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「はい。」という素直な心

素直って難しい

子供の頃は素直でいい子だと、あんなに言われていたのに、大人になった今では、素直であることが、思う他難しく感じます。

なかなか素直になれないでいると、屁理屈をこねて素直ってなんだって疑問に思い考えます。

何も分っていなかった頃は、素直であることは、何でも「はい。」ということであるとだと思っていました。しかし、そのことで、自分自身を追い込んでしまったことがあります。自分には無理なことも嫌なことも、自分自身の為だといって「はい!」と、何でもかんでも引き受けていましたし、話を全て受け取っていました。しかし、それが行き過ぎてしまったのか、自分をたくさん傷つけてしまっていたといううこと。今更ながら気が付きました。

素直とは

素直であることは検索したってわかりません。具体的に捉えることはできないからです。ありのままで飾り気のない様、穏やかでひねくれのない様。癖のない様。そういう風に記してありますが、素直さがどういうものなのかは理解することは出来ません。

これらも、僕らが複雑に考えてい過ぎなのかもしれません。答えは意外にシンプルで、良いことをして悪いことをしない。心を清らかに穏やかに保つこと。その為の「素直でありなさい」という教えではないかと思うのです。

人それぞれに正しさも違うために、良いことも悪いことも違うのかもしれません。しかし、それも、人としての道徳心の部分の在り方ということであり、嘘をつかない、命を大事にするもの。自分も周りの人間もを傷つけない。そういうことだと捉えられるのです。

これらのことを考えてた時に、僕の過去の出来事を思い出します。自分の正義や正しさ、それだけではなく、自身のプライドや保身のために、たくさん嘘をつきましたし、たくさん周りも自分も傷つけてしまいました。最悪な事態も起こしてしまいました。家族を裏切ってしまい、自ら命を絶とうとしてしまったこと。これほどの家族に対しての裏切りはないと言われたほどです。辛かったのなら、ちゃんと話して欲しかったと。

このことを思い出した時に、素直さでないということは、ひとつ後悔に繋がること。だとするのなら、素直になるということは後悔しない生き方をするということではないかと思えたのです。

今の在り方を見直す

今の僕自身にも、言いたいことがあります。この素直さをちゃんと理解した上で意識していきているのか。それを確認しながら日々過ごしているのかです。

だって、僕という人間は意識しないとすぐに「でも」や「だって」と、言い訳して、物事を受け止めようとせずに逃げてしまうからです。心の奥では分って言います。自分の良くない部分を指摘されたり、確かに納得するようなことに「はい。」と言えないことは良くないということを。それがいけないことだと頭では理解していても逃げてしまう。自分の気持ちからも逃げて、逃げ続けた結果を、あれだけ後悔して悔いたはずなのに。僕は、怖がりで臆病な人間なのです。

だから、意識し続けないといけないのです。

素直であること

素直さと言うのはまさに心の在り方です。人として、自分の力を精一杯、努力して発揮することが出来て、社会との調和をしていくという生き方をしていくために、もっもと重要であることが、素直であることです。

過去の偉人と言われている方々も、その人の伝記や物語を読んだりすれば、必ずと言っていいほど、度が付くくらい素直なのです。僕とは、違うのは素直であることをちゃんと理解しているのです。自分の成長や大切な人をまもることには、貪欲に素直であるということ。僕もそれを意識していこうと思います。

素直であることは、小さな子供でも分かるものだけど、歳を重ねている大人が難しく感じるのは、ついつい出てきてしまうものだからです。中途半端な知識や経験に、負けたくないきもちとかプライドだとか見栄だとか維持だとか。こうごちゃごちゃしたものが心の中で、うごめいてしまいます。それを払拭してくれるのが、「はい。」という素直な心であるのだと感じています。

しかしながら、それがどんなに分かっていても、素直になれないものです。本当の意味での素直であるということを理解するためには、自らが証明していく必要があります。心から素直であることを選択できるように、素直であることうを忘れずに意識して、実践し続けなければ、ならないのではないでしょうか。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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