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ひとつの思考で十分なんだ

いつも、あれこれ考えてしまう

僕には、いつも白黒決めつけてしまう気がします。感情的になってしまうことも、よくあることです。ついこの前もお話しさせていただいたのですが、完璧主義が未だに残っているのです。思考の癖を修正することが、なかなか出来ないのです。

これに、追い打ちをかけるように、僕はこれでもかっていうくらいネガティブ思考であり、この原因をどんなに追求したところで、心の根に、はりめぐらされた、このネガティブな思考を取り除くことは、どうにもこうにも出来ませんでした。

これではいけないと、僕はありとあらゆる思考を身に付けたいと奮闘しました。そこで、たくさんの思考法を学んだのでした。ですが、僕の人生の中で、それらを活かすことは出来ませんでした。なぜなら、思考法を得ようとすることが、いつの間にか目的となってしまって、僕自身がどいうなりたいのかが、見えなくなってしまったからでした。

どういうことなのかというと、思考法は方法論であり、いくら、その方法をふらしたところで、自分を変えるという目的を達成することは出来ないものだということです。

僕も昔から、そうだったのですが、学生の時にノートを綺麗にとることばかり、あれこれと努力していました。しかし、成績はよくありませんでした。綺麗なノートだから、成績が良いということではありません。綺麗なノートを書くことばかりに囚われてしまい、本来の成績を上げるという目的の勉強を疎かにしてしまっていたのです。これと、よく似た現象だと思います。

確かに、思考力というものは、得られるとたくさんのアイデアや様々な視点を持つことにはつながります。しかし、その思考を得ることと自分が変わることとは、別の話なのです。その思考法を使って実践しない限り、経験として身にかないものなのですから。

僕は、ただ、頭でっかちになるばかりでした。どんなに新しい思考を学んでも、一向に自分を変えられないことに落胆するばかりだし、そんな自分も嫌いになってしまうばかりでした。

思考は波紋のように広がっていく

こんな僕だけでも、これでいいや。自分を受け入れることができるようになってきたのです。僕の中に根付いているこのネガティブな思考を否定しなくなっただけで、自分自身を変えることができたのです。

思考は、一度そのことを考えてしまったら、ただただ、波紋のようにどんどん広がっていくものだと思っていました。一度、嫌な予感がしたら、どんどん嫌な出来事が起きるようなきがしていたし、どんどんネガティブな思考に陥ってしまうものだという風に、捉えていたからでした。

一度、浮かんだ思考は、広がりきるまで止められない。

それが、ぼくにとっての思考の歪みといえるものだったのです。

思考は、どんなものでも途中で変えられたのです。ネガティブな思考が浮かんだのなら、それをポジディブな思考に変えるだけで、世界の見え方を根底から変えることだってできるのだということです。

ただ、これまでの僕のように、思考は変えられないと信じていては、どうにもこうにも、この世界観変えられません。ポジディブな思考に変えたいのなら、それを信じてみる。そこが重要なのです。

そうはいっても、僕には、変えられないネガティブな思考があります。でも、ネガティブな思考ががあるからこそ、このネガティブな思考の怖さを知っています。恐れることが出来るのです。だからこそ、ポジディブ思考の素晴らしさを何よりも理解しているし、ポジディブに対して、人一倍執着することができるのです。だから、ポジディブな思考にしがみつき、信じることができるのです。

自分の思考なら、自分でコントロールすることが出来るのです。どんな風に捉えることも出来るし、どんな風に変えることができるのです。

僕はネガティブな思考を変えることなく、ポジディブになることができています。欲しい結果があるのなら、僕の中にあるこのネガティブな思考をひとつでもいい。そのうちの思考をひとつでもポジディブに変えることが出来るのなら、結果を変えることが出来ると、僕は信じています。

生きていると、色んな経験から、様々な思い込みをしてしまっているものです。その思い込みは、人生を歩みずらくさせているものです。だからといって、その思い込みを否定し、変えることはする必要はありません。

その思い込みを理解して受け入れることが大切なのです。受け入れることが出来るのからこそ、変えられるのですから。

思考はひとつでいい。思考は変えられるということ。これを理解して、信念として持てていれば十分なのです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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