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しっかり準備すればそれでいい

結果を意識し過ぎた僕の過去

結果や相手の反応を気にし過ぎてしまい、僕はたちまちネガティブな気持ちに陥ってしまったことがありました。自分に過度のプレッシャーをかけ過ぎてしまったのは間違いありません。

飲食店に勤めていた時に、ある企画を自分で立ち上げたことがありました。これまで料理しかしてこなかった僕が、人生で初めて経営に関わり、自ら企画を考えたものでした。それは、コース料理の終わりのデザートをブッフェにするというありふれたものではありましたが、僕には大きな挑戦でもありました。

これまで赤字が続いたお店の中で、会社の偉い人のプレッシャーは想像を絶するものがありました。失敗したら、どう責任をとってくれるのか。この企画に命を懸けているのか。そんな企画はひとりでやれ。ダメだったら、これまでの赤字を請求してやる。酷いものでした。

更に、売り上げが悪いからと人件費を削られ、料理の仕込みをひとりでしていた僕が、ひとつのコースを仕込みをするだけでも、時間と手間のかかる作業で、精一杯。そこに、デザート用のケーキを何種類も用意することは至難の業にも言えたからです。

しかしこれは、僕が自分で言い出した企画でした。「やっぱり、無理でした。」も言いたくはないし、諦めたくはありませんでした。それにどうしても見返したい。

僕は必死になって、企画に対して準備しました。仕込みはいつも明け方までかかりました。自分の殻を破って、友人や同級生に頭を下げて呼びかけました。慣れないSNSでも毎日何度もアピールしました。自分の中でやれることはやったと思えたのでした。

しかし、そこから僕を恐怖がおそったのでした。あと、数日でイベントが控えた時でした。僕は全ての手が止まってしまったのです。これが失敗したら、どうしよう。これまでだって、あまり上手くいった試しがないのに、今回も同じなんだ。こんな僕だから、上手くいくはずがない。

不安に押しつぶされてしまった僕は、耐えるに耐えれなくなってしまった僕は、心が怯え切ってしまい生きている実感さえ湧きませんでした。そんな弱さを必死になって、止めようとした僕は、過食に走ってしまったのでした。食べても食べても、自分を満たすことができません。これ以上食べられなくなって、嘔吐したときに僕は、自分が生きている実感ができたのでした。何度も何度も食べては吐いて食べては吐いてを繰り返しました。

そして結果は、さんざんでした。当日予定していたデザートの半分も用意できませんでした。当然、来店されたお客様は満足して頂けるはずありません。むしろ、この企画を目当てに来たお客様はいませんでした。


人生に必ず訪れるここぞという時に

誰にでも、人生には乗り越えないといけないことはあるものです。プレッシャーをはねのけて、やってのけないといけない時を経験する。

ここは外せない。そんな時でも、やるだけのことを懸命にやればそれでいいんです。それでいいんです。ことわざにもあるように「人事を尽くしたら天命を待つ」とあります。何度でも言います。それでいいんです。

結果は、僕らに出来る範囲を超えているのですから。人生には結果よりも、自分がやり切ったと思えることの方が重要で大切です。また、挑戦することが出来る勇気をくれるのですから。

結果ばかりにこだわってばかりいると、僕のようにプレッシャーに押しつぶされてしまうかもしれません。良くない結果になれば、そこで心が折れてしまいます。更に、そこで良い結果を残せたとしても、そこで満足してしまうのです。

どうしても結果や評価は得たいものです。周囲の評価は結果でしか判断されないものだから。そこを手放すとすると、何処から割り切ることが出来るのでしょうか。そこは、やはり自分が出来ることと出来ないことを分けていくことが必要でないかと思うのです。

自分の出来ることが全部できたら、あとは、どんなに考えても無意味なものです。そこまで自分を高めていくことが出来たのですから。自分が自分を認めることが出来るのですから。

この感情を割り切って分けていくと、自分に失敗してもいいという許可を出することだって出来るのです。失敗した自分を許すことが出来ます。今、ここに集中することが出来ます。何より少しだけ生きやすくなります。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー


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