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あなたの挑戦が僕の勇気になる

認識の違いについて

「あなたの挑戦が、僕の勇気になる。」そんな事を口にすれば、この人は、大げさなことをいっているだとか、何だか調子のいい事ばかりを言う人だ。そんな風に否定的に感じる人はきっと多いのではないかと思います。

しかし、誰かの頑張りが、自分の勇気になることだってありえるのです。例えば、この前行われたサッカーワールドカップ。日本代表の姿に多くの人は勇気をもらえたはずです。言うなれば、日頃は、サッカーの話をいっさいしない、人たちでさえ、凄いとか感動したとか、勇気がもらえたとか言って、話題にしていたくらいです。

どうしてそんなことが起こるのかというと、僕らは自分自身の中で境界線を引き、世界を分断してしまっているからなんです。それは「僕ら」と「あの人たち」という境界線。

「僕ら」の世界の中で起こる出来事は、良いことも悪いことも自分事のように思えたり、強い共感を感じたりするから、意識を共にすることが出来る。それがたちまち、境界線の外にでると、違う世界の出来事になってしまうので、興味もなくなり、他人事のようになってしまうのです。

ですので、ワールドカップの時は、多くの人は応援しながらこう思えたはずです、「我ら日本、頑張って!」と。みんながみんな、自分の境界線の中の世界の出来事として感じたからなのです。

この世界の分断はいつだって起きてしまうものです。

世界の分断が起きてしまうのは

「僕ら」と「あの人たち」を分ける境界線は、あちらこちらに存在しているものです。なにもしなければ、その溝はどんどん広がっていくものであると思えます。

例えば、僕は学生の時に、英語がどうしても苦手でした。いつしか、英語が苦手だから、勉強をやめてしまったのです。そうすると、勉強しないと決めたときから、日本の中のことが「僕ら」になり、英語圏の人たちは、「あの人たち」になってしまう。そうすると、英語圏の人たちの文化や価値観はたちまち、僕の中では、蚊帳の外になってしまうのです。異国のこと。だから、海外の悲しいニュースを見ても、悲惨なニュースを見ても、正直にいうと、そこまで何も感じないのです。

しかし、僕にとって、過去に職場のすぐ裏にある山が崩れたことがありました。その時、凄く恐怖に感じたのです。しばらくは、雨がふると不安になりました。だから、お正月に起きた山形県鶴岡市の大規模な土砂崩れのニュースを見た時は、心が苦しくなり、そのニュースの行方を見守りました。もし、あの時に僕に出来ることがみつかれば、何か行動したのかもしれないというくらいまで。

僕は、過去に重度のうつ病を患ってしまいました。だから、その苦しみが痛いほど分っているつもり。当事者だったのですから。だからこそ、うつ病で苦しんでいる人や精神的に弱っている人。そんな人達のツイートや発信をみると、手を止めて見入ってしまうのです。僕にとって、共感しかなく、そこで苦しんでいる人達の世界は、僕の中では自分ごとでしかありません。

また、僕は飲食店を長い間、経験していた。飲食店のこともおおむね把握はしていたので、コロナの時には、とても自分ごととして捉えていました。もし、僕があのまま飲食店で働いていたのなら、立ち直ることができないと感じました。それからは、できるだけ近所の飲食店を利用するようになりました。お店の外で、スタッフが懸命にお弁当を販売していたときには、買うようにしていました。少しでも、何か支えになれたらという思いでいました。

そうかと思えば、芸能人のスキャンダルを見れば、たちまち、偏見の目でみてしまうのです。それは、僕にとって、知らない世界だからです。政治の世界も同じ。医者の世界も同じ。つまり、僕自身が知り得ていない世界に関しては、僕にとって「あの人たち」になってしまっているのです。それぞれの業界で、知り合いがひとりでもいて、僕が少しでも携わっていたのなら、きっと、自分ごととして捉え、その知識と学びが深まるにつれて、自然と主語が「僕たち」になるものだということなのです。

つまり、世界の分断の境は、学んでいるかどうかだということ。

こうして考えると、僕らの世界はとても狭いものです。日常で経験し学んだことだけが、自分の世界で起きていることになってしまっているのです。その中で、勝手に境界線を引き、勝手に他人事にしてしまっている。たとえ、それが自分にとっては、重要で大切なことでも、学んでいなければ他人事として、扱ってしまっているということなのです。

だからこそ、僕らはたくさんのことを経験し学び続けることが大切なのです。この広い世界において、無関心こそ、豊かな人生を阻むものになるからです。

僕にとっての夢とは

今の僕は、自分の過去と向き合いながら、ようやく自分のやりたいことを見つけて、自分で踏み出すことが出来ました。

いつか、自分の本を出版し、多くの人のバイブルのなるという夢に向かって、紆余曲折を経て、迷いに迷いながら、ようやく一歩を踏み出すことができたのです。これまでの人生で、大きな挫折をしてしまったことで、こんなにも勇気が出なかったのかと思うくらい、夢を持つことや夢を追いかけることが出来なくなっていましたから。

まだ、心の傷は完全には癒えておらず、危うさを抱えながら、頑張って前を向けているのです。

だからこそ、僕が目にしたり触れることのできる、誰かの挑戦する姿を見ることは、僕にとって心を動かされるのものなのです。凄く、刺激を受けて希望になり、励みになり、勇気が貰えるのです。

僕の中出来てしまっている心の線引き。そこをようやく変えることが出来たから、あなたの挑戦は、間違いなく僕の勇気になるのです。

それは、僕にとって、挑戦する世界が、僕の意識の中の世界に含むことができた証。それが、またひとつ人生を豊かに感じるものであり、凄く嬉しく感じるのです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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