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思考に惑わされない

思考というものは

そもそも思考というものは、過去の経験やこれまで耳にしたり目にしたりして得た知識をもとにして、あれやこれやと考えを巡らせるものだということです。

ですので、決して、思考は自分の気持ちに寄り添うものではないということ。必ずしも思考と感情は一致するものではないのです。

意識の部分から簡単に言えば、思考は意識的な部分で考えているのに対して、感情は無意識の部分からのメッセージであるのです。

自分らしく生きたいとか、日々気分良く行動したいというのなら、この思考と感情を一致させないといけないというものなのです。

それは、どうしてなのかというと、思考だけに頼ってしまうと、必ずと言っていいほど、後悔に繋がってしまうからなのです。

かつての僕も思考に惑わされてしまい後悔を繰り返してきたました。

思考ばかりに頼ってきた後悔

子供の頃からもそうでした。厳格な母に、僕は週に5日も習い事をさせられていたんです。僕は友達と遊びたかったんです。ですが、習い事を辞めたいと言えば、母に何と言われるだろかとか、物凄くがっかりさせてしまうのではないかと考えて、言い出せずにいました。それが全てだといえませんが、なかなか友達も出来ずに、休み時間など一人で過ごすことが多かったんです。それを、ずっと悔やんでいました。それまで、明るく活発だった子供だったのが、そのせいで、引っ込み思案な性格に変わってしまったのでした。

それは、大人になってからも引きずってしまったのでした。

自分の気持ちをよりも、こうした方が良いと考えることを優先しました。

人の顔色を伺っては、正解を考えて発言していました。

みんなと同じ意見になるように考えては、ひとりになるのを避けていました。

自分の心は、いつも、どこかで何かに引っかかっているようでした。時々、魚の骨がのどに刺さってしまった時のように痛みを感じるのです。自分は何者でもないような気がして、自分に価値を感じられなかったから。

あまりに僕は、自分の感情を押さえ過ぎてしまったんです。

思考を巡らせ過ぎたのです。誰かの正解に合わせる為に。

自分の感情がどうでもよくなっていました。その場さえどうにかなってくれたのなら、それでいいと考えていました。

気が付いた時には手遅れだったのです。転職した先が、どれだけ、過重労働を押し付けてきても、どれだけ理不尽な言いつけをしてきても、どれだけ僕という人間を否定してきて、罵声を浴びせてこようとも、何も言えませんでした。

僕は、その場をしのぐために、全てを受け入れていたのでした。

そして、終いには、自分の命をも投げ出してしまったのです。運よく生きてはいますが、僕の中には、この上ない後悔と決して消えることのない大きくて深い傷を残してしまったのでした。

思考に惑わされない

思考というものは、学んでみると、変化を嫌うし、孤独を恐れています。そして、過去の経験をもとに考えるものなのです。人の記憶というものは、曖昧でもあり、ネガティブなことをいつまでも憶えています。その記憶がベースとなって考えを巡らせているのです。それらは、自分の気持ちと相反するものになってしまうのです。

僕は、経験して分かったのです。

決して、自分の思考に惑わされてはいけないと。

何よりも、自分の気持ちを大事にしてあげようと。

自分の気持ちをちゃんと受け止めてあげようって。

以前として、迷いがあります。感情を優先することは、とても勇気がいることだからです。ひとりになるのって思いの外、怖いですよね。直感に従うって思いの外、不安ですよね。

でも、自分の心に従うことが、どれだけ、幸せなことなのか。どれだけ、後悔が残らないものなのか。どれだけ、心が豊かになれるのか。そうした経験を少しでも増やしてあげることで、思考も意識的に変えていけるのではないかと信じています。

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