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否定の壁を乗り越えよう

社会も自分も否定の壁だらけ

僕のなかには沢山の否定の壁があるのだと思います。自分自身に「君はダメなやつだから、あれもダメとか、これもダメだ。」とか、言ってしまうからです。

愚痴になってしまうのですが、この壁が、どうにも高くてなかなか飛び越えられないのです。そもそも、どうしてここまで、否定の壁が高くなってしまったのか。

それは、社会の中にも沢山の否定の壁が存在しているからです。

自分の気持ちが、社会からはみ出してしまうことがありました。でも、そんな時に、否定されることを恐れるあまりに、僕は、いい人を演じていました。その結果、どんどん他人や社会に否定される前に、自分自身で否定の壁を作り、否定の事故を未然に防いでいるのでした。

しかし、これは自分自身をどんどん蝕んでいくのでした。何かしたいという勇気をくじき、自分の好きという気持ちを分からなくさせる。はじめは、モヤモヤして気持ちだったけど、気づかないうちにフラストレーションが爆発してしまう。

自分を慰めることができればいいのだけど、自分との信頼関係は、とっくに壊れていて、自分でどんな言葉を送ったところで、自分には届かないものなんです。

だから、自分の言葉よりも、他人の当たり障りのない言葉に反応してしまうのです。よく言われている例を挙げるのなら、大学は言った方が良い。仕事に人生を書けるのは当然だ。友だちはたくさんいた方がいい。そんな風なことを、自分に言い聞かせて、息苦しいものにしてしまったのでした。

だから、段々と僕は、自分が嫌な人間になっていくのが、分かったのでした。

でも、それって、あまりにも悲しいものです。

自分でも気が付かない間に、何もかも決められてしまった人生になってしまっているから。否定の壁によって、自分が選んでいるようで、何もかも選ばされているのですから。

否定の壁を乗り越える

だからといって、社会や世間を批判したって、意味はありません。だって、それは、自分でコントロールすることが出来るものではありませんから。誰かを傷つけて、自分を傷つけて、終わってしまう可能性も高いものです。

でも、しっかりと考えてみたんです。

社会や世間の否定の壁の前で良い顔をしようとしていたのは誰だったのか。

自分の心に蓋をしたのは誰なのか。

自分の中で、否定の壁を大きくしたのは、誰だったのか。

自分の気持ちに素直になれなくて、うじうじしているのは誰なのか。

そう、僕自身だったのです。僕は自分自身が見えていなかったのです。自分の感情。自分の言葉。自分の行い。これらと、向き合い変える必要があるのでした。

だから、自分のことに集中したのです。自分が何を意識して、何を感じたのか、どいういう思考をして、どう行動していたのか。じっくりと観察をして何度も何度も見つめ直しました。そうすることで、自分に意識を向けることが出来たのでした。

更に、否定の壁を越えていくためには、自分と自分の信頼関係を築いていく必要があると感じました。自分と人との壁を、取り除いていくには、相手の話をたくさん聞いて相手の気持ちに共感し寄り添うことだと考えています。何でも話せる相手こそ、心を開いていくものですから。

だから、自分と自分自身との関係も同じだと考えたのです。ですので、自分の気持をいっぱい聞いてあげたのでした。何を感じ何を思っているのか。その気持ちのに、共感し寄り添うだけでも、自分の中の否定の壁を取り除くことが出来るのではないかと。

自分自身が誰よりも、いや世界一の理解者であると断言出来たとき、否定的な言葉で暗示することは無くなっているはずなのです。

むしろ、本当にやりたいことが、見つかったときに、「大丈夫!やってみなよ!」「やるんだったら、世界を目指さなくちゃ!」そうやって、背中を押すことだってできるはずです。

ちなみに、誰かが後押ししてくれるこは、非常に勇気をもらえるものであると思います。僕自身、振り返ってみると、たくさんの人の後押しをもらっていたのでした。

だから、あんなにも大きかった自分の中の否定の壁を、今では乗り越えられたんだなと、今さらながら気づきました。

だから、自然と感謝の気持ちでいっぱいになれたのでした。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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