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50代、たどり着いた最強の言霊、「ありがとう」


悪い言葉で悪い人生になったから、

良い言葉で良い人生にしたいと強く思った話



皆さん、おはようございます。

今日は、「50代、たどり着いた最強の言霊「ありがとう」」というテーマで綴ってみたいと思います。


私は一応、表向きは一般的なサラリーマンの家庭で育ちました。

幼い頃、高度成長期の真っ只中、
父の会社もどんどんと潤っていきました。


そう言えば、私が中学生の頃のある日、
母が、父の賞与が120万円ほどあったと言っていたのを覚えています。

そして親は、毎年賞与が入ると、
友人、親戚を呼んでどんちゃん騒ぎをしていました。

そしてその一日でかなり金銭を消費していたのではないかと思われます。


しかし、私はそんな親をいつも冷めた目で見ていました。
というか、怒りさえ覚えていました。


「良くお金がないのにこんな派手な事ができるな」と。

その理由は母親が、
次のような言葉をいつも言っていたからです。


母親がいつも言っていた、ネガティブパワーワード


幼い頃、私の母親がいつも言っていた言葉を上げてみます。


「家は世界一の貧乏だ」
「あー金が無い」
「お前は苦労しろ」
「出ていけ」
「クソじじい(父親に対して)」
「死ね」
「お前のせいで私は苦労した」
「(父親の実家に対して)あいつらはカスだ」


ネガティブな言葉は最も身近な周囲の人を傷つける


家の母は常に口を開けば、
「金が無い」と言って暗い顔をしていました。

しかし、母は精神的に不安定なタイプでしたので、今思えば仕方なかったのかもしれません。

しかし、そんな我が家でも、
奇跡的に時代のお陰で経済が回っていて、父も頑張ってくれていて、なんとか生活ができていました。


どうしても子供のためにこの生き地獄から抜け出したいと思った


そして、
そんなネガティブパワーワードのシャワーを浴びながら育った私に、その後起こった人生の出来事をざっと上げてみます。


貧困
育児ノイローゼ
不眠
離婚
不定愁訴
適応障害

はい、本当に恐ろしいですね。
今思うと良く生きてこられたな、と思うばかりです。



子供ができた私に、母が言った言葉



20歳になった私はある日、妊娠した事に気づきます。


さすがに親に報告しないといけなくなりました。

ところが私は幼少期から母が嫌いで、
常に拒絶し、避けていました。

小学校以来、
話したことはほとんどなく、
宿題も、持ち物も、全て自己完結でした。

そしてそんな私に母も、
話かけてくるという事はほとんどありませんでした。

ところが、「妊娠」という特別な状況になり、
パニックになった私は、

孤独と不安に苛まれ、
何日も悩んだ末、
とうとう母に報告することにしました。

ところが、
それまで母とコミュニケーションを取った事がほとんどなかったため、
それを伝える事がとても怖くなりました。

それでも、勇気とほんの少しの期待を持って話してみたのです。


動物の出産と同じ?



すると母は私にこう言いました。

「犬や猫の子だと思うなよ」

私は最初、その言葉の意味を理解できませんでした。

(なんか私は犬や猫のレベルなのかなあ??
目の前にいるこの人は??一体誰なんだろう??


自分の心が宙に舞っていくような、
どこか遠くに行ってしまったような感覚になっていったのを覚えています。


そしてこの「犬や猫の子だと思うなよ」
これは一見、
物凄く醜い表現のように思いますよね。

ところが、後々知ったのですが、
それは実は「堕ろさないで、産みなよ(尊い命を大事にしなよ)」というポジティブな意味だったのです


しかし、おめでたい事に対して、
よくもまあ、わざわざネガティブに聞こえる言い回しに変換できるなと思い、

それってただ「おめでとう」と言ってくれれば良かっただけじゃないの?と、

その衝撃に私は空いた口が塞がらなかったのを覚えています。


そして、どうしてこの人に話をしてしまったんだろう・・・。

これからどうすれば良いのだろう・・・。

私は茫然自失となってしまいました。

そしてそんな母を絶対に頼りたくない私はますますマタニティブルーになっていきました。


布オムツ強制で産後うつに?


そしてそんなパニックの中、
なんとか出産をした私でしたが、


初めての事だらけで、
自分の子供というよりは、
「壊れそうで小さすぎる生き物を触る」というような感覚で、不安と恐怖でますますパニックになってしまいました。

また、毎日続く夜泣きで眠れず、
次第に倦怠感に襲われていき、

思うように体が動かなくなっていきました。

ところが、そんな私の様子を見た母は、
私にこう言ったのです。

「甘えるな。出産は病気じゃない」

そして、この期に及んで、
「昔はもっと大変だった自慢」が始まりました。

そして紙おむつを「そんなもんアカン」と全否定し、
「布おむつを使え」と、命令して来たのです。


ちなみに、布おむつって、
当てるのがなかなか難しく、
すぐに横モレしたり、後ろモレしたりで、
子供のおしりもすぐに冷えるし、
(蒸れにくい点は良いです)
洗濯も毎日、本当に大変でした。


そしてそれが産後うつの自分に、
更にプレッシャーになっていき、

どんどんと追い込まれていきました。


そして当時、
まだインターネットも普及しておらず、
情報も少ない中、

身近な人のアドバイスだけが頼りだったりする中で、

このように物理的に母に頼らざるを得ない自分と、
母が嫌で頼りたくない自分との中で、

ますます葛藤が起こっていきました。

それが自分を追い込み、
育児をますます辛いものにしていきました。


そんな中、産後うつと同時に起こって来たのが貧困でした。


心身がボロボロに


そしてどんなに貧困でも、
人に頼ったり甘えてはいけないという思い込みと、

母に頼りたくなくても頼らざるを得ない状況に、

心が追いつかず、
どんどんと深刻なノイローゼになっていきました。


しかしそんなある日、
ふと、いつまでもこのままでは、
子供まで不幸になると思ったのです。

それが、
自分が子供を産んだ事によって、
初めて親にさせてもらった瞬間だったと思います。

そして絶対にそんな自分を変えて、
子供を幸せにすると、決意したのです。


言葉で自分を作り変える事はいつからでもできる


そんな中、時代は段々とインターネットが普及し出し、
その中で、私は自分の不幸の原因を探し始めます。


そして、「言霊」という言葉を知ります。


※言霊とは

言霊とは、言葉には力が宿ると考えられ、その言葉が現実に影響を与えると信じられています。言霊とは、言葉そのものが持つエネルギーです。良い言葉は良い影響を、悪い言葉は悪い影響を与えると考えられています。



そして、初めてこの言葉を知った時、私は脳天をつくほどの衝撃を受けたのです。

本当に本当にショックでした。

なぜなら、私は悪い言葉を受けながら成長して来たからです。


そして、

(幼い頃から、母の言っていることが全てだと思っていたけど、それが不幸を呼んでいるのではないか)と初めて感じたのです。

その気付きはまるで、
マインドコントロールから解放される瞬間のようでした。


そしてその時、
やっと本当の意味で、自分の親からの自立のスタートラインに立てたように思います。


だから人には優しい言葉を使いたい


このように、
言葉によって傷を受けて来た私は、

それから自分が人に何かを伝える際には、

「この人が傷つかないように伝えるにはどうしたら良いか」を常に意識し、

最大限、相手の自尊心を傷つけない努力をしています。

もちろん、完璧ではありませんし、時々失敗したりもします。

求められていないのに勝手にやっている前提です。

でも、それでも良いんです。

人を傷つけるよりマシでしょって。



意外にもシンプル、「ありがとう」が最強の言霊



それからというもの、人を傷つけないための言葉かけや、話し方などを少しずつ勉強していきました。


そしてたどり着いた着地点は、


「ありがとう」が最強の言霊だと言う事です。

実はこれが言えていないと、

いくら他の良いことを言っていても意味がないというのが、最終的な私の見解です。



悪い言葉は良い事へのストーリー


私の人生は、
言葉の学びによって成長させてもらったと言っても過言ではありません。

そのおかげで、
スローペースではありますが、
文章も少しづつ書けるようになり、

人に伝える事もできるようになってきました。


そういった意味では、

私の人生は、

「言葉の悪い親」から「言霊を知って幸せになっていく」ストーリーになっていたんだと、今なら思えます。

そんなハッピーエンドなストーリーを描けそうになってきた50代の今、

ようやく心の中で母を許す事ができました。

そして言えるようになりました。


「お母さん、ありがとう」と。

亡くなって25年もたった今、ようやくです。


長かった、本当に。



そして皆さんの心の中に、
私からのメッセージが届いていればとても嬉しく思います。



最後まで読んでいただき、心から感謝いたします。


それでは皆さんの一日が素晴らしい一日でありますように。





















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