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夢は持つべきですか?

夢が見つからない

夢を持つことは、とても素晴らしいことです。夢があることで人生を彩りよくとても豊かにしてくれるものです。夢を持つことが、大事なことであるのは、いくつであっても分かっていたことでした。

子供の頃から、大人たちはそれを伝えようとしていたんだと思います。本当によく聞いてきました。「君の夢は何?」って。そのときに、誰もが言いそうなことを適当でもいいから答えると、大人達は喜んだものです。まだ、未来があっていいねと羨ましがられることもありました。

ただ、正直なことを言えば、僕は小さい頃から夢だなんて持ってはいませんでした。一度だけ、親戚のおじさんに夢は何かと聞かれたときに、正直にないと答えたことがありました。そうすると、「お前は大丈夫なのか?つまらん奴だな。何でもいいから夢を持ちなさい。」と、叱られたこともありました。夢を持たないことは、つまらない人間にしてしまう。どうしようもない人間になってしまうと危機感を、そうした経験をいくつも重ねることによって募らせていったのかもしれません。

夢を持つことが、どこか当たり前であるとされるのです。それは、夢が見つけることが出来ない人にとっては、まるで、罪でもおかしてしまったかのように責められた気持ちを感じてしまうのです。そして、何よりも人よりも遅れていると感じてしまうし、劣っているとも感じてしまうものです。それは、人生に恐怖と後悔をもたらしてしまうものでした。

僕の母親は、どうやら子供に対して、こうあって欲しいという理想を強くもっていたみたいでした。ひたすら公務員になるように勧めてきましたから。ですが、当時の僕はそれは魅力的ではありませんでした。

強く記憶に残っていることがあります。子供の時に、ウルトラマンや仮面ライダーが好きで憧れていたことがありました。ヒーローになりたいと母に行ったことがありました。ですが、そんな冗談は必要ないとあっさりと切り捨てられたんです。他にも、天文学者や水族館の飼育員、画家などいろいろ言ってみました。全部ダメだったんです。どうしてなりたいのか理由も聞かずに、無理だと言われました。なんだかとても悲しい気持ちになりました。そんな僕の気持ちをよそに、母は、ちゃんとした大人(たぶん公務員になること)になる為には勉強が必要だと言っては、僕を無理やり塾に行かされるようにもなりました。夢がないなら公務員になりなさいと言われ続けていまいした。

だから、周りの友達が、将来なりたいものがあるというと、とても羨ましいと感じていました。僕もちゃんと夢を持たなければいけない。いつしかそう思い込むようになりました。

ようやく見つかった、無理やり見つけた夢

高校生になった時に、父親の経営する会社が倒産してからは、一気に状況が変わりました。大学に行かせるお金がないということで、母は公務員になれとは言わなくなりました。その時に、僕はどんな夢を持つことが正解なのかを必死に考えていました。

そうして、最善の夢を考え付いたのです。料理の世界に進んで立派になることでした。これなら、高校を卒業してすぐに働けるし、現実的だし、母も納得してもらえるんじゃないかと思ったのです。

そう提案すると、あなたがなりたいのなら仕方がないと、ようやく許してもらえたのです。今思うと、その判断基準がどんなものなのか全く持って理解することは出来ません。ただ、おばあちゃんが、高校を出ていきなり働くのは、あまりに可哀そうといって、専門学校に行かせてくれました。それには感謝な気持ちでいっぱいです。

確かに、その先の自分のことを振り返ってみても、夢を持ったことで、大きく自分を変えられたものだと思います。踏ん張る力も立ち向かう力も得られたように思います。自分の可能性も感じさせてくれたました。

大人になって、働くというものは想像以上に苦しいものでしたから。

結局、僕はどこかで引け目を感じていたんです。夢を無理やり作ってしまった自分と本気で目指している人との差が、あまりにも大きかったからです。どこか、そんな自分には無理だと思っていたに違いありません。くじけてしまいましたから。

僕自身、夢がないことに苦しみ、夢に翻弄されてしまったのです。

夢がないからダメだとか、夢があるのは当然。夢がないと幸せになれない。

こうした言葉は、ときにはガツンと心に突き刺さってしまう場合があります。でも、いつだって自分の気持ちを大事にした方が良いのではないかと思います。

夢って、いったい何なのでしょうか?

確かに夢を持つことは素晴らしいものであるのかもしれません。ですが、そのことを人生の宿題のように感じてはいけないものだと思います。明日までに必ず考えてくるようにと、言うものではないはずです。僕のように人に気を使い決めるものでもないし、無理やり決めるものでもありません。

僕は夢を失ってしまったことがあります。

その時の僕は、未来なんて考える余裕もありませんでした。その日が良ければいいとさえ思っていました。でも、逆にそれが心をとても楽にすることができました。夢がなくても、人生が終わらなかったんです。

夢がなくても笑うことが出来るのです。
夢がなくても感謝することが出来るのです。
夢がなくても、幸せは感じることが出来るのです。

夢がなくても、今日という一日を全うしようとおもえたんです。

それに、夢には大きい小さいはありません。

大好きな焼き鳥をたべたいと思うのも、立派な夢なんです。
欲しいものを買いたいと思うのも立派な夢なんです。
あれが出来るようになりたいと思うのも立派な夢なんです。

人が見れば、それは目標と言われるかもしれません。ですが、夢の設定に基準なんてものは存在しないのです。

あの人を笑顔にしたいと思うことも、確かな夢なのです。

そういう風に捉えてみれば、人生がもっと面白くなるものかもしれません。

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