定されてきたと感じてきた僕にとって、この無意識の部分である潜在意識を変えることは、なかなかできるものではありませんでした。

この自己肯定感という言葉に囚われて、なかなか上がらないことに焦りや、自分に対しての不満や不安が大きくなり、その結果、自分を肯定するが出来ずに、自分をさらにダメな人間として、判断してしまったのです。


不安は誰もがもっている

僕は、どうしたら自己肯定感を高くすることが出来るのか、分からずに悩み苦しんでいました。

そんな中で、スポーツ選手がいつも堂々として、例え何か失敗負したとしても、また次の挑戦の時には、自信たっぷりと堂々とプレイされているように見えました。はたから見て、どの方も、自己肯定感が凄く高いように感じていました。しかし、その時のインタビューをみたり、聞いたりすると、不安でいっぱいだった、怖くて前の日は眠れなかったと答えてあったのです。

どんな有能な成功者の本を読んでも、不安に打ちひしがれながら、もがいてあると書かれています。つまり、どんなに自己肯定感を高く保てていても、誰もが、何か行動を起こすときには、自信が揺らぎ不安になるものです。不安を誰もが抱えながら生きているのです。

僕自身も、車の免許を手にして、長い年月が経って、それなりに自信を持って運転していますが、事故のニュースを見ると、不安になってしまいます。

つまり、自己肯定感をどんなに高めたとしても、自信をどんなに積み上げたとしても、不安はつきものなのです。自己肯定感は上がり下がりもするし、自信は、積み上げたものだから、すぐに揺らいでしまうものなのです。

ではどうしたら?

しかし、車の運転においても、不安になることが出来たために、自分を律することが出来たのです。もし、僕が、自己肯定感が誰よりも高かったとしたら、ブレーキを踏まずに運転しているはずです。不安があるからこそ、恐れを抱き、注意を払うことが出来ているのです。自己肯定感が低いことは、決して、ダメだと決めつけるのは、良くないことだということも、理解しておく必要があると思います。

そしてスポーツ選手は、不安の中で、どうしてあんなに堂々とされているのかというと、自分で決めた目標をしっかりと持っていて、それを達成する為に、誰も想像できないくらい、自分と向き合ったり、必死に練習をしているからなのです。

成功者が不安になりながらも、前に進めているのは、誰も想像できなくらい、自分と向き合い、様々な知見をえるために、必死になって学んでいるからです。

自己肯定感を高めることが、どうしても出来ないのなら、もう、そこで終わりではありません。高くないないなら、低いなりに、出来ることは山ほどあったのです。

目的を自分で明確に立てて、決意を固めて、覚悟を決めて、自分と、これでもかっていうくらいとことん向き合い、知恵を身に付け、不安に支配されないくらい、行動すればいいのです。

自己肯定感という言葉が生まれたのは、人類の歴史において、ほんの30年前くらいのことです。その言葉が誕生し、高い人と低い人がカテゴライズされた為に、僕らは、自己肯定感という言葉に、執着をして囚われてしまっているのかもしれません。

だって、それまでは、豊かなくらしや豊かな国を目指し、必死に開発や開拓をしたり、研究を深め知見を広げたり、どこまでも、人間という存在を理解しようと向き合ってきたものなのですから。それが、知恵となり、教えとなって、現代にまで伝わっているものです。

それによって豊かになった分、目指す方向も様々になりました。それは、それで素晴らしいことだし、現代の私たちも必死であることは間違いありません。だからこそ、ご両親でも、祖父母でも、上司や先生でも、この日本を作り上げた方々の言葉や本でもいいので、感謝し心を学ぶことも、僕には必要だと思えました。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー



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